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アンティータムの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/25 13:48 UTC 版)

アンティータムの戦い
Battle of Antietam
南北戦争
Battle of Antietam.png
アンティータムの戦い (クルツおよびアリソン画)
1862年9月17日
場所 メリーランド州シャープスバーグ近く
結果 北軍の勝利
衝突した勢力
アメリカ合衆国の旗 北軍 CSA FLAG 4.3.1861-21.5.1861.svg南軍
指揮官
ジョージ・マクレラン ロバート・E・リー
戦力
87,000 45,000
被害者数
12,401
(戦死 2,108
負傷 9,540
捕虜・不明 753)
10,316
(戦死 1,546
負傷 7,752
捕虜・不明 1,018)

アンティータムの戦い(アンティータムのたたかい、英:Battle of Antietam、またはシャープスバーグの戦い(Battle of Sharpsburg、特に南部での呼び方))は、南北戦争の中盤1862年9月17日メリーランド方面作戦の一環としてメリーランド州シャープスバーグ近く、およびアンティータム・クリークで行われた戦闘であり、北部の大地で行われたことでは南北戦争で初めての主要会戦であった。両軍合わせて約23,000名の損失があり、合衆国の歴史の中でも単一日の戦闘として最も流血の多い戦闘となった[1]

北軍のジョージ・マクレラン少将はメリーランドにロバート・E・リー将軍の南軍を追求した後で、アンティータム・クリークの背後に防御陣を築いた北バージニア軍に対する攻撃を掛けた。9月17日の夜明け、北軍ジョセフ・フッカー少将の軍団が、北バージニア軍の左翼に強攻を掛けた。ミラーのトウモロコシ畑で攻撃と反撃が続き、戦闘はダンカー教会の回りにも及んだ。窪んだ道路に対して行われた北軍の突撃が南軍の中央を後退させることになったが、北軍も右翼の2人の軍団長が共に戦死・負傷して後退しており、戦闘は予断を許さなかった。午後になって、北軍アンブローズ・バーンサイドの軍団が戦闘に突入し、アンティータム・クリークに架かる石橋を確保した後、南軍の右翼に向けて前進した。この重要な局面に、ハーパーズ・フェリーから南軍A・P・ヒルの師団が到着し、急襲を掛けてバーンサイド軍を押し返し、戦闘を終わらせた。

両軍とも最初多くの部隊を予備にし、順次投入する戦術を取った。その結果南軍は最終的に予備を使い切ったが、マクレランは自軍の4分の1程度の予備を最後まで残した。北バージニア軍は数の上では1対2と負けていたが、地形をうまく利用して北軍と対等に渡り合えた。夜の間に両軍共その戦線を集約した。北バージニア軍は相当な損失を被り、9月18日の1日中ポトマック軍との小競り合いを続けたが、有利な地形を北軍に奪取された状態ではもはや北軍に打撃を与えるチャンスはなく、その間に疲れ切った軍隊は川の南に退いた[2]

ポトマック軍に数の優位があったにも関わらず、北バージニア軍が撤退を選ばずにここで戦ったのは、地形を利用することでポトマック軍を破れると考えていたためである。しかしマクレランは適切な順序で順次南軍の弱点を突いていき、南軍の逆転を許さなかった。マクレランは、ここでは戦術的大勝利を狙うことよりも、確実に勝つことが重要であることを知っていたため、最後まで予備部隊を残し事態の急変に備えた。これにより北バージニア軍を壊滅させることはなかったが、北バージニア軍のメリーランド侵攻は終わり、リーはバージニア州内に軍隊を引き上げざるを得なくなった。この戦闘は戦術的な勝利の意味よりも、エイブラハム・リンカーン奴隷解放を宣言する自信を得たことで、北軍にとって戦略的な勝利の意味がはるかに大きかった。

