ヴィクトリア女王との関係とは? わかりやすく解説

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ヴィクトリア女王との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:17 UTC 版)

ウィリアム・グラッドストン」の記事における「ヴィクトリア女王との関係」の解説

グラッドストンヴィクトリア朝首相たちの中でもパーマストン子爵並んでヴィクトリア女王から最も嫌われ首相である。 ヴィクトリア女王グラッドストンの関係は、第一次グラッドストン内閣の時からギクシャクしていた。王配アルバートの薨去以来喪に服して公務にほとんど出席していなかったヴィクトリア女王に対してグラッドストン公務への復帰強く要求したからである。女王退位ちらつかせでも、この要請拒否した女王グラッドストン決定的な嫌悪感抱いたのは、第二次ディズレーリ内閣の時である。ヴィクトリア熱烈に支持していたディズレーリ帝国主義外交露土戦争をめぐる親トルコ反ロシア外交グラッドストン徹底的に批判したためである。この頃女王長女ヴィッキー宛てた手紙の中で「グラッドストン氏は狂人のように進撃しています。私は代議士の中で、これほど愛国心欠如し不謹慎な人物を他に知りません。」という激し憎しみ露わにしている。 グラッドストンには君主象徴としてのみ政体根幹あるべきという持論があり、とりわけディズレーリ政権ヴィクトリア女王政治の場に引っ張り出すことを憂慮していた。ただしグラッドストン決し君主制廃止論者ではない。「でしゃばり君主」の出現によって君主制廃止に向かうのでは、という懸念からそういう主張をしていたのである。彼は「以前の私なら、この地の君主制は幾百年続いていくと確信できたが、私のその自信も前内閣君主政治外交第一線引きずりまわしたことで揺らぎつつある」と語っている。 64年イギリス政界働いてきたグラッドストン引退にあたって女王は、国家への貢献労をねぎらうような言葉は何もかけなかった。グラッドストン55年前のシチリアロバ乗った時のことを思い出し、「私は数十時間ロバ背中揺られていた。ロバは私に不都合なことは何もしなかったし、私のために長時間仕事をしてくれた。だが何故か私はそのロバ何の好感も持つことができなかった。この時の私とロバの関係が、女王と私の関係である」と語った

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ヴィクトリア女王との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 00:33 UTC 版)

ベンジャミン・ディズレーリ」の記事における「ヴィクトリア女王との関係」の解説

ディズレーリヴィクトリア朝長い歴史の中で数多く輩出され首相たちの中でも最もヴィクトリア女王寵愛された首相である。 ディズレーリ初めヴィクトリア女王の姿を見たのは、ヴィクトリア戴冠式結婚式においてであった。だがその時ディズレーリ一介庶民院議員に過ぎずディズレーリの方は大きな印象受けても、ヴィクトリアの方から特段注目されることはなかった。そのディズレーリヴィクトリアから最初に注目されたのは嫌悪感によってであった。それはピール内閣時のことである。ヴィクトリアの夫アルバート自由貿易主義者であり、そのため女王夫妻ピール首相自由貿易改革支援していたが、そこに「ヤング・イングランド」のディズレーリ保護貿易主義掲げてピール徹底的に攻撃したからである。ディズレーリ盟友ジョージ・ベンティンク卿に至っては「ドイツ人王室ピール派結託してイギリス農業利益ドイツ売り飛ばそうとしている」などと王室侮辱する演説まで行ったそうした保護貿易運動の先頭立っていたディズレーリ女王嫌悪感を持つのは当然のことだった。 ヴィクトリアディズレーリへの心証若干良くなったのは第一次ダービー伯爵内閣時のことである。大蔵大臣として入閣したディズレーリ報告書小説的だったことが、ヴィクトリア注目を惹いたのであるこの内閣の時にディズレーリ晩餐まねいたヴィクトリアは、その時印象を「風貌典型的なユダヤ人風、青白い顔に黒い目まつ毛、黒い巻き毛の髪、その表情不快感覚えるが、話してみるとそうでもなかった」と日記書いている。この頃には保守党保護貿易主義も身をひそめていた。だが夫アルバートはなおも保守党ディズレーリ嫌悪感をもっていたため、ヴィクトリア不信も完全には消えなかった。 大きな変化生じたのは1861年アルバートの薨去だった。ディズレーリアルバート顕彰先頭に立ち、またアルバート人格褒め称えた演説行ったことがヴィクトリア心を捉えた。1866年第三次ダービー伯爵内閣の頃にはヴィクトリアは完全にディズレーリ好感寄せるようになっていた。ダービー伯爵辞任ディズレーリ後任首相になると親密さ増し1868年春頃からヴィクトリアは自らが摘んだ花束ディズレーリ送りディズレーリお礼自分小説ヴィクトリアへ送るという関係になった第二次ディズレーリ内閣二人親密さ頂点達したディズレーリはしばしヴィクトリア女王を「妖精」と呼ぶようになった二人親密さ背景について生後間もなくケント公失ったヴィクトリア父性コンプレックスと「母との疎外感強く生涯通じて母の愛を補う女性求めていた」(ブレイク男爵ディズレーリ母性コンプレックス結び付いたではないかとする説がある。 グラッドストン伝記書いた神川信彦は、ディズレーリの「女はみな虚栄心をもつ。男の中には虚栄心を全く持たない者もいるが、虚栄心をもった男の虚栄心は、女の虚栄心では及びもつかないほど激しい。」という言葉引用し、その「巨大な男の虚栄心」を持つディズレーリにとって、ヴィクトリアの「小さな女の虚栄心」など簡単に支配できたと主張している。 ヴィクトリアナポレオン3世にも好感寄せていたことから、リットン・ストレイチーは、ヴィクトリアディズレーリ中にもナポレオン3世似たもの山師的・魔術的魅力見たのだろうと主張している。 二人は、小さな島国を司令塔南アフリカから極東までまたがる世界最大大帝国素朴な誇り持っている点も共通していた。ヴィクトリアは、ロマンチックに仕立てるのがうまいディズレーリから帝国状況について報告される時、自分全能の神であることを認識できたという。

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