日本初の交流電化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 18:20 UTC 版)
国鉄は1953年(昭和28年)に「日本国有鉄道交流電化調査会」を立ち上げ、交流電化による鉄道の運行の実現を目指した。翌1954年(昭和29年)に仙山線の北仙台駅から作並駅までの区間が交流電化の試験線に指定された。試験の目的は、交流を利用した車両の実用化にめどを立てることはもちろんのこと、当時、交流電化の最大の欠点とされていた線路周辺の通信障害(当時は被覆ケーブルのほか裸電線も存在した)の影響度を見極めることもあった。このため国鉄のほか、日本電信電話公社や東北電力なども試験に参加している。 仙山線の北仙台駅 - 作並駅間が試験線に選ばれた理由として、機関車の負荷試験に適した勾配があったこと、通信障害を確認するための施設やトンネルの改修にかかる費用が少なかったこと、直流電化区間と接し交流と直流の切り替え試験が行えたこと、電力の供給が安定していたこと、列車ダイヤに余裕があったことが挙げられる。この試験のために、地上施設関係に4億4000万円、車両やその他試作に2億4000万円がつぎ込まれた。まず、1954年(昭和29年)10月から陸前落合駅と陸前白沢駅の間で試験が始まり、1955年(昭和30年)4月には試験区間が北仙台駅から作並駅まで広がった。試験は1956年(昭和31年)4月まで行われた。作並 - 山寺間はすでに直流電化されていたので、作並駅は日本初の交流電源と直流電源の接続駅となり、交流と直流の地上切り替えのための設備が設けられた。 当初は世界で初めて商用周波数による交流電化を実用化したフランスからの試作機導入を目論んだ国鉄だったが、これは不調に終わった。交流を使用して交流整流子モーターを直接駆動する方式(直接式)と、交流を整流器で直流に整流して直流モーターを駆動する方式(間接式)の2方式の交流用電気機関車(ED44形・ED45形)や交流用電車クモヤ790形が日本国内で試作され、各種の試験に供された。ここで得られたデータや技術は、以後の幹線の交流電化やそこで運転される車両にも活かされ、やがては1964年(昭和39年)に開業する新幹線の成功にも繋がっていくことになる。 1957年(昭和32年)には交流電化区間が仙台駅まで拡大され、この年の7月から交流電化を用いた貨物列車の営業運転が始まった。9月には一部の旅客列車の営業運転にも当てられるようになり、10月には全列車の運転が電気機関車によるものとなった。作並機関区には、試験で用いられた交流用電気機関車と、ED14形やED17形といった直流用電気機関車が所属し、それぞれ仙山線で運用された。 交直両用車両の試験は1958年(昭和33年)から行われた。2つの異なった電化区間を直通運転するため、日本初の交直流両用電車としてクモヤ491形とクヤ490形が試作され、車上切り替えの試験が実施された。クモヤ491形とクヤ490形は試験終了後にそれぞれ旅客用車両クモハ491形とクハ490形として改造され、仙山線の臨時列車に使われた。 山寺駅から羽前千歳駅の間は奥羽本線の山形駅 - 羽前千歳駅間を含めて1960年(昭和35年)にいったん直流電化されたが、1968年(昭和43年)のヨンサントオと呼ばれるダイヤ改正の直前に仙山線全線は交流電化に統一された。これによって作並駅の交直流地上切り替え設備も役目を終えた。 仙山線の区間毎の変遷年仙山線(google マップ)備考(旧)仙山西線(google マップ)(奥羽山脈)(google マップ)(旧)仙山東線(google マップ)羽前千歳駅 - 山寺駅山寺駅 - 作並駅作並駅 - 愛子駅(google マップ)愛子駅 - 仙台駅(google マップ)1926年 着工 1929年 非電化(蒸気機関車)(ガソリンカー) 「仙山東線」(1期)開業 1931年 非電化(蒸気機関車)(ガソリンカー) 「仙山東線」(2期)開業 1932年着工 1933年非電化(蒸気機関車) 「仙山西線」開業 1935年着工 全線事業化 1937年直流電化 「仙山線」全線開通 1957年交流電化 交流電化 日本初の交流電化による営業運転開始 1960年直流電化 日本初の交直両用電車の営業運転開始 1968年交流電化 交流電化 全線交流電化 1984年← 区間列車 → 旧・東線(1期)に区間列車運行開始
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