日本での受容と翻訳
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国富論の原書は、江戸時代の日本に入ってきていた。シーボルトの蔵書にドイツ語訳版があったほか、開成所には1863年版があったことが明らかになっている。明治時代初期には、太政官、内務省、大蔵省はじめ複数の官庁に原書が所蔵されていた。 その日本語訳については、明治初期から抄訳の類はあったが、最初の全訳といわれるのは石川暎作訳『冨國論』(富国論)である。これは石川が1882年(明治15年)から雑誌に掲載し始めたものだったが、第4篇の途中で石川が病没し、嵯峨正作が引き継ぎ全12分冊が、のち合冊され全3巻で1888年に刊行された。その底本は明記されていない。杉原四郎は註の内容から、19世紀にマカロック(英語版)が編注を付けた版が底本になったと推測していたが、水田洋は1812年のマレーによる再版が底本だったとしている。この最初の全訳を後押ししたのが田口卯吉であり、彼や福沢諭吉の影響で、アダム・スミスの名は明治時代の小学校の教科書にも掲載されていた。 大正時代には竹内謙二が『全訳富国論』(1921年 - 1923年)を刊行している。全訳としては、これは2番目のものであった。この竹内訳が完成した1923年には、アダム・スミス生誕二百年を記念する行事などが、東京大学、京都大学、東京商科大学(のちの一橋大学)、慶應義塾大学でそれぞれ挙行され、その講演が大盛況であったことが伝えられている。 竹内は『富国論』という書名を踏襲したが、『国富論』や『諸国民の富』と訳されている例があることに触れており、竹内自身、1924年に改訂版を刊行した際に『全訳国富論』と改題した。関東大震災で全巻刊行を断念した後、改造文庫から改めて全3巻の改版を刊行した際にも、『国富論』と題した。竹内が底本としたのは、キャナン版の第2版である。なお、版元の有斐閣はキャナン版の版元から版権料を要求され、支払った。これはキャナン版の日本語翻訳独占権を得たことを意味した。 昭和時代になると、太平洋戦争前の共産主義に対する規制から、自由主義経済の研究者だけでなく、マルクス経済学の研究者たちも『資本論』の代わりに『国富論』を講ずることがあり、学生たちも『国富論』を読むことが多かったという。そうした背景から、『国富論』を研究していた学生たちが、特別高等警察の取り調べを受けることもあったという。そのような中でも、フリードリヒ・リストとの関わりでアダム・スミスを研究することなどは認められており、大内兵衛による全訳が岩波文庫で刊行された(『国富論』)。大内は『国富論』という訳を採用した理由について、『富国論』『諸国民の富』といった訳名が存在していることを認識しつつも「特に優つてゐるとも思はれない」としていた。 戦後岩波文庫版は改訳され、大内兵衛・松川七郎訳『諸国民の富』(全5巻、1959年 - 1966年。底本はキャナン版)が刊行。『諸国民の富』への変更は「いっそう適切であり、自然でもあると考えられる」ことや、日本の学界でも「比較的広く用いられるようになってきたと判断される」ことによるとした。1969年には岩波書店の単行本が改訂出版された。 戦前と異なってマルクス主義に対する制約もなくなったが、『国富論』を含むアダム・スミス研究は独自の進展を遂げ、研究者たちによる「アダム・スミスの会」も発足した。 1968年には『世界の名著 アダム・スミス』(大河内一男責任編集、中央公論社)にも、キャナン版を底本とする『国富論』が刊行。この版は抄訳版だが同じ訳者たちにより、第5版を底本に全訳され、新版は中公文庫 全3巻、改版(2020年9月-11月)、中公クラシックス 全4巻(堂目卓生解説、のち電子書籍)が刊行された。 20世紀末に岩波文庫版が改訳され、水田洋監訳、杉山忠平訳『国富論』(全4巻、2000年 - 2001年)が刊行(第5版を底本に、第6版も含む各版と校合)。 第6版を底本としたのが『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』(山岡洋一訳 上・下、日本経済新聞出版社、2007年)で、経済学者ではなく、専業の翻訳家によって全訳されたものである。2020年4・5月に『国富論 国民の富の性質と原因に関する研究』(高哲男訳、講談社学術文庫 上・下)が刊行された。 その一方、20世紀末以降、知名度の高さと裏腹に読まれざる古典と化し、一般読者どころか、エコノミストからさえも誤解されている、と指摘する経済学史学者も見られるようになった。もっともそれは日本だけの話ではなく、ジョン・ケネス・ガルブレイスも、まともに読んでもいない人間によって引用される文献として、『資本論』、『聖書』、『国富論』の3冊を挙げている。
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