【条約型巡洋艦】(じょうやくがたじゅんようかん)
1920年代のワシントン海軍軍縮条約締結後、英国・アメリカ・日本などの列強各国海軍が建造した巡洋艦の通称。
ワシントン軍縮条約では、それまで海軍の主力とされてきた戦艦の建造こそ凍結させられたものの、戦艦に準ずる主力戦闘艦艇である巡洋艦については「備砲8インチ以下・基準排水量1万トン以下」と定められただけで、その保有数に制限はなかった。
そこで条約参加各国は、条約に認められた範囲内で巡洋艦の戦力増強に走ることになったが、その設計には、各国の海軍戦略が大きく反映された。
以下にその特徴をあげる。
- 日本:乗員の居住性を犠牲にして攻撃力(備砲・魚雷兵装)の増強にあてた。
- 米国:日本と同様に攻撃力を増強させる設計であった。(ただし魚雷兵装については減らされる方向であった)
- 英国:攻撃力と装甲を削り、その分を航続力と乗員の居住性向上にあてた。
- フランス・イタリア:当初は速力重視→その後、攻撃力・防御力重視の艦に変更。
このように、各国が条約の「抜け道」をつく形で戦力増強を進めていったことで更なる軍拡が進行したため、巡洋艦以下の艦種の建造を制限する「ロンドン海軍軍縮条約」が後に締結されることとなった。
「条約型」と呼ばれる艦の代表的なものには、「妙高」級(日本)、「ケント」級(英国)、「ペンサコラ」級(米国)などがある。
ワシントン海軍軍縮条約
(条約型巡洋艦 から転送)
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ワシントン海軍軍縮条約(ワシントンかいぐんぐんしゅくじょうやく)は、1921年(大正10年)11月11日から1922年(大正11年)2月6日までアメリカ合衆国のワシントンD.C.で開催されたワシントン会議のうち、海軍の軍縮問題についての討議の上で採択された条約。
注釈
- ^ 事実、陸奥は10月24日完成ということになっているが、実際には突貫工事をしたが間に合わずに一部未完成のまま海軍に引き渡されている。
- ^ 合計門数で見ても、アメリカの12インチ砲44門・14インチ砲124門・16インチ砲8門の計176門に対し日本は12インチ砲12門(片舷指向8門・口径不揃い)・14インチ砲80門・16インチ砲8門の100門の対米比約56.8パーセントからアメリカの12インチ砲24門・14インチ砲124門・16インチ砲24門の計172門に対し日本は14インチ砲80門・16インチ砲16門の96門と、対米比55.8パーセントと圧倒的な劣勢となっており、廃艦となった戦艦(アメリカのデラウェア級戦艦2隻、イギリスのサンダラーとキング・ジョージ5世級戦艦3隻、日本の摂津)を考慮しても日本が圧倒的に不利になっている。
- ^ 条文は「現状維持」であり、禁止されたのは基地機能の「強化」である。
- ^ 好評価とも、あるいは戦いのみを意識した、無骨一辺倒な作りに対する揶揄であるとも言われる。
- ^ 英国の巡洋艦に比べて、日本の巡洋艦の居住性の悪さを皮肉った発言といわれている。
- ^ デモは全米2万5千人が参加したが(ナショナル・ステューデント・リーグ)、日本国内報道は低調だった。すなわち同日には政友会代議士の岡本一巳が小山松吉法相誣告事件(お鯉事件)で逮捕された。スピン (パブリック・リレーションズ)、情報統制、プロパガンダを参照。
