死去後の経緯
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同日社員Kは新聞記者に対し、2017年12月に発売された西部の著書『保守の真髄』を「読んでもらえれば、先生の死生観を理解してもらえる」と語っていた。三原朝彦(衆議院議員)は「自ら準備をして命を断った著者(西部)の死生観はこれ迄の著者の思想同様、世に一石を投じたと私は思います」と述べた。金澤智之(平凡社新書編集部)は「医療技術の進歩によって『死の先延ばし』が可能になった現代にあって、それらに対するアンチテーゼという意味で西部さんの自死が投げかけたものはあまりにも大きい」と述べた。自殺の数日後、渋谷区幡ヶ谷の代々幡斎場に遺体が棺に納められて安置され、遺族と近親者は最後のお別れをした。法名は「慧海院釋誥邁」。木村三浩は出棺前に西部が好んで歌っていた「蒙古放浪歌」を餞(はなむけ)に高唱し、棺の中に歌詞が書かれた歌集を納めた。その後火葬が行われ、遺族と近親者は骨揚げをした。Kは西部の通夜や密葬にずっと付き添っていた。その後間もなく、警視庁刑事部捜査1課は西部発見時の状況に不可解な点があり、西部の死に第三者が関与した可能性があるとみて事件性を疑い再捜査に入った。警視庁は西部がロープを結ぶことなどを1人で実行した可能性は低いと見て、西部と交友のあった関係者から事情を聴取するなど氏名不詳者による自殺幇助の容疑で当時の状況を調べた。警視庁が防犯カメラを捜査したことなどからAとKの容疑が浮上した。2人は逮捕前に任意の取り調べを受けた。2人は取り調べに全面的に応じた。2人とも捜査に協力し、彼らには逃亡する意思が見えなかった。2月にAは関係先に保管していた毒物とみられる粉末状の薬を警視庁へ任意提出した。その粉末からは青酸化合物の反応が出た。同年2月10日、TV番組『追悼・西部邁と日本』(チャンネル桜)の一部の出演者が多摩川で発見されたときの西部の様子について話した。その出演者によると、晩年西部は手が不自由で両手に白い手袋を装着して公の場に出ており、日常生活においても周囲の助けが必要な状態であり、1人では自殺を実行し得なかったため、幇助者がいたと予想されるとのことだった。同年3月1日発売の月刊誌で浜崎洋介(文芸批評家)は「生前ワープロを使わなかった先生がどうやってワープロで遺書を用意したのか」、「ハーネスやロープと遺書を先生がどこに隠し、それらをどう運び、さらにあまり自由の利かない手でどうやって木にロープを括りつけたのか」と疑問点を挙げた。同年3月15日、マスコミ各社は警察が西部の死について再捜査していると報じた。Kは同年4月24日に予定されていた西部を偲ぶ会のとりまとめ役もしていた。同年4月5日、警視庁捜査1課はAとKの2人を自殺幇助の容疑で逮捕した。それに対し2人とも容疑を認めたと報じられたが、のちにKは容疑を一部否認していると報じられた。2人が逮捕されたことについて娘は「父の自殺にお2人を巻き込んでしまい本当に申し訳ない」、「父がご迷惑をおかけして本当に申し訳ない気持ちです。…父からの依頼を断ってくれればよかったのにと思います」「本にも書いているし、友達にもよく言っていたことなので、(父が)そういう気持ちでいることは分かっていました」「(父は)自殺ということで片付くと思っていたのではないかと思います」「父が頼んだことだと思います…報道で(2人の)顔も名前も出てしまって…」「両手が縛られていたなんてことが報道されていましたけれど、もし本当にそうなら最初から自殺とは出ないはず。そんな間違った報道が出るので本当に困っていました」「(父)は安らかな死に顔でした」「父の死に顔はおやすみなさい、と言った時とまったく一緒で、本人は満足して死んだようです」と述べた。