セント・ジョージ岬沖海戦とは? わかりやすく解説

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セント・ジョージ岬沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 06:51 UTC 版)

セント・ジョージ岬沖海戦は、1943年(昭和18年)11月24日から25日にかけて行われた太平洋戦争大東亜戦争)中の海戦[4]日本軍ブカ島への輸送部隊[注 1]駆逐艦5隻、第31駆逐隊司令香川清登大佐)とアメリカ艦隊(フレッチャー級駆逐艦5隻、指揮官アーレイ・バーク大佐)がブカ島西方、ニューアイルランド島セント・ジョージ岬東方海上で交戦し、日本側の駆逐艦3隻が沈没した[6]。 セント・ジョージ岬沖海戦はアメリカ側の呼称であり[7]、この海戦の日本側名称は存在せず、若しくはブカ島沖夜戦ブカ輸送における夜戦[8]とされる。




注釈

  1. ^ (昭和18年11月25日記事)[5]〔 戦況。○ギルバート方面、敵は各島に地歩を固めつゝある如し。/○「ラボール」より「ブカ」に一大隊輸送、d×5 成功帰投の際、敵C、dと交戦、d×3(「巻波」「大波」「夕霧」)沈。 〕
  2. ^ 木俣滋郎著『日本水雷戦史』401頁 では第23駆逐部隊全力で砲撃したかのように書いているが、例えば部隊旗艦のチャールズ・オースバーンが砲撃を行ったという記述はない(Dictionary of American Naval Fighting Ships "Charles Ausburn(e)"” (英語). NAVAL HISTORICAL CENTER. 2011年8月10日閲覧。)。

出典

  1. ^ Military Times, Hall of Valor "Bernard Lige Austin"” (英語). Military Times. 2011年8月10日閲覧。
  2. ^ #木俣水雷p.378
  3. ^ #ニミッツ、ポッターp.188
  4. ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 150〔セント・ジョージ岬沖海戦〕
  5. ^ 城英一郎日記 1982, pp. 346-347.
  6. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, pp. 190a-191ブカ輸送作戦
  7. ^ 戦史叢書102 1980, p. 204昭和18年(1943年)11月25日/セントジョージ岬沖海戦(米側名称で日本の作戦名称なし、ブカ輸送中に発生)
  8. ^ #海軍水雷史p.545
  9. ^ 戦史叢書102 1980, p. 200昭和18年(1943年)11月1日/連合軍、ボーゲンビル島のタロキナ上陸
  10. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, pp. 188-190ブーゲンビル島沖海戦
  11. ^ 戦史叢書102 1980, p. 201a昭和18年(1943年)11月2日
  12. ^ 戦史叢書58 1972, pp. 200-206ブーゲンビル島沖航空戦
  13. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 129a-130タロキナ奪回を企図す
  14. ^ 戦史叢書102 1980, p. 201b昭和18年(1943年)11月5日
  15. ^ 戦史叢書102 1980, p. 202a昭和18年(1943年)11月11日
  16. ^ 戦史叢書71 1974, p. 122.
  17. ^ 昭和18年11月1日(発令11月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1249号 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094100 
  18. ^ #三水戦1811(1)pp.6
  19. ^ #三水戦1811(1)pp.9
  20. ^ #三水戦1811(1)pp.12
  21. ^ a b c d e #戦史96p.429
  22. ^ Dictionary of American Naval Fighting Ships "Dyson"” (英語). NAVAL HISTORICAL CENTER. 2011年8月10日閲覧。
  23. ^ a b 戦史叢書58 1972, p. 450ブカ地区に対する方面軍の対策
  24. ^ a b #ニミッツ、ポッターp.187
  25. ^ a b 駆逐艦物語 2016, p. 38.
  26. ^ #三水戦1811(2)pp.34,35
  27. ^ a b c 駆逐艦物語 2016, p. 41.
  28. ^ #三水戦1811(1)pp.35
  29. ^ a b c #木俣水雷p.401
  30. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r #戦史96p.430
  31. ^ a b c d #三水戦1811(2)pp.35
  32. ^ a b c d e f g #田村(2)p.94
  33. ^ #ポッターp.415
  34. ^ #ニミッツ、ポッターp.172,173
  35. ^ #ニミッツ、ポッターp.173
  36. ^ #木俣水雷p.403
  37. ^ a b c d #ニミッツ、ポッターp.188
  38. ^ a b c d e f g #戦史96p.431
  39. ^ #木俣水雷p.405
  40. ^ 駆逐艦物語 2016, pp. 43-46精鋭警戒隊の全滅
  41. ^ a b 駆逐艦物語 2016, p. 44.
  42. ^ a b 駆逐艦物語 2016, p. 45.
  43. ^ 駆逐艦物語 2016, pp. 46-47機関長の憤り
  44. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 190b.
  45. ^ #田村(1)p.139
  46. ^ #三水戦1811(2)pp.39
  47. ^ 戦史叢書98 1979, p. 269「伊百七十七潜」
  48. ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, pp. 180-181.
  49. ^ 太平洋戦争の提督たち 1997, pp. 161-162.
  50. ^ #戦史96p.487
  51. ^ 戦史叢書58 1972, pp. 465-468深刻な補給の見通し
  52. ^ a b #戦史96p.488
  53. ^ 戦史叢書102 1980, p. 216昭和19年(1944年)2月17日/米機動部隊、トラック島を大空襲
  54. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 257-258ラバウルより引き揚げ
  55. ^ a b c #戦史96p.489
  56. ^ 戦史叢書102 1980, p. 217昭和19年(1944年)2月20日/南東方面における駆逐艦輸送、最後となる
  57. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 259-260.
  58. ^ a b 撃沈戦記 2013, p. 261.
  59. ^ #木俣水雷p.409
  60. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 262-263米第23駆逐隊
  61. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 263-264あわれ「長浦」
  62. ^ a b 撃沈戦記 2013, p. 264.
  63. ^ Chapter VI: 1944” (英語). HyperWar. 2011年8月10日閲覧。


