球界復帰への道とは? わかりやすく解説

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球界復帰への道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:17 UTC 版)

中山裕章」の記事における「球界復帰への道」の解説

その一方事件後は野球中継・野球関連ニュースをほとんど見ず野球道具も押し入れ押し込んでいたが、就職から丸1年経過したころ、社内野球チームから「一緒にやろう」と誘われことがきっかけで、グラブ押し入れから取り出した当時中山は「過ち一生消えないし、人前出れば被害者をまた苦しめることになる。野球諦めて世間忘れられた方がいい」という思い抱えていたが、一方で「どうしても野球やりたい気持ち」も強く1992年末ごろには職場があった大黒埠頭アパート近辺3 - 5 kmの距離を毎日ランニングしていたほか、1993年3月以降現役復帰向けた練習開始していた。なお同年には知人紹介により、球界復帰後の1995年結婚した20歳女性家事手伝い神奈川県川崎市在住)と知り合ったほか、このころには後述署名活動主導していた入谷から「少しキャッチボールなどをして体を作っておけ」とアドバイスを受け、昼休み同僚キャッチボールをしていたが、同僚たちプロ第一線活躍していた中山球威恐れたためか、キャッチボール躊躇するようになっていった。 また入谷中心となり、横浜市内財界人グループ中山母校である高知商高OBらが「中山裕章君の復帰を願う市民の会」を結成し1993年1月7日から中山球界復帰嘆願する署名運動開始同月28日までには横浜市高知県などを中心に100,387分の署名集まった1993年3月には当初目標の倍以上となる約22万人署名嘆願書解雇直後声明NPB12球団中山との無期限契約回避申し出ていた川島セ・リーグ会長手渡された。この動きを受け、川島セ・リーグ会長1993年5月28日に「中山投手更生の道を歩んでいる」と認め声明示した無期限契約回避措置を「早ければ同年6月中旬にも解除する」ことを明らかにした。社会的に大きな影響を与えた事件で、逮捕直後事実上困難とされていた球界復帰の道を開くことは賛否両論渦巻くのは必至情勢だったが、川島は「彼は1年半汗を流して働いた。彼を評価する球団出てくることを期待する」とコメントした。また後に中山獲得した中日ドラゴンズはこの時点中山関心示しており、伊藤濶夫・球団代表が「汗を流して頑張っている青年救いの手差し伸べたい」、中山了球団社長も「獲得考えてみようという気持ちはある」とそれぞれコメントした川島は「中山投手生命考えればそろそろ復帰への道を開く時期だ」として私的顧問機関セ・リーグ懇話会」を開いたが、川同年6月29日東京銀座セ・リーグ連盟事務所開かれた懇話会声明解除対し現時点では時期尚早」との結論出した。その理由当時、元婚約者との民事訴訟継続中だったことなどで、懇話会は「いずれは要請解除する必要があるが、中山更生には精神的安定含めた身辺整理不可欠で、元婚約者との訴訟問題解決することが前提条件として求められる」との理由から声明解除見送ったその後、「セ・リーグ懇話会」は1993年12月10日改め川島声明撤回することを答申し川島は「来週中も本人と会った後、できるだけ早く解除したい」として球界復帰事実上認め発言をした。同日記者会見した懇話会座長中村稔セ・リーグ顧問弁護士)は「元婚約者との婚約不履行裁判和解成立し中山投手事件から2年以上経って社会的に更生できる実績示した理解している」と答申理由説明した上で復帰後は試練晒される中山投手対し、(獲得する球団精神面でも生活面でも十分な配慮サポートお願いしたい」とする声明発表した。これを受けて中山後見人通じ1日早く川島会長にお会いしてお許し頂きたい思います会長許していただいて世間全ての方が許してくださっているわけではない思いますので、一生謹慎気持ち修養忘れず新し人間になって頑張りたい思います皆様お気持ち裏切らないよう精進してまいります」とコメント発表した1993年12月16日午前川島渋沢良一セ・リーグ事務局長児童心理学専攻大学教授とともに横浜市内ホテル中山面接し現在の心境・生活状態などを聴いた上で中山球界復帰承認することを決定した中山この際川島対し起こしてしまった事件とんでもないことだが、自分に情を注いでくださる人もいるので、それを支えに耐えていきたい」「どんなことがあっても耐えられるつもり。野球以外自分の夢はないので野球人として更生させていただきたい」と話した。これを受け、川島同日午後球界首脳会談吉國NPBコミッショナー原野パ・リーグ会長それぞれ報告して了承得た上で事件当時に各12球団出した要望解除決定し17日実行委員会報告後に各球団要望解除通知することを決めた。そして12月24日に「翌日1993年12月25日付)で中山との選手契約自粛要請した声明解除する」とする内容文書を各12球団宛て郵送した一方、『読売新聞記者長谷川一雄は2年間のブランク世間厳しい目を指摘し、「仮に復帰できても本当にプロ通用するか?」と疑問投げかけた上で、「『プロ野球選手である前に常識ある一社会人であれ』と改め願わずいられない」と述べていた。

※この「球界復帰への道」の解説は、「中山裕章」の解説の一部です。
「球界復帰への道」を含む「中山裕章」の記事については、「中山裕章」の概要を参照ください。

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