海軍休日
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海軍休日(かいぐんきゅうじつ、英: Naval Holiday)は、第一次世界大戦終了後のワシントン海軍軍縮条約の締結(1922年)からロンドン海軍軍縮条約の失効(1936年)まで、軍艦の建造に国際協定によって制限が加えられた約15年間の時期をさす。建艦休日とも呼ばれる。
- 1 海軍休日とは
- 2 海軍休日の概要
海軍休日
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1922年(大正11年)にマレーヤはオスマン帝国最後の皇帝メフメト6世をマルタへ運んだ。1927年(昭和2年)9月から1929年(昭和4年)3月まで、バルジの追加、射撃式装置の更新などの大規模改装を受ける。海軍休日時代の大英帝国におけるQ.E級戦艦やネルソン級戦艦は、本国艦隊や地中海艦隊の主力艦として海上勢力の根幹を成した。 1934年(昭和9年)から1936年(昭和11年)まで、水平防御の強化や、航空兵装、対空兵器の強化が図られた。ただし本艦の改造は大改装艦3隻(ウォースパイト、クイーンエリザベス、ヴァリアント)ほど、徹底したものではない。主砲の最大仰角が引き上げられず、改造を受けた姉妹艦より主砲の射程距離に劣っていた。折しもイタリア王国とエチオピア帝国の関係悪化から地中海の情勢が緊迫化し、さらに第二次エチオピア戦争が勃発する。イギリスは経済制裁をおこなうと共に本国艦隊を地中海に派遣、ムッソリーニ首相が率いるイタリアとの間で緊張が高まった。
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