【ワシントン海軍軍縮条約】(わしんとんかいぐんぐんしゅくじょうやく)
第一次世界大戦終結後の1922年、アメリカの首都・ワシントンDCで締結された、列強諸国の海軍力(特に戦艦・巡洋戦艦・航空母艦)増強を制限した多国間条約。
(単に「ワシントン条約」と表記した文献もあるが、この表記では全く別の条約と混同してしまう恐れがあるため注意が必要である)
この時代、列強各国では工業技術の急速な進歩により強力な戦艦が次々と建造されていたが、特に日本とアメリカでは「八八艦隊計画(日)」、「三年計画艦隊(米。別名"ダニエルズプラン")」という大規模な艦隊整備計画が進行していた。
しかしこれらは、国家の経済規模を度外視する破天荒なものであったことから、アメリカのハーディング大統領の提唱により戦勝5ヶ国(米・日・英・仏・伊)が先導して海軍の軍縮を行うこととなった。
この条約は、発効した時点で参加各国が建造中の戦艦・巡洋戦艦全ての建造を中止、廃棄処分した上で、戦艦・空母の(排水量ベースでの)保有比率を5(米英):3(日):1.75(仏伊)とした。
その詳細は次の通りである。
艦種 | 合計排水量 (単位・万トン) | 1隻あたりの基準排水量 | 装備できる艦載砲 |
戦艦・巡洋戦艦 | 米:50 英:同上 日:30 仏:17.5 伊:同上 | 3万5000トン以下 | 16インチ以下 |
空母 | 米:13.5 英:同上 日:8.1 仏:6 伊:同上 | 2万7000トン以下 ただし2隻に限り3万3000トン以下 | 8インチ以下 (ただしいくつかの例外措置あり) |
巡洋艦 | 規定なし | 1万トン以下 | 5インチ以上8インチ以下 |
駆逐艦 | 規定なし | 5インチ以下 | |
その他の艦船 | 1万トン以下 | 8インチ以下 |
この線に沿って各国が廃棄すべき艦のリストが作られたが、日本はこの中に「長門」級2番艦「陸奥」が含まれていることを問題とした。
日本側は(後述の通り)「完成済み」であると主張したのに対し、英米は「未完成」として譲らず紛糾したが、最終的に日本の「陸奥」保有を認める代わりに、アメリカには廃棄の予定だった「コロラド」級2隻(ウェスト・ヴァージニア、メリーランド)を建造することが認められ、また、英国には16インチ砲搭載の新造艦2隻(ネルソン、ロドネイ)の建造が認められた。
この結果、16インチ砲を搭載した戦艦は世界で7隻だけとなり、後に「ビッグセブン」と呼ばれることになった。
また、上記の保有制限を満たすために艦齢の古い(概ね就役から10年以上経っていた)旧式戦艦も同時に廃棄されることとなっており、ここでも日本の「三笠」が廃棄されることになったが、こちらは「再就役不可能な状態にする」ことを条件に記念艦としての保有が認められている。
この条約により戦艦の保有・新規建造が制限され、「ネイバル・ホリデー(海軍休日)」と呼ばれる時代を迎えることになったが、その後、各国は巡洋艦や駆逐艦・潜水艦といった補助艦艇の整備に注力することとなり、結果的には更なる軍拡を招いてしまったため、後年、これら補助艦艇の保有をも制限する「ロンドン海軍軍縮条約」が締結されることとなった。
1934年12月、日本が条約の破棄を通告したため、1936年に本条約は失効した。
日本は同年1月にロンドン海軍軍縮条約からも脱退しており、これ以後、世界は1945年の第二次世界大戦終結まで、際限なき軍拡競争の時代に突入することになった。
関連:ネイバル・ホリデー ロンドン海軍軍縮条約 条約型巡洋艦
本条約による日本の戦艦・巡洋戦艦の処遇
本条約の締結前、日本海軍が保有・建造中であった戦艦・巡洋戦艦について、本条約の発効によって取られた処遇を次に述べる。
余談
ワシントン海軍軍縮条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 13:49 UTC 版)
