ソロキャンペーン ステージとは? わかりやすく解説

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ソロキャンペーン ステージ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 02:50 UTC 版)

コール オブ デューティ ブラックオプス」の記事における「ソロキャンペーン ステージ」の解説

今作ストーリーは、終盤まで主人公にして語り手であるメイソン回想進行していく。各エピソードメイソン回想であり、メイソン尋問官やりとりは、ミッション最中でも割り込まれる時がある。また、極秘裏に行われた作戦記録残らない戦史という事を示すかのようにシリーズ慣例ミッション冒頭作戦詳細大半が黒のマーカーペンで塗りつぶされ判読不能状態に追いやられてしまう。 OPERATION 40オペレーション40キューバ ピッグス1961年4月17日 0500時 メイソン 時期としてはピッグス湾事件最中にあたる。メイソンCIA特殊作戦チーム「OP40」は、ある人物抹殺する任務を受けハバナ市に潜入していた。現地工作員協力者との連絡終え、OP40のメンバーは、ターゲット人物隠れ住む海辺別荘急襲仕掛けたVORKUTAヴォルクタソビエト連邦 ヴォルクタ強制収容所 1963年10月6日 0600時 メイソン OP40の最後脱出失敗したメイソンは、ソ連ヴォルクタ強制収容所送られた。恐怖苦痛満ちた日々の中で、メイソン同じく囚人であるヴィクトル・レズノフと出会い固い友情結んだ2年後、レズノフが主導する囚人達の蜂起計画メイソン参加、最も危険な先頭立って戦うことになる。 なお史においてはヴォルクタ収容所反乱1953年7月発生している。 U.S.D.D. (合衆国国防総省ペンタゴン 1963年11月10日 1700メイソン 帰還したメイソン心理テスト合格しCIAエージェントであるジェイソン・ハドソンの担当下で、工作員として復隊した。メイソンペンタゴン呼び出されケネディ大統領から、ドラゴヴィッチ暗殺命令手渡しされる。 EXECUTIVE ORDER大統領命令ソビエト連邦 バイコヌール 1963年11月17日 0700時 メイソン メイソンは、ソ連宇宙船打ち上げ阻止ひいては大陸間弾道ミサイル開発計画阻止する大統領命令秘密作戦オペレーション・フラッシュポイント」に参加戦友フランク・ウッズとともにバイコヌール宇宙基地潜入していた。しかし、スパイとして基地先んじて潜入していたウィーバー捕らえられてしまい、作戦決行を急がねばならなくなってしまった。 SOG研究偵察グループ南ベトナム ケサン 1968年1月21日 0900時 メイソンオペレーション・フラッシュポイント」を終えた後も、メイソンはドラゴヴィッチを追い続けた。そして、5年後。彼はドラゴヴィッチの腹心であるクラフチェンコが東南アジア活動している事を知らされ担当官であるハドソン共々MACV展開する南ベトナムケサン送られた。彼はそこでウッズ再会するが、喜ぶ間もなく基地NVA北ベトナム軍)の大規模な襲撃見舞われ迎撃戦手伝羽目陥った。 THE DEFECTOR (亡命者南ベトナム フエ市 1968年2月2日 1900メイソン メイソン意見を受け、MACVおよびSOGチームNVA攻撃激しフエ市降下した。そこにはドラゴヴィッチの計画に関する情報持ち出した亡命者がいるからだった。火の海化したフエ市保護した亡命者は、メイソンにとって思いがけない人物であったNUMBERS数列香港 九龍城 1968年2月9日 1700ハドソン 香港九龍城で、ハドソンはプロジェクト・ノヴァの関係者であったダニエル・クラーク博士確保成功。彼を尋問していた。だが、ドラゴヴィッチはクラークもろとも証拠抹消するべくスペツナズ派遣したハドソンチームクラーク共同戦線張り、嵐の九龍城からの脱出を図る。 PROJECT NOVAノヴァ計画北極圏 1945年10月29日 1200時 ヴィクトル・レズノフ メイソンは、ヴォルクタでレズノフから語り聞かされ昔話回想していた。