唄を取り巻く状況とは? わかりやすく解説

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唄を取り巻く状況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 16:44 UTC 版)

「竹田の子守唄」記事における「唄を取り巻く状況」の解説

人生』をJASRAC登録する際には、作者不詳として申請するように言われたが、すでに他の人も唄っているのに無視することはできず、後藤は「作者がいるはずだ」と、高校時代のクラスメイト橋本正樹とともに唄の「起源」を探ることにした。 赤い鳥本作唄うたびに「竹田」とはどこかと尋ねられても濁していたこともあり、後藤橋本1971年4月から唄の発祥探し始めた歌詞「雪」があるため大分県竹田市ではなく、「よう泣く」の「よう」があるのは関西ではないか考え伏見兵庫県氷上郡市島町竹田かもしれない見当をつけた。探し続けて2か月経った後、ある女性から歌詞の「在所」は京都では未解放部落を指すと教えられ橋本は「大きな打ち込まれたように言動止まった」と感じ、それから1970年出版の『京都民謡』(音楽之友社)に本作京都市伏見区竹田の唄だと明記されていることを知って確信した橋本探し当てた事実知らされ後藤は、今まで知らなかった久世大根めし 吉祥(きっちょ)の菜めし またも竹田のもんば飯」の歌詞入れて唄うことを決意し最初に歌唱したのは1971年9月毎日放送深夜番組だった。1971年12月発売アルバムスタジオ・ライブ』で「久世大根めし…」の歌詞入れた本作赤い鳥としては初め収録した1971年2月5日シングル・カットA面本作B面に『翼をください』を収録し3年間でミリオンセラーとなったが、歌詞の「在所」が被差別部落意味し、それ絡み楽曲知った放送局慌てて自主規制をかけた。人気だった赤い鳥対し放送局から理由告げずに「歌唱曲から外してほしい」と複数回の要請なされた。またレコード会社動揺し採譜者が編曲著作権主張したこともあってレコーディング避けられるようになり、長い間いわゆる放送禁止歌」として聴く機会減少した背景には1970年の映画橋のない川第二部上映をめぐる騒動や、1974年八鹿高校事件などもあり、1975年5月開催の「用語と差別考えシンポジウム」では、マスコミだけでなくドラマ落語などで「これでは物が言えなくなる」と指摘されるようになった同年11月には部落地名総鑑事件発生し被差別部落地名どのような理由使われようとも、部落解放同盟朝田派差別と言えばそう断定され状況生まれたとして、本作にも部落地名や「在所」の語があることから放送禁止になったことは否定できず、こうした出来事同和タブー形成した社会構造浮かび上がらせるものであろうと、全国地域人権運動総連合竹田深草支部執行委員批判している。 要注意歌謡曲指定制度には指定されてはいなかったとされ、2002年大阪開催され人権集会ではNHK人権問題に熱心なベテラン局員は、過去同局放送禁止指定されことはなく、後藤NHKからそういった扱いは受けなかったとしている。森達也入手した1986年フジテレビ番組考査部の議事録とみられる文書には「部落解放同盟の見解として『唄が作られ唄われ理由背景をよく理解してくれるな放送可能』とされたが、実際に理解することは不可能なので現実的に放送できない」旨が書かれており、放送禁止歌であるとの認識既成事実としたメディアもあった。は「唄の意味理解することはそう難しくないはずだが、あっさりと不可能と結論付け理解することとは何なのかすら思考していないことが文からは汲み取れ、『理解する』の主語視聴者置き換えて結論としてはあまりにも早計だ」と批判した。 または、かつて教科書本作掲載していた複数出版社取材したところ、各社とも対応は慎重で匿名条件取材応じ部落問題理由一つだが、他にも掲載されなくなった作品多数あるため、断定するのは差別をまた生み出してしまう」「とにかく非常にナイーブな問題だ」と捉えていることが共通しており、旋律のみを掲載している一社からは、歌詞がない理由何度尋ねても「旋律だけでも十分に素晴らしい曲だと判断した」と要領を得ない答えしか返ってこなかったという。 「部落解放同盟から抗議があったため放送しなくなった」とも噂されたがそのような事実はなく、部落解放同盟京都府連や竹田地区解放同盟の者は、長らく放送禁止になったことすら知らず中には竹田地区の唄であることさえ知らない者もいた。だが、元の旋律歌詞とは大きく違う唄として広まったことに竹田地区住民はかなり困惑し赤い鳥メンバーヒットしてから被差別部落の唄という事実を知ったことで動揺した。 元唄には「もんば飯」という歌詞があり、もんばはおから、飯は精米の際に出る破片をかき集めた小米で、それを部落内で食べていることを意味する歌詞であり、尾上の前で唄った女性鹿の子絞り仲間から「寝た子を起こすようなことをして」と責められ女性は「竹田の恥をさらした」と後悔していた。 1972年1月京都勤労会館開催したフォークコンサートに赤い鳥出演した際、橋本先述の『京都民謡』を編纂した日本音楽研究会メンバーでもあった尾上知り合い彼に唄を教えた女性息子経由連れてきてもらった。しかし彼女からは「久世大根めし…」の箇所は唄わないでほしいと懇願され、周りで「あの唄は誰が教えたのか」と言う人がいることや、「昔もいつもそういう食事をしていたわけではない。どうして今になって部落食生活唄う必要があるのか。歌詞竹田だけでなく他の部落の場所もわかってしまう」と、唄ったことを後悔していると告げ自分生まれ晒すことをはばかる世代人間であった後藤は唄を伝承している女性の名前JASRAC登録したかったが、それも断られた。 女性言葉により腰が引けた他の赤い鳥メンバーから後藤非難され女性苦しめるわけにはいかず、彼女の息子たち話し合った結果勇気をもって唄っていってほしい。自分応援すると言われたため今後唄い続けることにしたものの、「若さゆえに突っ張って生きていたことで人を苦しめてしまった」と後藤半分後悔した尾上問題とされた箇所歌詞削除求められたことがあり、また元唄と旋律が違うとしてJASRAC本作補作者として登録してもらおう申請した却下された。当時JASRAC民謡十把一絡げにしており、著作者として登録する考えがまだなかった。 しかし一方で1971年赤い鳥京都公演本作歌唱聴いたその伝承者の女性は「ええかったナァ」と感想述べている。 1974年赤い鳥解散するが、本作だけが理由でないにしろ、若いメンバーたちに「歌うとは何か」という大きな問題突きつけた。その後放送局レコード会社による自主規制1990年代緩和され多く歌手によってカバーされている。 伏見区定期的に開催されている「ふしみ人権集い」で、2001年竹田地区住民本作初め歌唱し、以降集いでは唄われている。これが報道されることに対し、「現代ではほぼ解決状態の部落問題を、今も残る深刻な差別としてマスメディア宣伝し、唄を政治的に利用している」という批判上がっている。

※この「唄を取り巻く状況」の解説は、「竹田の子守唄」の解説の一部です。
「唄を取り巻く状況」を含む「竹田の子守唄」の記事については、「竹田の子守唄」の概要を参照ください。

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Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの竹田の子守唄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

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