加害者I
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加害者の男Iは元自衛官(事件当時は無職)で、高校2年生の時に父親Aと母親が離婚し、その後は妹とともに母親に引き取られた。高校中退後は引きこもりがちになり、県内外で就職したが長続きせず、職を転々とした。 2001年(平成13年)7月には陸上自衛隊に入隊。国分駐屯地第12普通科連隊(鹿児島県霧島市)に配属されたが、翌2002年(平成14年)7月に個人的な理由で依願退職した。その後、同居していた母親に対し「誰かに監視されている」「俺の悪口を言っているだろう」などと言うようになり、2005年(平成17年) - 2006年(平成18年)ごろからは母親に暴力を振るうようになった。また、同時期には音に敏感になり、妹が幼い息子(Iの甥)とともに帰省した際に暴力を振るわれたこともあった。Iの母親は家庭内暴力に耐えかね、2014年(平成26年)ごろに家を出て、県外にいる娘家族のもとに身を寄せた。一方でIも事件の約4年前に父親Aに引き取られ、現場付近のアパートで1人暮らししていた。 自衛隊を辞めてから事件を起こすまでの一時期は働いていた時期もあったが、大半の時期は自宅に引きこもったり、仕事をせずに過ごしたりしていた。 また、2017年(平成29年)2月には鉄パイプ状の物を振り回していたことから、同じアパートに住んでいた被害者Eが鹿児島県警に相談し、警察官がI宅を訪れていた。
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加害者I
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「大阪心斎橋通り魔殺人事件」の記事における「加害者I」の解説
本事件の犯人であるI・Kは1975年(昭和50年)6月21日に栃木県で3人兄弟の三男として材木商を営む両親の間に生まれた。母親はIが幼少期の頃に亡くなり、2人の兄とは10歳以上歳が離れていて、Iが小学生だった時には独立した為、以後は父親と暮らしていた。学校記録等によると、Iは幼少時から小学生になるまではおおむね活発と見られていたものの、Iが小学生になると自分の言い分が通らないと大声を出したり、乱暴しようとしたりするなどの評価を受けている。また、中学生の時にも言動が粗野である等の評価をされている。Iは中学校入学後、中学1年生の時は勉強や部活動に熱心に取り組んでいたが、中学2年生の頃から不良と絡むようになったり、禁煙をしたり、原付を窃盗するなどの問題行動が見られるようになり、Iが中学3年生の頃にはシンナーの吸引を始めた。Iは高校を入学後、間もないうちに校内での暴力行為などが問題となり、謹慎処分を受けた。その頃からIはシンナーを毎日のように吸うようになり、21歳頃までシンナーの吸引を続けていた。さらに16歳、17歳の頃には大麻の使用も初め、これも26歳頃まで続けていた。高校1年生の夏休みからは内装のアルバイトを始め、その後間もなく高校を中退した。Iは内装の仕事は真面目にしていたが、暴走族に加入して18歳頃には総長となり、暴走族の引退した後の19歳頃には暴力団組員となった。また、Iが17歳の時の1992年9月にはシンナーや傷害の事件で検挙され、観護措置を経て保護観察の処分を受けた。そしてIが17歳の頃に当時交際していた女性と同棲生活を始めたが、その頃から女性に対し殴る蹴るなどの暴行を毎日のように振るっていた。20歳の時には女性が妊娠し、21歳の時には子供が産まれて女性と入籍した後も変わらずに暴力を振るっていた為に、Iが22歳の時に離婚した。Iが23歳の時に父親が倒れて入院し、以後は再び父親と同居するようになり、その頃から内装業の仕事をするようになった。Iは19歳の時から覚せい剤を初め、1、2年間は毎日のように使用し、その後辞めたものの、Iが25歳から26歳の時に再開し、27歳の頃には覚せい剤を使う頻度が増えていった。その影響からか、Iは20歳後半になる頃までに「暴力団E会総裁のEは自分のおじであり、自分は裏で日本を支配している『偉大なる富士家』の跡目である」といった妄想が形成され、本事件の第一審まで妄想が変化していない。さらに28歳から29歳の頃からはお経や子供の泣き声の幻聴が聞こえるようになり、さらには「腕立て伏せをしろ」「下の家に行け」といった自分自身に対して命令する幻聴まで聞こえるようになっていた。Iはこの幻聴が覚醒剤を多用しているせいで発生している物だと自覚していたが、Iはこの幻聴から逃れる為にさらに覚醒剤の量を増やしていった。Iが30歳の時である2006年8月、当時Iは父親と自宅アパートの2階に住んでいたが「下に行け」という幻聴が聞こえた為にアパート1階の別の部屋を訪れ、住民に通報された。そしてその際に覚せい剤の使用が発覚した為に同年4月には覚せい剤使用及び所持の罪で懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決を言い渡された。Iは同判決を受けた後、上記のアパートの部屋に戻ったが、その1ヶ月半後には覚せい剤の使用を再開。同年6月には下の部屋から物音が聞こえたり叫び声が聞こえたとして、下の部屋に行って苦情を言ったためにまたもや住民に通報され、覚せい剤使用が発覚した。そして同年9月には懲役1年4ヶ月の実刑判決を受け、服役する事となった。Iは服役中に喧嘩口論で5回懲罰を受けている。Iは2009年6月に服役を終えて、再び内装業の仕事を始めたが、翌年の2010年5月初め頃にはまたもや覚せい剤を購入し、3回に分けて使用した。そして同月15日に「下の部屋に行けば富士家の事について話が通っている」という幻聴に従い、下の部屋に行ったところ、同部屋の住民から「警察を呼ぶ」と言われた為に車で逃走した。そして「市役所に行け」という幻聴に従って市役所に行き、さらに「市長に会えばB(父親の名前)の事で話が通っている」などの幻聴を聞き、市役所に居た警備員に市長に会わせるように求めたが、今日は会えないと言われた為に警備員に暴行を振るい、Iは逮捕された。そして2011年8月には懲役1年10ヶ月の実刑判決を受けて、再び服役する事となった。Iは服役中、精神薬を処方されていた。
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