内政面
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「信長の野望・武将風雲録」の記事における「内政面」の解説
本作では1年を12ヶ月に分け、ひと月ごとにターンが進む。1月は金、7月は米が税収として補充され、その金額はプレイヤーが税率を設定することである程度の増減が可能となっている。また俸禄という概念があり、武将と兵士には税収月に自動的に俸禄を支払うことになる。武将や兵士を雇い過ぎると俸禄を払いきれず赤字になり、支払い切れなかった分の兵士は逃亡し、武将の忠誠度は下がる。 内政はコマンドで石高や治水度などの各種パラメータを伸ばす方式となっている。石高・治水・商業などは数値を直接上げるコマンドが存在するが、民忠誠度は直接上げるコマンドが無く、税収時に税率を低く設定すると上がるほか、開墾・治水・町投資のコマンドを実行したときにその効果に付随して1上がることがある程度で、民忠誠度はかなり上げにくいパラメータとなっている。 開発コマンド実行時には忠誠度が100ではない家臣が「ここはぜひ拙者にお申し付け下され」と願い出ることがあり、任せて内政が成功すればその家臣の忠誠度が1上がる。ただし、叛意を抱く武将が願い出ると、その武将が大名に斬りかかって来ることもある(乱心)。大名が撃退するとその武将は浪人となるが、かなりの確率で大名は殺される(大名殺害に成功した場合でもその武将は家臣として残る)。叛意は忠誠度・義理が低く野望の高い武将が抱きやすいが、意図的に家臣の茶器(茶道道具、後述)を没収してもその家臣は叛意を抱く。いずれも忠誠度を100に上げても忘れることはなく、謀反を起こすか、他大名の隣接国にいる場合は他大名に寝返るかするまで忘れない。なお他大名家に寝返る際は、領内の兵や茶器を持ち逃げされる場合がある。
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内政面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/14 07:01 UTC 版)
前作と同じく箱庭型内政のゲームだが、前作では内政(開発・建設)時には1人ずつ命令を出さなければならずユニットの管理が面倒な部分があった。本作では複数の武将をまとめて内政担当に指定できるようになった。 その他の前作からの変更点としては次のようなものがある。 任意の場所に支城を築けるようになった。隠し要素として特定の場所に築くことで特殊な山城を造れる。 本城よりも小規模ながら支城周辺の内政が可能になった。 兵糧か金銭収入が得られる特産品が生産可能になった。内容は各国毎に異なる。 街道敷設が可能になった。 このように、内政の自由度が向上しているが、本城と支城の切り替えはできない。道造りについては、ゲームの主目的である全国統一などを度外視して、全国津々浦々に道造りをしていくという楽しみ方も可能になっている。 また、前作に引き続き、攻城などを行う軍勢ユニットも、内政と同一マップ上で行動するシステムとなっている。このほかに、外交や調略を行う際、これに関わる2ヶ国間が地理的に遠く離れていれば離れているほど、コマンドの選択から実行までのタイムラグが大きくなるという変更が行われた。これも箱庭マップシステムの延長線上にある仕様となっている。例えば、九州の薩摩から東北の陸奥まで外交するのにコンシューマ版で6ヶ月、パソコン版で9ヶ月かかる。
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内政面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 08:23 UTC 版)
後北条氏は内政に優れた大名として知られている。早雲以来、直轄領では日本史上最も低いと言われる四公六民の税制をひき、代替わりの際には大掛かりな検地を行うことで増減収を直に把握し、段階的にではあるが在地の国人に税調を託さずに中間搾取を排し、また飢饉の際には減税を施すといった公正な民政により、安定した領国経営を実現した。江戸期に一般化する村請制度のさきがけと言える。 また、家督を継承するにあたっては、正室を重んじることにより、廃嫡騒動やそれに起因する家臣団の派閥化といった近隣諸国では頻繁に見られる内部抗争や離反を防ぐことに成功。さらにその結果として宗家のほとんどが同母兄弟となり、その元に構成された一門と家臣団には強い絆が伴った。ただし、近年の研究では系譜上は正室の子とされていた者が実際には側室の子であったことが判明しているケースも多いことに注意を要する(北条氏邦・千葉直重など)。 東国において、古河足利氏、両上杉氏、佐竹氏など血統を誇って同族間での相克を繰り返し国人の連合を戦力とした旧体制に対して、定期の小田原評定による合議制や虎の印判による文書官製など創業時の室町幕府系家臣団由来による制度の整った官僚制をもって力を蓄えた。飢饉の年には家督を代替わりすることによって徳政令を出すという施政も見受けられた。
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