ドラゴヴィッチ、クラフチェンコ、シュタイナー。この男達が、何故死すべきなのか。そもそも、プロジェクト・ノヴァとは何なのか。 『CoD:WaW赤軍ラストベルリン攻防戦から半年後。レズノフ達の部隊はドラゴヴィッチ将軍指揮する秘密作戦召集された。作戦目的は、北極圏抵抗続けドイツ軍研究基地から、亡命希望する科学者フリードリヒ・シュタイナー博士救出すること。救出されシュタイナー博士は、彼がナチス統治下のドイツ研究していた化学兵器ノヴァ6」のプロトタイプが眠るという座礁船にドラゴヴィッチを案内したVICTOR CHARLIEベトコンベトナム DMZ 1968年2月9日 1200メイソン ドラゴヴィッチの腹心、クラフチェンコがラオス領内ノヴァ6に関わる活動行っている事が突き止められた。メイソンSOGはその拠点壊滅すべく、北ベトナム向かったCRASH SITE墜落地点ラオス 1968年2月11日 1300メイソン ノヴァ6を搭載したソ連偽装輸送機が、ラオス領内撃墜された。残骸からノヴァ6を回収すべく、メイソンSOG投入されるアメリカ海兵隊協力の元、PBR攻撃ヘリ混成部隊は、メコン川ラオス領内輸送機墜落現場へと遡った。 WMD大量破壊兵器アメリカ カリフォルニア州ビール空軍基地 1968年2月18日 0500時 モーズリー大尉/ソ連 ヤマンタウ 1968年2月18日 1700ハドソン クラークから得た証言元にハドソンCIAチームウラル山脈ヤマンタウ山にある軍事施設潜入した(このステージ前半部は、地上を進むハドソン達と、上空SR-71 ブラックバードから偵察管制任務を行うネイトッシュ少佐視点交互に入れ替わる)。 モーズリー大尉、ネイトッシュ少佐操縦するSR-71偵察支援を受け、ハドソン達のチーム突入したが、そこにはシュタイナーの姿は無く基地はすでに撤収準備進んでいた。 PAYBACK復讐ラオス 1968年2月19日 1100メイソン ドラゴヴィッチの罠に落ち捕らえられてしまったメイソンSOGボウマンはじめとする仲間達殺される中、ウッズメイソンは敵の一瞬油断を衝き、脱出果たした。だが、二人味方拠点帰還するではなくこのままクラフチェンコの拠点襲撃する事を決断したREBIRTH再生ソ連 リバース1968年2月23日 2230時 メイソン/ソ連 リバース1968年2月23日 2200ハドソン復讐」後、メイソン原隊帰還せず、レズノフと二人きりアラル海リバース島に向かった。そこにシュタイナー研究所がある事は、クラフチェンコの基地にあった情報から判明していた。メイソンはレズノフに導かれるまま、シュタイナー殺害へと動く。 一方、「大量破壊兵器」で情報得たハドソンCIAチームが島の反対側から、こちらはシュタイナー身柄確保すべく潜入していた。ハドソン無線メイソン呼びかけるが、メイソン反応しようとしないスペツナズの手により島中ノヴァ6が撒かれる中、ハドソン達は化学防護服を身に纏い研究所へと急ぐ。 REVELATIONS (啓示NSA庁舎 ルーム9 1968年2月25日 2300メイソン プロジェクト・ノヴァの危機切迫し情報不足している。尋問官遂に最後事実明かしメイソン精神揺さぶりをかけた。メイソン精神記憶混乱極み達し、そこに一つ事実浮かび上がるREDEMPTION償還メキシコ湾 1968年2月26日 0600時 メイソン 得られ情報元にCIABlack Opsチームメキシコ湾にある送信施設破壊向かったハドソン推測違わず、そこはプロジェクト・ノヴァ以外の計画進行する東側秘密基地だった。

※この「ソロキャンペーン ステージ」の解説は、「コール オブ デューティ ブラックオプス」の解説の一部です。
「ソロキャンペーン ステージ」を含む「コール オブ デューティ ブラックオプス」の記事については、「コール オブ デューティ ブラックオプス」の概要を参照ください。

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