ワシントン海軍軍縮条約(ワシントンかいぐんぐんしゅくじょうやく)は、1921年(大正10年)11月11日から1922年(大正11年)2月6日までアメリカ合衆国のワシントンD.C.で開催されたワシントン会議のうち、海軍の軍縮問題についての討議の上で採択された条約。
注釈
- ^ 事実、陸奥は10月24日完成ということになっているが、実際には突貫工事をしたが間に合わずに一部未完成のまま海軍に引き渡されている。
- ^ 合計門数で見ても、アメリカの12インチ砲44門・14インチ砲124門・16インチ砲8門の計176門に対し日本は12インチ砲12門(片舷指向8門・口径不揃い)・14インチ砲80門・16インチ砲8門の100門の対米比約56.8パーセントからアメリカの12インチ砲24門・14インチ砲124門・16インチ砲24門の計172門に対し日本は14インチ砲80門・16インチ砲16門の96門と、対米比55.8パーセントと圧倒的な劣勢となっており、廃艦となった戦艦(アメリカのデラウェア級戦艦2隻、イギリスのサンダラーとキング・ジョージ5世級戦艦3隻、日本の摂津)を考慮しても日本が圧倒的に不利になっている。
- ^ 条文は「現状維持」であり、禁止されたのは基地機能の「強化」である。
- ^ 好評価とも、あるいは戦いのみを意識した、無骨一辺倒な作りに対する揶揄であるとも言われる。
- ^ 英国の巡洋艦に比べて、日本の巡洋艦の居住性の悪さを皮肉った発言といわれている。
- ^ デモは全米2万5千人が参加したが(ナショナル・ステューデント・リーグ)、日本国内報道は低調だった。すなわち同日には政友会代議士の岡本一巳が小山松吉法相誣告事件(お鯉事件)で逮捕された。スピン (パブリック・リレーションズ)、情報統制、プロパガンダを参照。
- ^ 条約第23条には「notice of termination」とあるが、「条約廃棄」と教えている日本の歴史教科書もある。たとえば、『中学社会 歴史』(教育出版株式会社。文部省検定済教科書。中学校 社会科用。平成8年2月29日文部省検定済。平成10年1月10日印刷。平成10年1月20日発行。教科書番号 17 教出・歴史 762)p.249の脚注には「日本は, さらに, 1934年にはワシントン軍縮条約の廃棄をアメリカに通告し, 1935年にはロンドン軍縮会議から脱退した(←p. 229)。」と書かれている。ただ、この教科書のp.229では、「ロンドン会議」という言葉が使われていて、語句の釣り合いがとれていない教科書である。また、『日本史B 新訂版』(実教出版株式会社。文部科学省検定済教科書。高等学校地理歴史科用。平成9年3月31日検定済。平成14年1月20日印刷。平成14年1月25日発行。)p.317の脚注には「日本は1934年12月, ワシントン条約廃棄を通告し, 第2次ロンドン海軍軍縮会議から1936年1月に脱退して, 同年末, ワシントン・ロンドン両条約は満期失効した。」と書かれている。
出典
- ^ 1923年(大正12年)8月17日外務省告示第34号「海軍軍備制限ニ關スル條約竝太平洋方面ニ於ケル島嶼タル屬地及島嶼タル領地ニ關スル四國條約及同條約追加協定ハ全部批准寄託ヲ了ス」
- ^ a b c d e f g "ワシントン海軍軍縮条約". 旺文社日本史事典 三訂版. コトバンクより2024年3月6日閲覧。
- ^ a b 条約24条
- ^ グレンフェル 2008, p. 32.
- ^ グレンフェル 2008, p. 31.
- ^ グレンフェル 2008, pp. 32–33.
- ^ グレンフェル 2008, p. 34.
- ^ 時事年鑑 昭和10年版
- ^ 『正義』1934年9月号.
- ^ 1934年(昭和9年)12月30日外務省告示第126号「海軍軍備制限ニ關スル條約廢止通告」
- 1 ワシントン海軍軍縮条約とは
- 2 ワシントン海軍軍縮条約の概要
- 3 背景
- 4 条約の影響
- 5 条約の拡張と失効
- 6 参考文献
固有名詞の分類
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