ミンドロ島逆上陸と日本軍の対応
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「礼号作戦」の記事における「ミンドロ島逆上陸と日本軍の対応」の解説
連合軍のミンドロ島来襲の直前にあたる12月14日、第14方面軍(司令官山下奉文陸軍大将)は大本営に対し、レイテ島決戦よりもルソン島決戦に徹底することを意見具申した。12月15日、南方軍も大本営に打電をおこない、意向をただした。同日、連合軍はミンドロ島に来襲して上陸を開始する(上述)。連合軍の新攻勢は、日本軍各方面に衝撃を与えた。大本営陸軍部は、南方軍および第14方面軍に「海軍側と検討して連絡する」と返答した。陸軍部はレイテ決戦に悲観的になりつつあり、第14方面軍に至っては独自にルソン島持久作戦への転換を開始して、海軍の南西方面艦隊に同調するよう求めた。陸軍の動きに対し、海軍中央(軍令部、連合艦隊)はあくまでレイテ決戦続行の方針を示した。 日本海軍は間接護衛隊などを発見できず、船団の護衛は手薄と判断していた。そこで、水上部隊によるアメリカ軍への攻撃を決めた。まず、第三十一戦隊の第43駆逐隊及び第52駆逐隊所属の駆逐艦複数隻(梅、桃、榧、杉、樫)による突入が計画されたが、集結前の14日にマニラが空襲を受けて中止となった。16日には、第43駆逐隊(榧、杉、樫)によるミンドロ島西部マンガリン湾突入の計画が立案されたが故障などで実行できなかった。 日本海軍は、米軍のミンドロ島拠点化および航空基地確立に危機感を持った。ミンドロ島から重爆撃機が発進するようになると南シナ海の日本軍輸送船団が空襲に晒され、シーレーンが遮断されてしまう。連合艦隊は日本陸軍によるミンドロ島渡海攻撃(逆上陸)を要求した。大本営の一部や南方軍総司令部も同様の方針だった。だがマニラの第14方面軍司令官山下奉文陸軍大将は「作戦成功の成算なし」と判断、逆上陸に同意しなかった。山下将軍(第14方面軍)は既にマニラ放棄・ルソン持久作戦の準備を進めていたのである。山下陸軍大将の意向に対し、有馬馨南西方面艦隊参謀長は以下のように回想している。 余はこれに対して次のような見解を有していた。「陸軍はルソン防衛を死活の問題と考えて、兵力配備を行っている。もしミンドロ作戦を強行せしめんとせば、防備兵力の欠陥を補うべき兵力を補充してやらなければ承服しないだろう」と。かくて第五艦隊の水雷戦隊をもって夜陰に乗じミンドロ砲撃を敢行することゝなった。この作戦は成功を持続するという確信あるものでなく無為にして、艦隊を保存しても失うところは同一であり、仏印で爆撃されて沈没するよりも少しでも敵を攻撃して威力を発揮するに如かずとするものであり、兼ねて中央の顔を立てるものであった。 — 有馬馨、同著『帝国海軍の伝統と恐懼 ―付・比島作戦の思い出―』340、341ページ 12月18日、大本営はレイテ島決戦の方針を転換し、ルソン島持久作戦への切り替えを決定した。第4航空軍司令官の富永恭次陸軍中将は「ルソン島に米軍が上陸すれば、マニラやクラーク航空基地はすぐに占領されて航空作戦は実施できない」としてルソン持久作戦に反対し、ミンドロ島の連合軍攻撃続行を主張した。同日、マニラの陸海軍司令部でも南方軍総参謀長・南西方面艦隊参謀・第一連合基地航空部隊参謀など首脳部が集まり、今後の作戦方針について協議を実施する。同会議は逆上陸案について議論が交わされ、第14方面軍は「成功の見込みなし」として逆上陸に反対、第4航空軍は「連合軍のルソン島来攻を遅延させれば、ルソン作戦準備の時間ができる」として支持、現地海軍側幕僚(第一連合基地航空隊)や連合艦隊は逆上陸を強硬に主張、南西方面艦隊は「小兵力のため精神的効果以上に期待できず、実行困難」(作戦会議では沈黙)という態度をとった。 海軍中央部(軍令部、連合艦隊司令部)は、連合艦隊参謀長草鹿龍之介海軍中将・同首席参謀神重徳大佐・同航空参謀淵田美津雄大佐・大本営海軍部参謀(軍令部第一課)岡田貞外茂中佐をマニラに派遣、一行は空路で12月23日クラーク基地に到着した。草鹿中将は、まず第一連合基地航空部隊首脳部(大西瀧治郎第一航空艦隊司令長官、福留繁第二航空艦隊司令長官)と会談した。席上、岡田中佐は特攻兵器桜花を台湾に配備し(ヒ87船団参加の空母龍鳳で輸送)、クラーク基地から発進した戦闘機と空中で合同させ、神雷部隊によるレイテ総攻撃を提案した。翌24日、連合艦隊参謀長一行はマニラに移動し、南西方面艦隊司令部と会談。続いて草鹿中将は第14方面軍司令部(司令官山下奉文陸軍大将、参謀長武藤章陸軍中将)と会見し、「ミンドロ島逆上陸」を直接要請した。草鹿の回想によれば「山下大将は躊躇なく快諾」「武藤参謀長とも話が順調に進み」「精鋭一個連隊の逆上陸」が決まったという。ところが、実際に派遣されたのは一個大隊(約100名)であった。この部隊は大発動艇でミンドロ島北部に上陸した。連合艦隊がミンドロ島逆上陸を主張する最中、陸軍(大本営陸軍部、南方軍、第14方面軍)は中比・南比持久転移について意見を一致させる。12月25日、山下大将はルソン持久作戦への転移を命令した。
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