パニックに対する過大評価と正常性バイアス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 06:50 UTC 版)
「パニック」の記事における「パニックに対する過大評価と正常性バイアス」の解説
パニックによって引き起こされる脅威の大きさは社会常識として広く知られており、しばしば映画やテレビドラマなどのフィクション作品では、パニックに陥って錯乱する群衆の姿が、凶暴かつ残忍に誇張されて描かれる。その一方、こうしたパニックの脅威は過大に警戒されすぎているという主張もある。 広く浸透した社会常識では、地震や火災などの災害に巻き込まれた群衆は、多くの場合においてたやすくパニックに陥るものであると信じられているが、実際はほとんどの場合でパニックは起こらない。このような場合、多くの人間は呆然としてしまって行動を起こせないことが分かっている。更に人間の心理には正常性バイアスと呼ばれる、目の前の異常事態に対して平常心を保とうとする精神の働きがあり、これが過剰に作用すると差し迫った危険の大きさを理解できずに過小評価してしまう。こうした結果、ただちに避難を開始しなければ生命に関わるような差し迫った危機を前にした群衆が、様子を見ているばかりで避難しようとしなかったり、記念撮影に興じたりするなど、過剰に落ち着きすぎていて客観的な判断を欠いた行動を取ってしまうようなことがある。 恒常的な避難訓練を受けていない人間が、差し迫った危機に対して適切な行動を取ることができず、理性を欠いた集団行動を取ってしまうという経緯だけを見れば、パニックに陥った集団も、正常性バイアスに支配された集団も同じである。しかし正常性バイアスの脅威と比べて、パニックに対する過剰な恐怖心は人々の間に広く介在している。時には災害そのものよりも集団のパニックを抑止することを優先した対処が裏目に出て、危機感が共有されず、群衆が火災などの災害から逃げ遅れて被害が拡大した事例も知られている。例えば1977年5月28日にアメリカ合衆国で164人が死亡したビバリーヒルズ・サパークラブ火災(英語版)はそうした例で、従業員から「単なるボヤである」という呼びかけがなされた結果、人々はリラックスしたままゆっくりと避難を開始し、席についたまま談笑したり飲み物を飲んだりしていた人々も多かったが、そうした人々はそのまま煙に巻かれて犠牲となった。また1903年12月30日にシカゴで602人が死亡したイロコイ劇場火災では、施設側から「火災ではない」という情報隠しがされたが、避難が遅れていた人々が火災に気がついてから一気にパニックが起こり、多くの人々が錯乱した群衆に踏み倒されて圧死した。日本でも、川治プリンスホテル火災で、火災報知器の鳴動に対し従業員が確認を怠り「火災報知器のテスト」と放送したため、避難の機会を失って45名が死亡している。 災害そのものよりもパニックの方が恐ろしいとする主張もある一方で、パニックより更に恐ろしいのは、パニックへの過剰な警戒心が引き起こす情報隠しであるという主張もある。2011年に日本で起きた福島第一原子力発電所事故では、国民がパニックを起こすことへの過剰な警戒心から、放射性物質の拡散状況を被災地の人々に提供すべきではないという判断がされ、政府による情報の公開が遅れた。このような「災害の情報を正しく知らせれば必ず大きなパニックが起きてしまう」といった先入観は、パニック神話などと呼ばれて批判の対象ともなっている。なお結果的にはこの原発事故による放射能汚染での直接死者は事故以前の懸念、すなわち万単位で発生するという主張に比べれば皆無に等しく、公的に確認されているのはいずれも放射能に日常的に濃密にさらされる廃炉作業員である。(ただし疲労等や生活苦による一般人の関連死は存在する)、反原発派が主張してきたような何十万、何百万という単位の汚染自体による死者は発生していない。彼らは政府や電力会社、マスコミが事故の「真実」を隠ぺいしていると根拠もなく主張しているが、こういうのは典型的陰謀論といえる。仮に事故直後に政府当局が反原発派が望むような数百万人の死者が出るといった発表をして恐怖を煽り立てていた場合、それこそパニックによる被害が原発事故自体より上回っていた恐れが非常に高い。また正しい知識や情報に基づかない「モラルパニック」が、被災地やその住民への不当な差別・偏見を生み出している。
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