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セント・ジョージ岬沖海戦

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巻波 (駆逐艦)」の記事における「セント・ジョージ岬沖海戦」の解説

日本軍アメリカ軍次の目標ブーゲンビル島北西ブカ島とにらみ、戦力強化のため第十七師団一部ラバウルより輸送することとなった1943年昭和18年11月21日第31駆逐隊司令指揮官とする第一回輸送部隊ラバウル出撃する輸送部隊警戒隊(大波巻波)と、第11駆逐隊司令山代勝守大佐指揮下の輸送部隊天霧夕霧卯月)という編成だった。22日ブカ島到着した第一次輸送は、妨害を受けることなく成功した詳細は「セント・ジョージ岬沖海戦」を参照 11月24日第三水雷戦隊司令官伊集院松治少将指揮下、第31駆逐隊司令香川清登大佐ひきいる日本軍駆逐艦部隊5隻は、ふたたびブカ島への第二次輸送作戦実施する前回と同様、輸送隊指揮官11駆逐隊司令天霧夕霧卯月)、警戒隊(指揮官第31駆逐隊司令大波巻波)という編成であった1330分、ラバウル出撃した。魚雷艇9隻と交戦して撃退米軍側に被害なし)。輸送隊ブカ島兵員物資陸揚げし代わりにラバウル引き上げ海軍航空要員600名を乗せて2245分ブカ島離れたラバウル向けて航行中11月25日午前0時日本軍輸送部隊ニューアイルランド島セント・ジョージ岬東方海上アーレイ・バーク大佐率いる第23駆逐部隊英語版)(フレッチャー級駆逐艦5隻)にレーダーSG一型水上レーダー)で捕捉される。輸送隊先行していた第31駆逐隊二二水上見張レーダー装備)は、先制魚雷攻撃受けた(セント・ジョージ岬沖海戦)。駆逐艦オズボーン士官は「駆逐艦士官の夢が実現したような理想的な奇襲作戦だった」と記録している。日本側は巡洋艦戦隊駆逐艦戦隊魚雷艇部隊襲撃されたと判断している。被雷した「大波」は轟沈香川清登大佐第31駆逐隊指令)と大波駆逐艦長吉川潔中佐戦死した。「巻波」は魚雷命中により左側20傾斜する。やがて接近してきたアメリカ駆逐艦コンヴァース (USS Converse, DD-509) および「スペンス」からの砲雷撃を受けた。「巻波」が何とか発射した反撃魚雷1本はコンバース命中したが、爆発しなかった。コンバースからの魚雷5本を含めて乱打された「巻波」は未明1時ごろに沈没していった。駆逐艦長人見豊治中佐含め幹部と殆どの乗組員戦死(約220名)。巻波生存者@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}29名[要出典](戦史叢書では28名)はカッター乗り移りラバウル南西45地点漂着帰還する事ができた。他に、米軍駆逐隊追撃捕捉された「夕霧」も沈没する輸送隊の「天霧」と「卯月」のみ生還した1944年昭和19年2月10日、「巻波」と「大波」は帝国駆逐艦籍、夕雲型駆逐艦それぞれから除籍された。

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