目次




  1. ^ McPherson, p. 3.
  2. ^ NPS.
  3. ^ メリーランドは合衆国に残ったものの奴隷州であり、南軍が侵攻して北軍を追い出す事ができればメリーランドを南部連合に引き込む事ができる可能性すらあるとリー自身ディヴィス大統領に説明していた。Palmer, pp. 16
  4. ^ Sears, pp. 65-66; McPherson, pp. 88-95.
  5. ^ Palmer pp. 21.
  6. ^ Sears, p. 112; McPherson, p. 108.
  7. ^ 敵軍が12万もの大軍だと思っていたせいと、この書類が実はリーの罠ではないかと疑っていたせいだと言われている。Palmer, pp. 28
  8. ^ McPherson, pp. 110-12.
  9. ^ Eicher, p. 337. 公式記録を含み大半の歴史書はこれらの組織を軍団と呼ぶが、その呼び方はメリーランド方面作戦の終わった後の1862年11月6日までは、正式なものではなかった。ロングストリートの部隊は右翼と呼ばれ、ジャクソン部隊は左翼と呼ばれた。
  10. ^ Eicher, p. 338.
  11. ^ Bailey, p. 60.
  12. ^ Bailey, p. 63.
  13. ^ Sears, p. 181.
  14. ^ a b Wolff, p. 60.
  15. ^ Sears, p. 190.
  16. ^ a b Wolff, p. 61.
  17. ^ Bailey, pp. 71, 73.
  18. ^ Bailey, p. 71.
  19. ^ Bailey, p. 75.
  20. ^ Bailey, p. 79.
  21. ^ Bailey, p. 81.
  22. ^ Bailey, p. 70.
  23. ^ Bailey, pp. 79-80.
  24. ^ Armstrong, pp. 3-27; Sears, pp. 221-30; Eicher, pp. 353-55; Wolff, pp. 61-62.
  25. ^ Armstrong, pp. 39-55.
  26. ^ Kennedy, p. 120.
  27. ^ Bailey, p. 93.
  28. ^ Bailey, p. 94.
  29. ^ Wolff, p. 63.
  30. ^ Bailey, p. 99.
  31. ^ Bailey, p. 100.
  32. ^ Bailey, pp. 101, 103.
  33. ^ Sears, p. 242.
  34. ^ Bailey, p. 102.
  35. ^ Sears, p. 254.
  36. ^ Bailey, p. 108.
  37. ^ Bailey, pp. 108-9.
  38. ^ Bailey, p. 141.
  39. ^ Jamieson, p. 94. マクレランは、フッカーとマンスフィールドの攻撃が撃退された後の9時10分に命令を発しており、第6軍団が戦場に達し予備隊の配置に付くまで待たせた。
  40. ^ Wolff, p. 64.
  41. ^ a b Douglas, p. 172.
  42. ^ Eicher, 359-60; Sears, p. 260; Wolff, p. 64.
  43. ^ Tucker, p. 87.
  44. ^ Sears, p. 263.
  45. ^ Bailey, p. 120.
  46. ^ Sears, pp. 264-65.
  47. ^ Sears, pp. 266-67; Bailey, pp. 125-26.
  48. ^ Sears, p. 276.
  49. ^ Bailey, p. 131.
  50. ^ Bailey, pp. 133-36.
  51. ^ Bailey, pp. 136-37.
  52. ^ Sears, pp. 291-92.
  53. ^ Sears, pp. 294-96. 南軍の損失は推計; McPherson, p. 129. マクファーソンは南軍の損失を、戦死が1,546名から2,700名の間、損失計は7,752名から9,024名の間としている。また両軍の負傷者のうち2,000名以上がその傷が故で死んだと報告した。
  54. ^ アンティータムは時に全アメリカ史の中でも最も流血の多かった日とされるが、1900年のガルベストン・ハリケーンの死者はかなり多かった。アメリカ史で最も損失が大きかった戦闘はゲティスバーグの戦いであったが、その46,000名以上の損失は3日間にわたるものであった。アンティータムは南北戦争の中での損失数でいうと5番目にあたり、その上位にはチカマウガの戦いチャンセラーズヴィルの戦いおよびスポットシルバニアの戦いが来る。
  55. ^ Sears, p. 296.
  56. ^ Bailey, p. 67.
  57. ^ McPherson, p. 155.


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