価格推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:53 UTC 版)
オートモ号の生産には1台あたり2,500円くらいの費用がかかっており、それを1,500円前後で販売したため、1台売る毎におよそ1,000円の赤字を出していた。白楊社社長の豊川は国産車に販売台数に応じて補助金を出すよう当時の日本政府に求めたが叶わず、父親から相続した財産から差額を補填していた。 下記の価格は広告等で記載されているオートモ号の定価である。発売された1924年当時、自動車は定価を公表せずに売るのが一般的で、定価を公表して売るのは珍しかった。1925年10月に森村洋行が購入した3人乗り幌型が「1,380円」であったことからも、場合によっては販売時の値引きをしていたものと思われる。 時期フェートン(3人/4人乗り幌型)セダン(4人乗り箱型)ロードスター(2人乗り幌型)バン(運搬車)シャシ補足出典空冷943cc (販売期間:1924年11月~1927年春)1924年(大正13年) 11月 1,780円 – – – – 特別塗装車は1,850円 12月 1,580円 – 1,450円 1,550円 1,380円 1925年(大正14年) 11月 1,280円 1,590円 1,250円 1,280円 1,150円 ~1927年 空冷1,331cc (販売期間:1927年春~同年8月頃)1927年(昭和2年) 2月 1,385円 1,885円 1,335円 1,385円 – 以降、運搬車はトラック型 3月 985円 1,335円 965円 985円 – 水冷1,487cc (販売期間:1927年8月頃~1928年春)1927年(昭和2年) 10月 1,485円 1,785円 1,435円 1,435円 – 価格水準 当時、大学卒業者(エリート)の初任給は報酬が特に高い者でも50円から70円であり、オートモ号1台の価格はそうしたエリートにとっても年収の2、3年分に相当する額だった。 オートモ号の維持費は当時の乗用車としては最も低廉であったとされるが、それでも、月に600マイル(約965キロメートル)走る場合で、燃料や消耗部品だけで30円ほどの費用を要したとされ、当時としては安価な車だったが、(日本車では戦後現れる概念である)「大衆車」とは全く呼べないものだった。 オートモ号の価格と当時の時代背景 当時の日本は「舶来品は品質が高く、日本の国産品は品質が低い」ということ(舶来万能)が常識とされていた時代であり、特に自動車のような工業製品は、国産品を輸入品(輸入車)と同じ価格で販売できる環境にはなかった。 オートモ号が発売された1924年当時、外国車はまだ完成車輸入が中心で、価格は10馬力程度の小型のシトロエン輸入完成車が3,650円、同じくシボレーは3,020円ほどで、これくらいの値段が当時の完成車輸入の限界価格であったらしいと考えられている。当初のオートモ号の価格はそうした背景と採算を踏まえて充分に安価に設定されたもので、発売から1年経った1925年11月の時点で豊川は「我オートモ号は今日工場の償却費を計算しなければ1,580円で採算が出来ようかと思わるる位までに進んで来た、これを1,280円に引下ぐると3、400円の損失が生ずる。」と述べている。 こうした状況はフォードとゼネラルモーターズ(GM)が日本国内でノックダウン生産を開始したことにより一変した。1925年2月に設立された日本フォード社は時を置かずに横浜工場を操業開始し、1926年には5人乗り幌型のT型を1,475円で販売していた。1927年初めに大阪工場を稼働させたGMも、ノックダウン生産したシボレーを2,000円を切る価格で販売。対抗して、フォードは、1927年にT型からA型に移行する際に、既に償却済みのT型の価格を大幅に引き下げて販売した(A型も値下げ前のT型と同じ価格で発売した)。両者の販売合戦は価格設定だけではなく、1925年には、10台以上のフォード車を所有する者には消耗品となる部品類を15%割引で販売するという特典を日本フォード社は導入したりもしている。これは大口顧客を優遇する「姑息の販売手段」であり、「世界のフォードが経営する同社が左様な貧弱な区々たる策を用いてよいものでありましょうか」と一般消費者から批判を受けたりもしている。 日本を舞台にした2社の争いに巻き込まれ、日本の自動車メーカーは、トラック製造などで陸軍からの保護(軍用自動車補助法)を受けた少数のメーカーを除いて消滅していくことになる。白楊社閉鎖後のことになるが、フォード、GMに、1930年(昭和5年)に進出したクライスラーも加え、日本で製造組立される自動車の97%が大量生産のアメリカ車で占められるに至り、その状況は、当時の日本政府が自国の自動車産業保護に動き、1936年(昭和11年)の自動車製造事業法施行等の影響で米国の3社が日本から撤退するまで続くことになる。
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