三省堂 大辞林 |
シーボルト [Philipp Franz von Siebold]
地図測量人名事典 |
シーボルト(Ph.Fr.von Siebold 1796-1866)
江戸後期の長崎出島にあったオランダ商館長付きの(ドイツ人)医師で、伊能忠敬作成の日本図を世界に紹介した。シーボルト事件で有名。
ドイツのヴュルツブルグに生まれ、大学で医学と博物学を学び、1823年、27歳のときに長崎のオランダ商館付き医師として着任した。
長崎「出島」での生活と診療を通して、日本人蘭学者・医学者と交流が生まれ、「出島に名医有り」の評判が立ち、長崎奉行高橋越前守などの好意を得て、町中の病人を治療するという目的で出島の外に出ることを許可された。こうして、日本人患者を診療する傍ら、長崎郊外の鳴滝塾などで、高野長英、伊東玄朴、戸塚静海、二宮敬作らの多くの門人を指導した。
彼の博物学研究は、制限された行動を補う目的で、各地から訪れる多くの門人に日本の歴史・地理・民族・動植物などについての課題を与えて、論文と植物・産物などを提出させることで、あるいは病気治療によるお礼の贈り物や日本各地の品々とヨーロッパの品との物々交換などを通して行われた。
1826年には、当時 5年に一度行われていた商館長の江戸参府に同行し、その際、気圧計、高度測定のための機器、湿度計、寒暖計、クロノメーテル、六分儀などを持参し、各地で経緯度などの測量を行った。
5年の任期を終えて帰国する折(1829年 9月)、暴風雨で座礁した帰国船の積み荷から、高橋至時らと交換した日本地図や葵の紋服が発見された(シーボルト事件)。
高橋が渡した地図は、伊能忠敬の大日本沿海輿地全図から調製した縮図で、郡名、村名などは片仮名で書かれていたと推測されている。捕縛されていた高橋は獄死、関係者も拘束され厳罰に処され、シーボルトも14か月の取調べ拘留の後追放となった(1830年12月)。国禁の地図等は幕府に没収されたが、シーボルトの巧妙な行動で、写図となりヨーロッパに持ち帰られた。後に発行された彼の代表著作「日本」に所載され、ヨーロッパの地図と比較しても、これらの地図の正確であることが認められ、日本人の測量・天文学の進歩の証となった。
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シーボルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/07 07:26 UTC 版)
シーボルト(Siebold)は、ドイツ系の姓。「シーボルト」は英語または日本語の綴りで、低地ドイツ語はジーボルト。標準ドイツ語(中部ドイツ語)と上部ドイツ語(上部フランケン語・アレマン語)ではズィーボルト。バイエルン語(オーストリア語)ではスィーボルトと綴られる。
- 1 シーボルトとは
- 2 シーボルトの概要
固有名詞の分類
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