セント・ジョージ岬沖海戦
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セント・ジョージ岬沖海戦は、1943年(昭和18年)11月24日から25日にかけて行われた太平洋戦争(大東亜戦争)中の海戦[4]。日本軍のブカ島への輸送部隊[注 1](駆逐艦5隻、第31駆逐隊司令香川清登大佐)とアメリカ艦隊(フレッチャー級駆逐艦5隻、指揮官アーレイ・バーク大佐)がブカ島西方、ニューアイルランド島セント・ジョージ岬東方海上で交戦し、日本側の駆逐艦3隻が沈没した[6]。 セント・ジョージ岬沖海戦はアメリカ側の呼称であり[7]、この海戦の日本側名称は存在せず、若しくはブカ島沖夜戦やブカ輸送における夜戦[8]とされる。
注釈
- ^ (昭和18年11月25日記事)[5]〔 戦況。○ギルバート方面、敵は各島に地歩を固めつゝある如し。/○「ラボール」より「ブカ」に一大隊輸送、d×5 成功帰投の際、敵C、dと交戦、d×3(「巻波」「大波」「夕霧」)沈。 〕
- ^ 木俣滋郎著『日本水雷戦史』401頁 では第23駆逐部隊全力で砲撃したかのように書いているが、例えば部隊旗艦のチャールズ・オースバーンが砲撃を行ったという記述はない(“Dictionary of American Naval Fighting Ships "Charles Ausburn(e)"” (英語). NAVAL HISTORICAL CENTER. 2011年8月10日閲覧。)。
出典
- ^ “Military Times, Hall of Valor "Bernard Lige Austin"” (英語). Military Times. 2011年8月10日閲覧。
- ^ #木俣水雷p.378
- ^ #ニミッツ、ポッターp.188
- ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 150〔セント・ジョージ岬沖海戦〕
- ^ 城英一郎日記 1982, pp. 346-347.
- ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, pp. 190a-191ブカ輸送作戦
- ^ 戦史叢書102 1980, p. 204昭和18年(1943年)11月25日/セントジョージ岬沖海戦(米側名称で日本の作戦名称なし、ブカ輸送中に発生)
- ^ #海軍水雷史p.545
- ^ 戦史叢書102 1980, p. 200昭和18年(1943年)11月1日/連合軍、ボーゲンビル島のタロキナ上陸
- ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, pp. 188-190ブーゲンビル島沖海戦
- ^ 戦史叢書102 1980, p. 201a昭和18年(1943年)11月2日
- ^ 戦史叢書58 1972, pp. 200-206ブーゲンビル島沖航空戦
- ^ 戦史叢書71 1974, pp. 129a-130タロキナ奪回を企図す
- ^ 戦史叢書102 1980, p. 201b昭和18年(1943年)11月5日
- ^ 戦史叢書102 1980, p. 202a昭和18年(1943年)11月11日
- ^ 戦史叢書71 1974, p. 122.
- ^ 「昭和18年11月1日(発令11月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1249号 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094100
- ^ #三水戦1811(1)pp.6
- ^ #三水戦1811(1)pp.9
- ^ #三水戦1811(1)pp.12
- ^ a b c d e #戦史96p.429
- ^ “Dictionary of American Naval Fighting Ships "Dyson"” (英語). NAVAL HISTORICAL CENTER. 2011年8月10日閲覧。
- ^ a b 戦史叢書58 1972, p. 450ブカ地区に対する方面軍の対策
- ^ a b #ニミッツ、ポッターp.187
- ^ a b 駆逐艦物語 2016, p. 38.
- ^ #三水戦1811(2)pp.34,35
- ^ a b c 駆逐艦物語 2016, p. 41.
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- ^ a b c #木俣水雷p.401
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- ^ a b c d #三水戦1811(2)pp.35
- ^ a b c d e f g #田村(2)p.94
- ^ #ポッターp.415
- ^ #ニミッツ、ポッターp.172,173
- ^ #ニミッツ、ポッターp.173
- ^ #木俣水雷p.403
- ^ a b c d #ニミッツ、ポッターp.188
- ^ a b c d e f g #戦史96p.431
- ^ #木俣水雷p.405
- ^ 駆逐艦物語 2016, pp. 43-46精鋭警戒隊の全滅
- ^ a b 駆逐艦物語 2016, p. 44.
- ^ a b 駆逐艦物語 2016, p. 45.
- ^ 駆逐艦物語 2016, pp. 46-47機関長の憤り
- ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 190b.
- ^ #田村(1)p.139
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- ^ 戦史叢書98 1979, p. 269「伊百七十七潜」
- ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, pp. 180-181.
