日本海軍の護衛空母
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 00:56 UTC 版)
日本海軍では、当時の日本にアメリカほどの造艦能力がなかったため、同一艦型で多数が造艦される護衛空母は存在しない。民間商船を改造した特設空母が護衛空母に近い艦種と言える。これは当初は正規の航空母艦の補助として連合艦隊が主戦力として使用することを意図したもので、英米の護衛空母に比べると本格的なものであった。しかし特に優速で船体も大型・甲板長があった飛鷹型2隻を除くと、速力が遅く小型なことは否めず艦隊行動は行えず、カタパルトも装備していなかったために、艦載機の運用に関して種類・量ともに多くの制限があった。日本海軍は特設空母以外にも給油艦を改造し発艦能力のみを持たせたCAMシップ類似の速吸を完成させ、後継として同様の形態を持つ鷹野型給油艦も計画しているが、これらの艦艇も飽くまでも船団護送ではなく艦隊随行の給油艦兼正規の航空母艦の補助戦力として位置づけられていたものであった。 また、陸軍からはTL型戦標タンカーに全通飛行甲板を架装し簡易な空母とする特TL型建造の提案を受けているが、終戦までに僅かに2隻が竣工したのみであった。なお、日本海軍は特TL型も前述の艦艇同様に正規の航空母艦の補助として運用する意図を持っており、陸軍よりも優速の船舶の提供を受けている。 その後、特設空母は英米同様の船団護送の強化の目的で海上護衛総司令部に移管された。海上護衛船団司令部に移管された特設空母は、米英の護衛空母と同じように船団護衛に参加し、旧式の艦上攻撃機などで対潜哨戒を行った。船団護送に特設空母を用いる際の運用については、次のような指摘が残されている。ヒ船団にて潜水艦の雷撃で喪失した「雲鷹」は、その戦闘詳報において「海防艦を増備し敵潜水艦を制圧する『掃蕩隊』の新設」「航空機による前路哨戒は是非とも必要であるため、各航路の航空基地を増備強化して勢力の増大を計り、護衛空母は廃止するを認む」「護衛艦の増加が無理だとしても、空母が船団と同速力にて運動するのは最も不可である」「高速力を持って船団の後方をバリカン運動を行いながら続航する必要がある」といった提言を残している。また、アメリカ海軍太平洋艦隊潜水艦部隊の司令官であったチャールズ・A・ロックウッドも「台湾・中国・フィリピンから船団護衛機を出したほうが経済的で安全であるのにもかかわらず、この措置にでたことは不思議である」「護衛空母は、物資及び航空機の輸送に専念させたほうが有利であると思われる」という意見を残している。 日本海軍は米英に倣って特設空母を船団護衛に用いたが、特設空母の随伴や船団を直接護衛する駆逐艦・海防艦等の護衛艦艇の不足、レーダーやソナーの不備、搭載機の対潜能力や練度の不十分さなどの問題が多かった。海上護衛船団司令部に配備された特設空母4隻はそれぞれ数度にわたって重要な輸送船団の護衛に従事し、護衛艦艇と協力して幾度か敵潜水艦撃沈を報告したが、アメリカ海軍側の資料では該当するものはいずれも存在していない。逆に潜水艦の雷撃を受け3隻が沈没し、終戦まで残存していたのは海鷹1隻のみであった。 大鷹 海上護衛船団司令部へ移管され船団護衛に参加。ヒ71船団を護衛中、潜水艦「ラッシャー」の攻撃を受け戦没。 冲鷹 海上護衛船団司令部への移管前、潜水艦「セイルフィッシュ」の攻撃を受け戦没。 雲鷹 海上護衛船団司令部へ移管され船団護衛に参加。ヒ74船団を護衛中、潜水艦「バーブ」の攻撃を受け戦没。 海鷹 海上護衛船団司令部へ移管され船団護衛に参加。その後訓練目標艦として行動し、艦載機の攻撃を受け大破擱座。 神鷹 海上護衛船団司令部へ移管され船団護衛に参加。ヒ81船団を護衛中、潜水艦「スペードフィッシュ」の攻撃を受け戦没。 海軍以外の所属として、以下のものも整備された。 あきつ丸 陸軍特殊船(揚陸艦)に空母としての機能を追加したもの。ヒ81船団に輸送船として参加中、潜水艦「クイーンフィッシュ」の攻撃を受け戦没。 熊野丸 同上。(特TL型) 商船を改装し空母としたものであるが、徴用船ではなくMACシップ同様に民間人運用である。海軍は「しまね丸」、陸軍は「山汐丸」の配当を受けたが、いずれも本来任務に就く事の無いまま空襲で喪われた。
※この「日本海軍の護衛空母」の解説は、「護衛空母」の解説の一部です。
「日本海軍の護衛空母」を含む「護衛空母」の記事については、「護衛空母」の概要を参照ください。
- 日本海軍の護衛空母のページへのリンク