主砲口径と火力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 02:05 UTC 版)
艦上に多くの砲を搭載するよりも、個々の砲の威力を増すことの方が容易だった。それを実現するには、砲の口径を増して結果として弾丸の重量を増すやり方と、砲身長を伸ばして砲口初速を上げるやり方とがあった。これらのいずれの方法でも、射程を延ばし、また貫徹力を上げる事ができた。 どちらの方法にも長所と短所があったが、一般的に言って砲口初速が増せば砲身の磨滅も早くなった。発射するたびに砲身は擦り減り、正確さが失われて、結局交換が必要となる。当時このことは問題とみなされ、アメリカ海軍は1910年、砲身の磨滅のため、重砲の実射をやめる事を真剣に検討したほどである。砲が大型化することの不利な点は2つあった。一つは砲と砲塔の重量が増すことであり、二つ目は、重くて遅い砲弾は同じ射程でも高い角度で発射しなければならないということで、これは砲塔の設計にも影響した。しかし、口径を広げること大きな利点は、重い砲弾は空気抵抗による初速の低下影響が少なく、そのため長距離を飛んでも貫徹力を保っていられるということだった。 砲の口径の決定についての結論は国によって異なった。例えばドイツ海軍は、一般に同等のイギリス艦より小さい口径の砲を用いた。イギリスで13.5インチ (343 mm) 砲が標準となっている時期にドイツ海軍は12インチ (305 mm) 砲を使用した。しかしドイツの冶金学はイギリスより優れていたので、ドイツの12インチ砲の弾丸重量と砲口速度はイギリスの12インチ砲より勝り、砲身の磨耗度も少なく散布界も小さかった。ドイツの12インチ砲はイギリスの13.5インチ砲より軽かったので、ドイツ戦艦はより多くの重量を装甲に割く余裕があった。 しかしながら全体として砲の口径は増加する傾向にあった。イギリス海軍では、1910年進水のオライオン級で10門の13.5インチ砲をすべて中心線上に置き、1913年進水のクィーン・エリザベス級には15インチ (381 mm) 砲8門を装備した。すべての海軍において、砲の口径は増大し、その引き換えに門数は減少する傾向があった。必要とされる砲の数が減ったことでその配置は問題とならなくなり、砲塔の中心線上配置は当り前のこととなった。 第一次世界大戦終了後に設計され、起工された戦艦にはさらなる変化が加えられていた。1917年の日本の長門型戦艦は16インチ (41 cm) 砲を装備しており、これには直ちにアメリカ海軍のコロラド級が追随した。日本もイギリスも18インチ (457 mm) 砲を備えた戦艦を計画していたが、ワシントン海軍軍縮条約はそれらの巨砲艦を製図板から排除した。 ワシントン海軍軍縮条約は戦艦の主砲の口径を16インチ (406 mm) 以下に制限した。この制限を11インチ (279 mm)、12インチ (305 mm) または14インチ (356 mm) に制限する縮小案も提案されたが、その後の条約もこの制限数値を維持した。この制限を超える唯一の戦艦は、条約失効後に建造された日本の大和型のみであり、口径46 cm(18.1インチ)の主砲を搭載した。第二次世界大戦中期に起工されたイギリス最後の戦艦ヴァンガードはクィーン・エリザベス級の予備として保管されていた15インチ (381 mm) 砲を搭載した。 第二次世界大戦期に設計された艦には、さらに巨大な砲への移行を目指していたものがある。ドイツのH級戦艦は508 mm砲の搭載を考えており、ヒトラーがさらに口径を609 mm以上とすることを望んだという証拠もある。日本の超大和型戦艦も51 cm砲を予定していた。しかしこれらはいずれも予備設計以上には進展しなかった。
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