黒い霧事件 (日本プロ野球)とは? わかりやすく解説

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黒い霧事件 (日本プロ野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 05:39 UTC 版)

日本プロ野球における黒い霧事件(くろいきりじけん)は、プロ野球の関係者が金銭の授受を伴う八百長に関与したとされる一連の疑惑および事件のことである。1969年(昭和44年)から1971年(昭和46年)にかけて相次いで発覚し、球界のみならず社会に衝撃を与えた。


注釈

  1. ^ 当時は、コミッショナーの権限については委員長の宮沢俊義金子鋭、中松潤之助の3人が合議制で担当していた。
  2. ^ 当時、「週刊ポスト」編集部で記事を担当しており、のちに第3代編集長となった関根進によると、週刊ポストは1969年(昭和44年)8月に創刊したばかりで目玉記事も少なく、売り上げが低迷していた。この状況を打破するために、当時のプロ野球における著名選手が暴力団と組んで八百長をやっていると噂が立っていたことから、格好のネタとして取り上げたものの、「無鉄砲にも噂の段階で八百長選手の実名を挙げて記事にしてしまった」ことを関根が認めている[16]
  3. ^ 中日ドラゴンズはオーナー会議にて「投手難(不足)だが田中を出す。その意味は幅広く解釈すれば分かってもらえると思う」と述べ、田中が“黒い選手”であることを暗示した。その後、田中には2球団が獲得に動き出したものの中日ドラゴンズの裏面工作によって立ち消えになったという[30]
  4. ^ この近鉄の八百長については朝日新聞が4月16日の夕刊で「『西日本のある球場で行われたX球団 対 Y球団』で八百長試合があった」と報じていた[125]
  5. ^ 笹倉の著書 第二章「追放からの歳月」を参照[151]
  6. ^ 笹倉の著書 第六章「過去という壁」より[151]
  7. ^ 笹倉の著書 第七章「希望の曲折」より[151]
  8. ^ 笹倉の著書 第八章「こころの扉」より[151]

出典

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  4. ^ 報知新聞1969年10月8日「永易 公式戦で八百長 球界初の永久追放」1-2面
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  8. ^ 東京中日新聞1969年10月10日3面「永易、いぜん蒸発」
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  141. ^ 日刊スポーツ1970年7月17日1面「森安も永久追放へ 八百長野球、50万円の授受を自供」
  142. ^ 日本経済新聞1970年7月28日17面「弁明、要領得ず 森安が記者会見」日本経済新聞縮刷版1970年7月p945
  143. ^ 石川泰司『消えた男たち ドラフト20年』毎日新聞社、1986年、p34
  144. ^ 日本経済新聞1970年7月31日19面「森安(東映)も永久追放」日本経済新聞縮刷版1970年7月p1059
  145. ^ 日本経済新聞1970年7月31日17面「土下座したい 涙ぐむ永久追放の森安」日本経済新聞縮刷版1970年7月p1057
  146. ^ なお、桑田は失格選手指定解除後にヤクルトから自由契約を通達されるが、この件が致命傷となってそのまま現役を引退した。
  147. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年11月18日). “【虎番疾風録第3章】(79)巨人黒い交際…ハンデ師疑惑「冗談やないで」”. 産経ニュース. 2021年9月24日閲覧。
  148. ^ 二宮清純. “第735回 野球賭博の”末路”は…過去の教訓再確認を – SPORTS COMMUNICATIONS”. 2021年9月24日閲覧。
  149. ^ 『江川になれなかった男たち』p.p.116-117
  150. ^ 通算200勝を達成するより先に通算200敗を喫した投手としては梶本隆夫以来史上2人目となるが、2022年現在では東尾が最後となっている。なお、東尾は通算200勝を達成した1984年(昭和59年)シーズン終了時点で201勝215敗と14の負け越しがあったが、1985年(昭和60年)に17勝3敗の好成績で負け越しを帳消しにし、最終的には251勝247敗で4つ勝ち越して引退した。最も、東尾の引退の原因となったのは高レート麻雀賭博への関与で警察から事情聴取を受けたことによる譴責処分だった。
  151. ^ a b c d 笹倉 2005, pp. &#91, 要ページ番号&#93, .
  152. ^ 大井オートレース場 三選手が八百長 事前に着順を打合せ 数回で数百万円かせぐ『朝日新聞』昭和44年(1969年)11月11日夕刊、3版、11面
  153. ^ 選手の親分が仲立ち 八百長オート『朝日新聞』昭和45年(1970年)4月24日夕刊、3版、11面
  154. ^ 四人に一人は八百長 大井船橋オートレース大腐敗『朝日新聞』昭和45年(1970年)4月12日朝刊、12版、15面





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