加害者Iとは? わかりやすく解説

加害者I

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 08:40 UTC 版)

日置市5人殺害事件」の記事における「加害者I」の解説

加害者の男Iは元自衛官事件当時無職)で、高校2年生時に父親Aと母親離婚しその後は妹とともに母親引き取られた。高校中退後引きこもりがちになり、県内外で就職した長続きせず、職を転々とした。 2001年平成13年7月には陸上自衛隊入隊国分駐屯地第12普通科連隊鹿児島県霧島市)に配属されたが、翌2002年平成14年7月個人的な理由依願退職した。その後同居していた母親対し誰か監視されている」「俺の悪口言っているだろう」などと言うようになり、2005年平成17年) - 2006年平成18年)ごろからは母親暴力振るうようになったまた、同時期には音に敏感になり、妹が幼い息子(Iの甥)とともに帰省した際に暴力振るわれたこともあった。Iの母親家庭内暴力に耐えかね、2014年平成26年)ごろに家を出て県外にいる娘家族のもとに身を寄せた一方でIも事件の約4年前に父親Aに引き取られ現場付近アパート1人暮らししていた。 自衛隊辞めてから事件起こすまでの一時期働いていた時期もあったが、大半時期自宅に引きこもったり、仕事をせずに過ごしたりしていた。 また、2017年平成29年2月には鉄パイプ状の物を振り回していたことから、同じアパート住んでいた被害者Eが鹿児島県警相談し警察官がI宅を訪れていた。

※この「加害者I」の解説は、「日置市5人殺害事件」の解説の一部です。
「加害者I」を含む「日置市5人殺害事件」の記事については、「日置市5人殺害事件」の概要を参照ください。


加害者I

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 21:26 UTC 版)

大阪心斎橋通り魔殺人事件」の記事における「加害者I」の解説

本事件犯人であるI・K1975年昭和50年6月21日栃木県で3人兄弟三男として材木商を営む両親の間に生まれた母親はIが幼少期の頃に亡くなり2人の兄とは10歳以上歳が離れていて、Iが小学生だった時には独立した為、以後父親暮らしていた。学校記録等によると、Iは幼少時から小学生になるまではおおむね活発と見られいたものの、Iが小学生になると自分言い分通らない大声出したり、乱暴しようとしたりするなどの評価受けている。また、中学生時に言動粗野である等の評価をされている。Iは中学校入学後中学1年生の時は勉強部活動熱心に取り組んでいたが、中学2年生の頃から不良と絡むようになったり、禁煙をしたり、原付窃盗するなどの問題行動見られるようになり、Iが中学3年生の頃にはシンナー吸引始めた。Iは高校入学後間もないうちに校内での暴力行為などが問題となり、謹慎処分受けたその頃からIはシンナー毎日のように吸うようになり、21歳頃までシンナー吸引続けていた。さらに16歳17歳の頃には大麻の使用初め、これも26歳頃まで続けていた。高校1年生夏休みからは内装アルバイト始めその後間もなく高校中退した。Iは内装仕事真面目にしていたが、暴走族加入して18歳頃には総長となり、暴走族引退した後の19歳頃には暴力団組員となったまた、Iが17歳時の1992年9月にはシンナー傷害事件検挙され観護措置経て保護観察処分受けた。そしてIが17歳の頃に当時交際していた女性同棲生活を始めたが、その頃から女性対し殴る蹴るなどの暴行毎日のように振るっていた。20歳時には女性妊娠し21歳時には子供産まれ女性入籍した後も変わらず暴力振るっていた為に、Iが22歳時に離婚した。Iが23歳時に父親倒れて入院し以後は再び父親同居するようになり、その頃から内装業の仕事をするようになった。Iは19歳の時から覚せい剤初め1、2年間毎日のように使用しその後辞めたものの、Iが25歳から26歳時に再開し27歳の頃には覚せい剤を使う頻度増えていった。その影響からか、Iは20歳後半になる頃までに「暴力団E会総裁のEは自分のおじであり、自分は裏で日本支配している『偉大な富士家』の跡目である」といった妄想形成され本事件第一審まで妄想変化していない。さらに28歳から29歳の頃からはお経子供泣き声幻聴聞こえるようになり、さらには腕立て伏せをしろ」「下の家に行け」といった自分自身に対して命令する幻聴まで聞こえるようになっていた。Iはこの幻聴覚醒剤多用しているせいで発生している物だと自覚していたが、Iはこの幻聴から逃れる為にさらに覚醒剤の量を増やしていった。Iが30歳の時である2006年8月当時Iは父親自宅アパート2階住んでいたが「下に行け」という幻聴聞こえた為にアパート1階別の部屋訪れ住民通報された。そしてその際覚せい剤使用発覚した為に同年4月には覚せい剤使用及び所持の罪で懲役1年6ヶ月執行猶予3年判決言い渡された。Iは同判決受けた後、上記アパート部屋戻ったが、その1ヶ月半後には覚せい剤使用再開同年6月には下の部屋から物音聞こえたり叫び声聞こえたとして、下の部屋行って苦情言ったためにまたもや住民通報され覚せい剤使用発覚した。そして同年9月には懲役1年4ヶ月実刑判決を受け、服役する事となった。Iは服役中喧嘩口論で5回懲罰受けている。Iは2009年6月服役終えて、再び内装業の仕事始めたが、翌年2010年5月初め頃にはまたもや覚せい剤購入し3回分けて使用した。そして同月15日に「下の部屋行けば富士家の事について話が通っている」という幻聴従い、下の部屋行ったところ、同部屋住民から「警察を呼ぶ」と言われ為に車で逃走した。そして「市役所行け」という幻聴に従って市役所行き、さらに「市長会えばB(父親の名前)の事で話が通っている」などの幻聴聞き市役所居た警備員市長会わせるように求めたが、今日会えないと言われ為に警備員暴行振るい、Iは逮捕された。そして2011年8月には懲役1年10ヶ月実刑判決受けて、再び服役する事となった。Iは服役中精神処方されていた。

※この「加害者I」の解説は、「大阪心斎橋通り魔殺人事件」の解説の一部です。
「加害者I」を含む「大阪心斎橋通り魔殺人事件」の記事については、「大阪心斎橋通り魔殺人事件」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「加害者I」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「加害者I」の関連用語

加害者Iのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



加害者Iのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日置市5人殺害事件 (改訂履歴)、大阪心斎橋通り魔殺人事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS