死去後の経緯とは? わかりやすく解説

死去後の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 03:42 UTC 版)

西部邁」の記事における「死去後の経緯」の解説

同日社員Kは新聞記者対し2017年12月発売され西部著書保守真髄』を「読んでもらえれば、先生死生観理解してもらえる」と語っていた。三原朝彦衆議院議員)は「自ら準備をして命を断った著者西部)の死生観これ迄著者思想同様、世に一石投じたと私は思います」と述べた金澤智之(平凡社新書編集部)は「医療技術進歩によって『死の先延ばし』が可能になった現代にあって、それらに対すアンチテーゼという意味で西部さんの自死投げけたものあまりにも大きい」と述べた自殺数日後渋谷区幡ヶ谷代々幡斎場遺体納められ安置され遺族近親者最後お別れをした。法名は「慧海院釋誥邁」。木村三浩出棺前に西部好んで歌っていた「蒙古放浪歌」を餞(はなむけ)に高唱し、中に歌詞書かれ歌集納めたその後火葬が行われ、遺族近親者骨揚げをした。Kは西部通夜密葬にずっと付き添っていた。その後間もなく警視庁刑事部捜査1課西部発見時の状況不可解な点があり、西部死に第三者関与した可能性があるとみて事件性疑い捜査入った警視庁西部ロープを結ぶことなどを1人実行した可能性は低いと見て西部交友のあった関係者から事情聴取するなど氏名不詳者による自殺幇助容疑当時の状況調べた警視庁防犯カメラ捜査したことなどからAとKの容疑浮上した2人逮捕前任意の取り調べ受けた2人取り調べ全面的に応じた2人とも捜査協力し、彼らには逃亡する意思見えなかった。2月にAは関係先保管していた毒物とみられる粉末状警視庁へ任意提出した。その粉末からは青酸化合物反応出た同年2月10日TV番組追悼西部邁日本』(チャンネル桜)の一部出演者多摩川発見されたときの西部様子について話した。その出演者によると、晩年西部は手が不自由で両手白い手袋を装着して公の場出ており、日常生活においても周囲助け必要な状態であり、1人では自殺実行し得なかったため、幇助者がいたと予想されるとのことだった。同年3月1日発売月刊誌浜崎洋介文芸批評家)は「生前ワープロを使わなかった先生どうやってワープロ遺書用意したのか」、「ハーネスロープ遺書先生がどこに隠し、それらをどう運び、さらにあまり自由の利かない手でどうやって木にロープ括りつけたのか」と疑問点挙げた同年3月15日マスコミ各社警察西部死について捜査していると報じた。Kは同年4月24日予定されていた西部偲ぶ会とりまとめ役もしていた。同年4月5日警視庁捜査1課はAとKの2人自殺幇助容疑逮捕した。それに対し2人とも容疑認めた報じられたが、のちにKは容疑一部否認していると報じられた。2人逮捕されたことについて娘は「父の自殺にお2人巻き込んでしまい本当に申し訳ない」、「父がご迷惑をおかけして本当に申し訳ない気持ちです。…父からの依頼断ってくれればよかったのにと思います」「本に書いているし、友達にもよく言っていたことなので、(父が)そういう気持ちでいることは分かっていました」「(父は)自殺ということで片付くと思っていたのではないか思います」「父が頼んだことだと思います報道で(2人の)顔も名前も出てしまって…」「両手縛られていたなんてことが報道されいましたけれど、もし本当にそうなら最初から自殺とは出ないはず。そんな間違った報道が出るので本当に困っていました」「(父)は安らかな死に顔でした」「父の死に顔はおやすみなさいと言ったとまった一緒で、本人満足して死んだようです」と述べた長尾和宏医師)は、「自殺自殺ほう助擁護するつもりは無いが…もし自殺ほう助お願いするであればほう助してくれる人が逮捕されないために一筆手紙記しておくべき。 残された家族PTSDならないために事前にメッセージを送るべき。 川で死ぬことは消防警察多大な迷惑をかけるので、やめるべき。」 「今、自裁を真剣に考えている人は、西部さん騒動の展開に学ぶべき。もしも西部さんが私の前に登場して、『持続的鎮静』を希望したら。家族もみんな同意していたら、医者持続的鎮静安楽死ほう助できるか。答えは、100%、NOである。しかし、西部さんの願いは、心情的に分かる」と述べた落合洋司弁護士)は2人逮捕されたことについて「違法なことではあるが、酌むべき事情もあると思う」と述べた小林よしのり漫画家)は「西部邁氏の自殺ほう助で2名が逮捕された。無粋な話だ。警察見逃してやること出来んのか? わしがまだ交際してたら手伝ったかもしれない」、「安楽死許可されればいいのに」と述べた木村三浩は「私の友人であるK氏A氏が、西部先生死生観共鳴し自裁手助けするまでに至ったことに驚きはしたものの、理解はできた。…2人とも尊敬する西部先生思い尊重し覚悟決めて行動ではなかったかと思う…『やむにやまれず』『自分たちが何とかしなければ本懐遂げられない』との逡巡葛藤苦悩から来る行動だったのではないだろうか…主従関係問題ではなく優しさ人情問題であり、自分自身勘定に入れない振る舞い意識発露だろう…西部先生忠誠誓い葛藤しながら手助けをした両氏やその家族まで巻き込み、皆がある意味本意でない展開になってしまったことは、西部先生自身予想したものでもなかったはずだ」と述べた藤井靖明星大学准教授)は「個人の尊厳重視する観点立てば西部さんのように自分で死ぬことを決め、そして他者幇助依頼すること自体は、善悪でいうと完全に悪いとはいえない。安楽死議論も、日本においてももっと進むべきなのかもしれない」と述べた西田昌司参議院議員)は「西部先生親しかった人間が罪を被ることは望むところではなかったと思う」と述べた同年4月7日警視庁2人送検した同月24日、「西部邁先生偲ぶ会」が都内ホテル開催された。会には西部主宰していた発言者塾・表現者塾関係者中心に300人が出席した富岡幸一郎文芸評論家)、黒鉄ヒロシ漫画家)、伊吹文明(元衆議院議長)、脇雅史元参議院議員)、中山恭子参議院議員)、佐藤正久参議院議員)、丸川珠代参議院議員)、西田昌司参議院議員)、東谷暁ジャーナリスト)、上島嘉郎ジャーナリスト)、佐高信評論家)、寺脇研京都造形芸術大学教授)、荒井晴彦映画監督)、阪本順治映画監督)、水島総日本文化チャンネル桜社長)、中森明夫コラムニスト)、藤井聡京都大学大学院教授)、柴山桂太京都大学大学院准教授)らもこの会に出席した司会立川談四楼落語家)が務めた遺影前に自殺幇助疑い逮捕され2人減刑嘆願書用意され出席者署名をした。会では故人への献杯が終わると出席者順番登壇し西部へ想い話した同月26日東京地検はAとKを自殺幇助の罪で起訴した同年5月1日東京地裁自殺幇助の罪で起訴されたAとKの保釈認め決定をした。保釈保証金はAが250万円、Kが200万円だった。Kは即日納付した同年7月12日自殺幇助の罪で起訴されたAとKの初公判東京地裁(守下実裁判官)で開かれた。その公判に両被告スーツ姿で出廷し神妙な表情冒陳聞いていた。守下裁判官は両被告公判分離した

※この「死去後の経緯」の解説は、「西部邁」の解説の一部です。
「死去後の経緯」を含む「西部邁」の記事については、「西部邁」の概要を参照ください。

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