020
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第7話「古城よりの招待状」に登場。通称ジェット。Mr.リヴェンジの招きに応じてリヴェンジ城にやってきたウエストブロックのスパイ達のリーダー。002が髭を生やして壮年になった容姿の持ち主。5年前ベルリンでイーストブロックのムーアヘッドと銃撃戦になり、誤ってMr.リヴェンジの恋人・マリアを撃ち殺してしまったという過去を持つ。ムーアヘッドと共にMr.リヴェンジに処刑される。
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020
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 05:33 UTC 版)
1990年シーズンに実戦投入した019に引き続いてアンヘドラルウイングを採用。フロントダンパーは018以来継続するモノショック方式。 エンジンはカスタマー仕様のフォードDFR (V8) に代わり、ホンダのワークスV10エンジンを獲得。中嶋のイニシャルである「SN」を含めた「RA101E-SN」と命名。バタフライスロットルから中嶋の好みであるスライド式に変更。前年のチャンピオンエンジンを搭載して、さらなる速さを追及した。しかしパワーはあるものの、DFRエンジンよりも数十kg重いホンダエンジンを積んだことによりマシン全体の重量バランスが崩れ、主に駆動系のトラブルなどが多く発生し、ホンダエンジンのパワーを活かしきれているとは到底言い難いマシンであった。背景にはチームの資金力の問題が有り、後に中嶋が語ったところでは「エンジンがV8からV10に変わることに対して、シャシーのすべてを一新するだけの資金力はなかったんです」との事情があった。 また、この年に行われたレギュレーションの変更が大きな影響を与えた。フロントウイングの幅が1990年よりも100mm縮小されたためにフロントのダウンフォースが不足気味となった。さらにピレリタイヤのグリップ不足も常に問題となった。この他にもモノコックの製造不良に起因する問題もあり、ドライバーのモデナによれば「7月中旬にシルバーストンで、ある偶然から剛性が足りないものがいくつかあることがわかった」という。ただ、ジョージ・ライトンは「エンジンとシャーシはかなり優れたパッケージングであったが、マクラーレンを脅かし始めたモナコ以降、明らかにホンダエンジンはパワーダウンした。計算によるとその差は20〜30馬力ほど。彼らは決して認めないだろうが、戦略的な判断があったのは間違いない。これに関してチームでミーティングを行った際、ハーベイの顔には激しい怒りが見てとれた」と語っている。 結局このシーズンは入賞は両ドライバー合わせて4回にとどまった。 1990年夏にホンダエンジンの獲得が決定したとき、当時のテクニカルディレクターであったハーベイ・ポスルスウェイトが、「ケン(・ティレル)には、020に搭載するエンジンはフォードHBエンジンを選んでほしかった」と語っていた。1991年シーズンにHBエンジンを搭載したジョーダン・191が快走を見せたことから、ポスルスウェイトの指摘は間違いではなかった。 1992年シーズンオフテストでは無限ホンダがF1参戦に向け、エンジンを無限ホンダV10エンジンに換装した真っ白なテストカーが登場した(テストドライバーを務めたのは鈴木亜久里)。
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