- ^ 太平洋戦争の提督たち 1997, pp. 161-162.
- ^ #戦史96p.487
- ^ 戦史叢書58 1972, pp. 465-468深刻な補給の見通し
- ^ a b #戦史96p.488
- ^ 戦史叢書102 1980, p. 216昭和19年(1944年)2月17日/米機動部隊、トラック島を大空襲
- ^ 撃沈戦記 2013, pp. 257-258ラバウルより引き揚げ
- ^ a b c #戦史96p.489
- ^ 戦史叢書102 1980, p. 217昭和19年(1944年)2月20日/南東方面における駆逐艦輸送、最後となる
- ^ 撃沈戦記 2013, pp. 259-260.
- ^ a b 撃沈戦記 2013, p. 261.
- ^ #木俣水雷p.409
- ^ 撃沈戦記 2013, pp. 262-263米第23駆逐隊
- ^ 撃沈戦記 2013, pp. 263-264あわれ「長浦」
- ^ a b 撃沈戦記 2013, p. 264.
- ^ “Chapter VI: 1944” (英語). HyperWar. 2011年8月10日閲覧。
- 1 セント・ジョージ岬沖海戦とは
- 2 セント・ジョージ岬沖海戦の概要
- 3 戦闘経過
- 4 海戦の後
- 5 脚注
セント・ジョージ岬沖海戦
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「巻波 (駆逐艦)」の記事における「セント・ジョージ岬沖海戦」の解説
日本軍はアメリカ軍の次の目標をブーゲンビル島北西のブカ島とにらみ、戦力強化のため第十七師団の一部をラバウルより輸送することとなった。1943年(昭和18年)11月21日、第31駆逐隊司令を指揮官とする第一回輸送部隊はラバウルを出撃する。輸送部隊は警戒隊(大波、巻波)と、第11駆逐隊司令山代勝守大佐指揮下の輸送部隊(天霧、夕霧、卯月)という編成だった。22日ブカ島に到着した。第一次輸送は、妨害を受けることなく成功した。 詳細は「セント・ジョージ岬沖海戦」を参照 11月24日、第三水雷戦隊司令官伊集院松治少将の指揮下、第31駆逐隊司令香川清登大佐ひきいる日本軍駆逐艦部隊5隻は、ふたたびブカ島への第二次輸送作戦を実施する。前回と同様、輸送隊(指揮官第11駆逐隊司令:天霧、夕霧、卯月)、警戒隊(指揮官第31駆逐隊司令:大波、巻波)という編成であった。13時30分、ラバウルを出撃した。魚雷艇9隻と交戦して撃退(米軍側に被害なし)。輸送隊はブカ島に兵員と物資を陸揚げし、代わりにラバウルに引き上げる海軍の航空要員600名を乗せて、22時45分にブカ島を離れた。 ラバウルに向けて航行中の11月25日午前0時、日本軍輸送部隊はニューアイルランド島セント・ジョージ岬東方海上でアーレイ・バーク大佐率いる第23駆逐部隊(英語版)(フレッチャー級駆逐艦5隻)にレーダー(SG一型水上レーダー)で捕捉される。輸送隊に先行していた第31駆逐隊(二二号水上見張用レーダー装備)は、先制魚雷攻撃を受けた(セント・ジョージ岬沖海戦)。駆逐艦オズボーン士官は「駆逐艦士官の夢が実現したような理想的な奇襲作戦だった」と記録している。日本側は巡洋艦戦隊・駆逐艦戦隊・魚雷艇部隊に襲撃されたと判断している。被雷した「大波」は轟沈。香川清登大佐(第31駆逐隊指令)と大波駆逐艦長吉川潔中佐は戦死した。「巻波」は魚雷の命中により左側に20度傾斜する。やがて接近してきたアメリカ駆逐艦コンヴァース (USS Converse, DD-509) および「スペンス」からの砲雷撃を受けた。「巻波」が何とか発射した反撃の魚雷1本はコンバースに命中したが、爆発しなかった。コンバースからの魚雷5本を含めて乱打された「巻波」は未明1時ごろに沈没していった。駆逐艦長人見豊治中佐を含め幹部と殆どの乗組員が戦死(約220名)。巻波の生存者@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}29名[要出典](戦史叢書では28名)はカッターに乗り移り、ラバウル南西45浬地点に漂着、帰還する事ができた。他に、米軍駆逐隊に追撃・捕捉された「夕霧」も沈没する。輸送隊の「天霧」と「卯月」のみ生還した。 1944年(昭和19年)2月10日、「巻波」と「大波」は帝国駆逐艦籍、夕雲型駆逐艦 のそれぞれから除籍された。
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