カロライナ方面作戦とは? わかりやすく解説

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カロライナ方面作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/25 16:45 UTC 版)

カロライナ方面作戦(カロライナほうめんさくせん、英:Carolinas Campaign)は、南北戦争の終盤1865年初めの、西部戦線最後の方面作戦だった[1]。1865年1月北軍ウィリアム・シャーマン少将はジョージア州サバンナから北上し、両カロライナ州を通ってバージニア州の北軍との合流を目指した。3月のベントンビルの戦いジョセフ・ジョンストン将軍の南軍が敗北し、4月に降伏したことで、南軍の最後の戦力が消失したことを意味した。




  1. ^ この方面作戦全てが合衆国東海岸の諸州で行われたが、前年にテネシー州を発したシャーマン指揮下の西部軍(ミシシッピ地区軍)によって取られた攻勢の延長であるため西部戦線の一部と考えられている
  2. ^ Eicher, p. 797.


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カロライナ方面作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/27 22:41 UTC 版)

ジョージア軍 (北軍)」の記事における「カロライナ方面作戦」の解説

軍司令官:スローカム少将 詳細は「en:Carolinas Campaign Union order of battle」を参照 軍団師団旅団第14軍団Jefferson C. Davis少将 第1師団Charles C. Walcutt准将 第1旅団(6個連隊第2旅団(3個連隊第3旅団(4個連隊第2師団James D. Morgan准将 第1旅団(5個連隊第2旅団(6個連隊第3旅団(6個連隊第3師団Absalom Baird少将 第1旅団(7個連隊第2旅団(5個連隊第3旅団(4個連隊砲兵部隊(4個砲兵中隊第20軍団アルフェウス・ウィリアムズ少将Joseph A. Mower少将 第1師団Nathaniel J. Jackson准将アルフェウス・ウィリアムズ少将 第1旅団(4個連隊第2旅団(5個連隊第3旅団(5個連隊第2師団ジョン・ギアリー少将 第1旅団(5個連隊第2旅団(5個連隊第3旅団(6個連隊第3師団William Thomas Ward少将 第1旅団(5個連隊第2旅団(4個連隊第3旅団(6個連隊砲兵部隊(4個砲兵中隊) 他にテネシー軍(2個軍団)及びオハイオ軍(2個軍団)が参加

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カロライナ方面作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/08 01:40 UTC 版)

テネシー軍」の記事における「カロライナ方面作戦」の解説

詳細は「カロライナ方面作戦」を参照 1865年2月1日サバンナに約1ヶ月留まった後に、シャーマンは再び軍を動かし破壊的な進軍開始した今回は北に向かって南北カロライナ州を通過し最終的な目的バージニアグラント合流することであったハワードテネシー軍はその右翼務め、再びローガン指揮執る第15軍団と、ブレア第17軍団で構成されていた。左翼はスローカムのジョージア軍務めたサウスカロライナ州での南軍抵抗はほとんど無くシャーマン合衆国から最初に脱退した州を徹底的に破壊した。(シャーマン3月初めにサウスカロライナ通過し終えたが、ある兵士サウスカロライナは「今や正しさ回復した」と述べている。)ノースカロライナ州では、シャーマンアトランタ方面作戦戦ったジョンストンが、激しく抵抗したシャーマンにとって最後大きな戦闘となった3月中旬ベントンビルの戦いは、ほとんどがスローカムのジョージア軍によって戦われた。敗北したジョンストン北西向かって脱出しシャーマンはゴールズバラで、グラントの命令に従ってテネシーから東進してきたジョン・スコフィールド部隊会合したテネシー軍50日間サバンナからゴールズバラまでの約450マイル進軍し、もはやバージニアグラントとの合流妨げるものは無いものと思われた。シャーマンは後にこの作戦を「かつて文明国組織化された軍が実施した最も長く、かつ重要な進軍一つ」と記している。シャーマン急速な前進観察してジョー・ジョンストンは「ジュリアス・シーザー時代以来このような軍はなかった」と結論づけている。

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カロライナ方面作戦 (1865年2月-3月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 02:18 UTC 版)

西部戦線 (南北戦争)」の記事における「カロライナ方面作戦 (1865年2月-3月)」の解説

詳細は「カロライナ方面作戦」を参照 シャーマンサバンナ占領した後、グラントの命令で、その軍を船に乗せてバージニア北軍支援に回るように言ってきた。グラントロバート・E・リー将軍に対してピーターズバーグ包囲戦行き詰まっていた。シャーマン別の戦略提案したバージニアに行く代わりにカロライナ州を進軍しジョージア州海へ行軍をしたときと同じよう途中にある軍事的価値があるもの全て破壊していくことだった。サウスカロライナ州最初にアメリカ合衆国から脱退宣言した州であり、そこを侵すことで南部士気与え影響考えれば、特に重要な目標になったシャーマン作戦では、オーガスタチャールストン結集している小さな南軍部隊迂回し1865年3月15日までにゴールズバラに到着することを目指した。ジョージアの時と同様に複数部隊別れて同時に行軍し散開した南軍守備兵混乱させた。この時点での最初目標サウスカロライナ州州都コロンビアであったシャーマン軍は再びジョセフ・ジョンストン指揮する小さくぼろぼろになったテネシー軍対峙した。 2月17日コロンビア市が降伏した。町は大火となり、中心部大半破壊された。コロンビア市の消失その後の論争引き起こした火事事故によると言う者がおれば、報復のために図られた行と言う者もいる。同じ日に南軍チャールストン明け渡した2月18日シャーマン軍はコロンビア市にある軍事的価値があるもの全て破壊し尽くした南軍最後重要な海港ウィルミントン2月22日降伏したジョンストン最後の抵抗3月19日から21日にかけてのベントンビルの戦いであったジョンストン北軍がゴールズバラに到着する前にスローカムの受け持つ一翼破ろうとして失敗したシャーマンジョンストンローリー追った4月18日リンカーン暗殺から3日後に、ジョンストンダーラム駅近くの農家、ベネット・プレースでシャーマンとの休戦条約署名したシャーマンは、グラント将軍アメリカ合衆国政府からの承認無しに、政治から軍事までの降伏条件ジョンストン提示したことで、政治的な問題巻き込まれた。この問題による混乱4月26日まで続いた。この日、ジョンストン純粋に軍事的条件同意し正式にジョンストン軍と両カロライナジョージアおよびフロリダ南軍全て降伏した。これはその月では2番目の重要な降伏だった。4月9日ロバート・E・リー将軍の北バージニアアポマトックスポトマック軍降伏していた。まだ小さな抵抗勢力は特にテネシーミシシッピに夏まで残っていたが、実質的な南軍敗北であった

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