築山行事
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毎年4月23日に高岡市の二上射水神社では築山(つきやま)行事が行われる。この行事は祭神を境内の三本杉の前に作った臨時の築山(祭壇)に迎え入れる神事で、一年の豊作を祈る古代信仰の形態で現在も続けられている。神事が終わると二上山の悪い神が暴れるとされるため、築山は大急ぎで解体される。御車山は京都の祇園祭の山鉾を模しながら築山行事を源流とし、移動できるように発展させたものと考えられている。また地元民が神輿や獅子舞を練り回す。 なおこの行事は、富山県でも二上射水神社と放生津八幡宮(放生津(新湊)曳山祭)で行われているだけであり、全国的にも珍しい行事で、両神社の築山行事は富山県の無形民俗文化財に指定されている。 2020年(令和2年)の築山行事は、新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、中止を決定した。
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築山行事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 06:52 UTC 版)
築山行事は毎年10月2日の本祭に、放生津八幡宮境内にて午前7時から午後3時に掛けて行われる、古代信仰の形態である神道と仏教が一緒になった、神仏習合の信仰行事である。 築山の起源はよくわかっていないが、江戸時代初期より行なわれていたことが、1721年(享保6年)の「東八幡宮記録」や「築山古老伝記」に記録されている。また2014年(平成26年)9月には社務所で江戸時代中期1764年(明和元年)の築山に使用された、約2mの表具を施した祝詞の巻物が発見された。88行に渡り祝詞が記されている。なお放生津の曳山はこの築山神事を移動できるように発展させたものとも考えられている。 9月30日夕方境内の高い松の木に神霊を海よりお迎えする魂迎式(御魂祭)が行われる。10月2日の本祭には境内の高い松の木の西面に、幅7.2m、奥行3.6m、高さ2.7m(上段3.3m)上下2段の雛壇様式の臨時の築山(祭壇)を設け、下段の四隅には、それぞれ甲冑を纏い、顔に面を着けた仏門守護の四天王である持国天(じこくてん)・増長天(ぞうちょうてん)・広目天(こうもくてん)・多聞天(たもんてん)を配し、この他に毎年「飾人形」といわれる越中にゆかりのある人物の客人(まろうど)人形も飾る。 上段中央には唐破風屋根の神殿の上に鬼女(狂女)の面に白髪を振り乱し、金襴の打掛をはおり、御幣を取付けた長い竹竿を持った主神である姥神(オンババといわれる)を祀り、神霊を松の木より築山に迎え入れ神事が行われる。また放生津八幡宮社殿ではこの地区の地名の由来ともなった放生会が行われる。この築山行事が終わると姥神が暴れるとされる言い伝えにより築山は大急ぎで解体される。なお姥神(オンババ)と四天王並びに客人人形のお面は、奉納面と云われる古面で10面残っており、古いものでは室町時代中期の作と安土桃山時代の作がそれぞれ1面残っている。 この行事は能登にある石動山(せきどうざん又はいするぎやま)の伊須流岐比古(いするぎひこ)神社でも行なわれていたが明治期に廃絶、富山県内でもここ放生津八幡宮と、明治期に休止となり1956年(昭和31年)より復活した、高岡市の二上射水神社で行われているだけであり、共に富山県の無形民俗文化財に指定されている全国的にも珍しい行事である。なお3ケ所の主神の見た目から、放生津の「足なし」、二上山の「手なし」、石動山の「口なし」と云われてきた。 2015年(平成27年)7月10日には、放生津八幡宮以外で披露されるのは初めてとなる、射水市新湊博物館の企画展「奈呉(なご)の浦の祈り」にて、築山行事を再現した祭壇の展示が行われた。企画展では展示室の天井高に合わせ祭壇の高さを調整し低くした。
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