フットワーク時代とは? わかりやすく解説

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フットワーク時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:31 UTC 版)

アロウズ」の記事における「フットワーク時代」の解説

1990年日本運送会社フットワークメインスポンサーとなり、後にフットワークチーム買収した翌年1991年からは、チームとして、1992年からはコンストラクターとしても「フットワーク」を名乗った1991年、かつてマクラーレン組んでチャンピオン獲得したポルシェに製作させたV12エンジン使用してシーズンスタートした。しかし、このエンジン実際マクラーレン時代TAG V6エンジンを、ターボ外して単純に2つ並べてつなげた程度代物で、当初チーム知らされていた寸法実際に届けられエンジン寸法異なるという前代未聞エンジンであった。さらに他のエンジン比べて大きく重い上、信頼性欠けシーズン途中前年まで使用していたコスワースDFRV8エンジン換装するというドタバタ演じた。なお、チームポルシェ1993年までの4年契約(1990年開発のみ)を結んでおり、1年あたり日本円で約45億円の巨額使用料払っていたが、余りの「欠陥品」ぶりに、契約破棄せざるを得なかった。当然この年成績振るわず、F1参戦以来初(結果的に25年間で唯一)となる年間ノーポイントに終わった1992年には無限V10エンジン使用これに伴い鈴木亜久里チームに加わる。エースドライバーミケーレ・アルボレートリタイアわずか2回という堅実な走りチーム引っ張った。7位が6回とすんでのところでポイント獲得逃すことが多かったものの、対照的に亜久里駆動系などにトラブル多く抱えシャシー長身亜久里合わないなどの問題があり、入賞することが出来なかった。但し、当時はまだHパターンギヤボックス主流であった中、シーケンシャルタイプのギヤボックス開発するなど技術的な進歩見られた。 1993年にはシーズン途中マクラーレンからアクティブ・サスなどのハイテク装置購入すると、それまで比べ予選順位が両ドライバー(3年ぶりF1復帰ワーウィック残留した亜久里)とも10ポジション程度アップした弱点であったハンドリング不良消えて戦闘力大幅に増したが、レースではギアボックストラブル続出してなかなか結果に結びつかなかった。 そしてシーズン終了後親会社フットワーク業績悪化からチームを手放さざるをえなくなりジャッキー・オリバーが再びチームオーナーとなった以降チーム名以前アロウズ名乗ったが、コンストラクターとしては1996年までフットワーク名乗り続けることになる。1994年にはジャンニ・モルビデリクリスチャン・フィッティパルディを、1995年にはモルビデリ途中数戦はマッシミリアーノ・パピス)と井上隆智穂起用したが、この頃には予算不足マシン信頼性戦闘力上がらないうえ、テストまともに行えないなど低迷期迎えることとなる。

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フットワーク時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 20:33 UTC 版)

デレック・ワーウィック」の記事における「フットワーク時代」の解説

前年活躍きっかけに、1993年にはフットワークからF1に復帰し無限ホンダエンジンを搭載するFA14を駆るマクラーレン技術提携戦闘力増した後半戦調子上げるも、特にギアボックス信頼性低く入賞は4位・6位がそれぞれ1回ずつとなった(ただし、チームメイト鈴木亜久里はノーポイント)。予選では亜久里に9勝7敗だった。 同年親会社フットワーク経営悪化著しくなりチーム売却報じられる状況となり、結果ジャッキー・オリバーが再びチームオーナーとなった。この混乱期チーム資金面問題からより資金持ち込めドライバー求められ1994年向けてジャンニ・モルビデリクリスチャン・フィッティパルディ起用されワーウィックシート失った

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フットワーク時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 07:45 UTC 版)

ミケーレ・アルボレート」の記事における「フットワーク時代」の解説

1990年 アロウズ1stドライバーとして移籍加入チームメイトイタリア若手アレックス・カフィとなった日本運輸会社フットワーク」がメインスポンサーとなりチーム財政基盤安定期待されたが、トップチーム比して非力存在となっていたDFRV8エンジンと、前年度シャシー熟成であったアロウズ・A11B戦闘力低くカフィ共々3度予選落ち喫した。全16戦中8戦で完走果たしたが、カフィモナコGPサバイバルレース生き残りポイント獲得したのに対し、アルボレートの最高位は9位で入賞には遠いシーズンとなった1991年 鳴り物入りでのF1復帰となるポルシェワークスV12エンジン獲得し斬新なフロントノーズを持つニューマシン「FA12」に多大な期待掛けられたが、このV12エンジン重量が非常に重いだけでなく、パワー信頼性欠けており、開幕戦から予選通過にも苦労するテールエンドでの戦い続いた序盤の6レース限りでポルシェエンジンを諦め、第7戦からは前年使用していたフォードDFRエンジン搭載する事態となった。「ポルシェV12用に設計したのにV8エンジン載せてるから重量配分がめちゃくちゃ」とアルボレートがマシンを語る状況で、シーズン終盤2度完走する留まり豪雨のため中断終了となった最終戦オーストラリアGP記録した13位が最高成績散々なシーズン終わったシーズン前半の成績低調だったため、同年後半から予備予選出走義務課され1989年ラルース時代以来2年ぶりの予備予選不通過(ベルギーGP)の屈辱味わった予備予選落ち(ラルースでの2回を含め通算3回)の経験があり、なおかつF1優勝経験のあるドライバーは、アルボレート唯1人だけである。 1992年 チーム新たに無限ホンダV10エンジン獲得し、新シャシー「FA13」での参戦フットワーク社がF3000時代から支援する鈴木亜久里チームメイトとなったフットワーク大橋オーナー肝いりである亜久里複数年契約での加入であり、実質ファーストドライバー待遇であったため、フットワークには1台が昨年後半続き予備予選出走義務課されていたが(アンドレア・モーダ欠場により1、2、8戦目の予備予選中止)、予備予選出走はアルボレートの担当となった前年より明らかに速いマシン及びアルボレート自身好調予備予選は全戦通過亜久里リタイア予選落ちをする中、アルボレートは第3ブラジルGPで6位入賞し自身1989年以来となる久々ポイント獲得すると、第4戦スペイン・第5戦サンマリノ連続で5位に食い込み3戦連続入賞など状況整え速さ発揮できることを示したポイント獲得により後半戦予備予選免除され、全16戦中14戦を完走し前年最終戦からこの年ベルギーGPエンジントラブルによりリタイアするまでの12レース連続完走達成。7位完走16戦中6回などあと一歩入賞逃す当時入賞ポイント獲得は6位まで)レース多かったが、この年最も多く周回数をこなしたF1ドライバーとなりその実力が再評価される。しかし第15日本GP直前に、チームオーナー大橋後押しがあり複数年契約である亜久里来季残留公式発表があり、その場では同年SWCプジョー・905ワールドチャンピオン導いたデレック・ワーウィック新たに契約したことも併せて発表され好成績残したアルボレートだったが同シーズン終了をもって放出された。

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