作風と思想とは? わかりやすく解説

作風と思想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 07:58 UTC 版)

モーリス・ブランショ」の記事における「作風と思想」の解説

ブランショは、その文学的営為根本において、マラルメフランツ・カフカから多大な影響受けた日常的な言葉物事情報道具的に交換するための言葉)ではない本質的な言葉として文学的言語考えたマラルメ視点、また本質的な言葉によって創られた純粋な作品においては語り手書き手消滅して「語に主導権を譲る」というマラルメ考えは、ブランショ創作において文学思想においても決定的な重要性持っている同様にカフカ日記ノート書き記した様々な記述例えば死や非人称的なものと書くこととの密接な関わり記した箇所や、「私」から「彼」への移行によって文学豊かさ経験した記した箇所などからも、ブランショ絶大なインパクト受けている。この二人からの影響継承し、また友人たちや他の文学者思想家たちと交流し感応しながらブランショ小説において批評においても独自の地歩達成していった。 小説について、『謎の男トマ』や『アミナダブ』、『至高者』などの初期の作品では、ジャン・ジロドゥーカフカ影響見られ、一応は小説的ありつつも既に従来リアリズムからの逸脱転倒起きている。また、これらの作品での主人公体験する彷徨紆余曲折が、ブランショ文学批評における「書き手彷徨」や「死を潜ること」と対応していると見る評者もいる。『死の宣告以降はさらに伝統的リアリズムからの離脱進み作品簡約化簡潔化が進むと共に次第登場人物固有名明かされない傾向強くなっていく(1950年刊行された『謎の男トマ改訂版大幅な削除短縮が行われたことに、このような作風の変遷典型的に表れているとされる)。名前のわからない1人称語り手による回想という形式作品いくつか続くなかで、作品突き詰めはいっそう進み、『期待 忘却』では物語そのもの断片化断章化されそのなかで名前の無い男女の対話おこなわれるという形をとる。晩年最後の作『私の死の瞬間』では語り手自身問いかけ孕んだ簡潔な筆致によって一人の男の銃殺されかかる体験ブランショ自身実体験である)が記された。 文学思想においては前述マラルメカフカをはじめ、ライナー・マリア・リルケフリードリヒ・ヘルダーリンアルベール・カミュハーマン・メルヴィルなどさまざまな作家詩人批評通して、自らの思想提示した日常の活動的な「営み」から逸脱した無為」として文学活動捉え、その無為のさなかで作家は自らの死に臨み、死を前にして自らを支配し続け顕現する非人称的なもののさなかを潜り、まさに「文学空間」を彷徨うのだ、それが書くということなのだと語るブランショは、その行為オルペウス冥界下りなぞらえている(このオルペウスというモチーフマラルメ経由している)。神秘神学ユダヤ思想とも共鳴しながら提示されブランショ文学思想は、それまでの「創作とは何か」ということについての考え大きな変化もたらすとともにロラン・バルトの『エクリチュール零度』と並んで現代思想におけるエクリチュール問題前景化に多大な役割果たしたまた、ブランショは、文学理論家とだけ見られることも多いが、その思想射程はずっと広範囲わたっている。たとえば、ブランショは、死について死においては〈私〉が死ぬのではなく〈私〉は死ぬ能力失っている」と考えバタイユとともに死を「経験できないものの経験」「不可能な経験」として論じた最初世代である。[要出典]また『文学空間以降ナチス加担したハイデッガー哲学への内在的批判継続的に続けた。『友愛』などでの友愛についての論考、『明かしえぬ共同体』での共同体及び共同性についての思索も重要であるほか、現代思想における主体批判それ以降思想の向かう先をそれぞれの思想家論じた評論集主体の後に誰が来るのか?』にも参加している。マルクス主義・共産主義対す論考でも重要な論点示しており(ブランショ共産主義対し批判しつつも避けがたい重要な課題だと考え両義的態度とっていた)。ダニエル・ベンサイードは、『友愛』のなかでブランショカール・マルクスについて述べた箇所を「過去多く注釈テーゼよりも、はるかに多く語っている」と讃えた。また、デリダは、『マルクス亡霊たち』の中で、ブランショ提起した問題論じている。晩年には、エマニュエル・レヴィナス哲学ユダヤ思想への傾倒強めミシェル・フーコーが『自己への配慮』などの著作講義などで古代ギリシャ取り上げたことに対して、それはヘブライでもよかったではないかと書き記したフーコー青春時代回顧して「僕はブランショになろうと熱望していた」と述懐し、また『外の思考』などの著作においてブランショ言及していることや、ジル・ドゥルーズが「ブランショこそが死の新し概念作り上げた」と称賛していることは注目すべきであるジャック・デリダも、その文体からしてブランショ圧倒的影響下にあり、『滞留』や『境域』などの著作で、ブランショ言及している。また、日本の哲学者田邊元も、晩年に「マラルメ論」を執筆する際、前年出版されていたブランショの『文学空間』を取り寄せ精読していた。また、ブランショ友人であったエマニュエル・レヴィナスは、ブランショに関する論考(『モーリス・ブランショ』として出版)を発表している。

※この「作風と思想」の解説は、「モーリス・ブランショ」の解説の一部です。
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