長尾和宏(医師)は、「自殺や自殺ほう助を擁護するつもりは無いが…もし自殺ほう助をお願いするのであれば、 ほう助してくれる人が逮捕されないために一筆手紙を記しておくべき。 残された家族がPTSDにならないために事前にメッセージを送るべき。 川で死ぬことは消防や警察に多大な迷惑をかけるので、やめるべき。」 「今、自裁を真剣に考えている人は、西部さん騒動の展開に学ぶべき。もしも西部さんが私の前に登場して、『持続的鎮静』を希望したら。家族もみんな同意していたら、医者は持続的鎮静や安楽死をほう助できるか。答えは、100%、NOである。しかし、西部さんの願いは、心情的には分かる」と述べた。落合洋司(弁護士)は2人が逮捕されたことについて「違法なことではあるが、酌むべき事情もあると思う」と述べた。小林よしのり(漫画家)は「西部邁氏の自殺ほう助で2名が逮捕された。無粋な話だ。警察は見逃してやることが出来んのか? わしがまだ交際してたら手伝ったかもしれない」、「安楽死が許可されればいいのに」と述べた。木村三浩は「私の友人であるK氏とA氏が、西部先生の死生観に共鳴し、自裁を手助けするまでに至ったことに驚きはしたものの、理解はできた。…2人とも尊敬する西部先生の思いを尊重し、覚悟を決めての行動ではなかったかと思う…『やむにやまれず』『自分たちが何とかしなければ本懐が遂げられない』との逡巡、葛藤、苦悩から来る行動だったのではないだろうか…主従関係の問題ではなく、優しさや人情の問題であり、自分自身を勘定に入れない振る舞いの意識の発露だろう…西部先生に忠誠を誓い、葛藤しながらも手助けをした両氏やその家族まで巻き込み、皆がある意味で本意でない展開になってしまったことは、西部先生自身が予想したものでもなかったはずだ」と述べた。藤井靖(明星大学准教授)は「個人の尊厳を重視する観点に立てば、西部さんのように自分で死ぬことを決め、そして他者に幇助を依頼すること自体は、善悪でいうと完全に悪いとはいえない。安楽死の議論も、日本においてももっと進むべきなのかもしれない」と述べた。西田昌司(参議院議員)は「西部先生も親しかった人間が罪を被ることは望むところではなかったと思う」と述べた。同年4月7日、警視庁は2人を送検した。同月24日、「西部邁先生を偲ぶ会」が都内のホテルで開催された。会には西部が主宰していた発言者塾・表現者塾の関係者を中心に約300人が出席した。富岡幸一郎(文芸評論家)、黒鉄ヒロシ(漫画家)、伊吹文明(元衆議院議長)、脇雅史(元参議院議員)、中山恭子(参議院議員)、佐藤正久(参議院議員)、丸川珠代(参議院議員)、西田昌司(参議院議員)、東谷暁(ジャーナリスト)、上島嘉郎(ジャーナリスト)、佐高信(評論家)、寺脇研(京都造形芸術大学教授)、荒井晴彦(映画監督)、阪本順治(映画監督)、水島総(日本文化チャンネル桜社長)、中森明夫(コラムニスト)、藤井聡(京都大学大学院教授)、柴山桂太(京都大学大学院准教授)らもこの会に出席した。司会は立川談四楼(落語家)が務めた。遺影の前には自殺幇助の疑いで逮捕された2人の減刑嘆願書が用意され、出席者が署名をした。会では故人への献杯が終わると出席者が順番に登壇し、西部への想いを話した。同月26日、東京地検はAとKを自殺幇助の罪で起訴した。同年5月1日、東京地裁は自殺幇助の罪で起訴されたAとKの保釈を認める決定をした。保釈保証金はAが250万円、Kが200万円だった。Kは即日納付した。同年7月12日、自殺幇助の罪で起訴されたAとKの初公判が東京地裁(守下実裁判官)で開かれた。その公判に両被告はスーツ姿で出廷し、神妙な表情で冒陳を聞いていた。守下裁判官は両被告の公判を分離した。
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