- ^ 条約第23条には「notice of termination」とあるが、「条約廃棄」と教えている日本の歴史教科書もある。たとえば、『中学社会 歴史』(教育出版株式会社。文部省検定済教科書。中学校 社会科用。平成8年2月29日文部省検定済。平成10年1月10日印刷。平成10年1月20日発行。教科書番号 17 教出・歴史 762)p.249の脚注には「日本は, さらに, 1934年にはワシントン軍縮条約の廃棄をアメリカに通告し, 1935年にはロンドン軍縮会議から脱退した(←p. 229)。」と書かれている。ただ、この教科書のp.229では、「ロンドン会議」という言葉が使われていて、語句の釣り合いがとれていない教科書である。また、『日本史B 新訂版』(実教出版株式会社。文部科学省検定済教科書。高等学校地理歴史科用。平成9年3月31日検定済。平成14年1月20日印刷。平成14年1月25日発行。)p.317の脚注には「日本は1934年12月, ワシントン条約廃棄を通告し, 第2次ロンドン海軍軍縮会議から1936年1月に脱退して, 同年末, ワシントン・ロンドン両条約は満期失効した。」と書かれている。
出典
- ^ 1923年(大正12年)8月17日外務省告示第34号「海軍軍備制限ニ關スル條約竝太平洋方面ニ於ケル島嶼タル屬地及島嶼タル領地ニ關スル四國條約及同條約追加協定ハ全部批准寄託ヲ了ス」
- ^ a b c d e f g "ワシントン海軍軍縮条約". 旺文社日本史事典 三訂版. コトバンクより2024年3月6日閲覧。
- ^ a b 条約24条
- ^ グレンフェル 2008, p. 32.
- ^ グレンフェル 2008, p. 31.
- ^ グレンフェル 2008, pp. 32–33.
- ^ グレンフェル 2008, p. 34.
- ^ 時事年鑑 昭和10年版
- ^ 『正義』1934年9月号.
- ^ 1934年(昭和9年)12月30日外務省告示第126号「海軍軍備制限ニ關スル條約廢止通告」
- 1 ワシントン海軍軍縮条約とは
- 2 ワシントン海軍軍縮条約の概要
- 3 背景
- 4 条約の影響
- 5 条約の拡張と失効
- 6 参考文献
条約型巡洋艦
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「ワシントン海軍軍縮条約」の記事における「条約型巡洋艦」の解説
上記にあるように、条約締結の結果戦艦新造が不可能になった各国は、条約の抜け道とも言える補助艦、特に戦艦に準ずる存在となった重巡洋艦の新造を進めることとなる。しかし、排水量と搭載砲が決められていたので、その範囲内での建造にしのぎを削ることとなり、この時期の巡洋艦を「条約型巡洋艦(以下条約型)」と呼ばれることとなる。 この条約型を含めた補助艦は各国それぞれ特徴がある。 日本は出来る限り攻撃力を上げるため、魚雷装備を充実させた。主砲は、当初は重巡洋艦古鷹型同様20センチ(7.9インチ)砲であったが、他国の条約型に対抗するために条約で定められている8インチ(20.3センチ)砲を装備した。一方で居住性は犠牲になった。その火力重視の設計は、英国の観艦式に参加した重巡洋艦足柄で「飢えた狼」、または「我々は初めて軍艦(ウォーシップ)を見た。今まで我々が乗っていたのは客船(ホテルシップ)だった」と評価された。 米国は日本と異なり砲力を重視し、最初は制限いっぱいの10門の主砲を搭載したが、後に防御力とのバランスを考慮し9門に減じた(ただし日本以外の国の巡洋艦よりは勝っている)。また航空機装備を重視し、搭載機数が多い。その一方で魚雷装備は切り捨てている。 英国の巡洋艦は植民地とのシーレーン防衛を重視したため、長期の航海に対応するため居住性を重視している。また隻数を増やすため、条約の制限よりもかなり小型の巡洋艦も建造している。その一方で攻撃力は日米に比べて妥協している。 仏・伊は、まず速力を充実させた艦を建造し、その後速度を落とし攻撃力と防御力を充実させた艦を建造する。 なお、この時期ソ連は条約に加盟していなかったこともあり、各国のような8インチ砲ではなく、18センチ砲という特異な砲を搭載した艦を建造している。 この条約型建造の結果軍備拡張がかえって激化。そのため、巡洋艦以下の補助艦艇の制限を加えるためのロンドン海軍軍縮会議が開催されることとなる。
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