オーバーランド方面作戦とは? わかりやすく解説

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オーバーランド方面作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 03:15 UTC 版)

オーバーランド方面作戦(英:Overland Campaign、またはWilderness Campaign)は、南北戦争1864年5月と6月に、バージニア州で行われた一連の戦闘である。北軍の総司令官ユリシーズ・グラント中将は、ジョージ・ミード少将のポトマック軍やその他の軍隊を指揮して、南軍将軍ロバート・E・リー北バージニア軍に対する戦いを仕掛けた。グラントはこの方面作戦中、夥しい損失と何度も戦術的な敗北を喫したが、リー軍をピーターズバーグで動きの取りにくい状態に追い込んだことで戦略的には北軍の勝利と考えられている。


  1. ^ a b Eicher, p. 660.


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オーバーランド方面作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 02:10 UTC 版)

第9軍団 (北軍)」の記事における「オーバーランド方面作戦」の解説

1864年1月17日ポッターに代わってウィルコックス軍団長となったが、1月26日にはパーク軍団長となり、ウィルコックス第2師団となったバーンサイドは軍の再編成のために、アナポリス (メリーランド州)に戻るように命令された。4月にはバーンサイドの下に第9軍団は4個師団編成拡張されそれぞれの師団長トーマス・スティーブンソンThomas G. Stevenson)、ポッターウィルコックス、フェレーロであり、フェレーロの師団アフリカ系アメリカ人構成されていた。軍団実働人員19,331人で野砲42門を有していた。兵力はさらに増強され5月10日には32,708人となっている。それぞれ砲兵2個中隊を有する4個師団加え、6個砲兵中隊から成る予備砲兵旅団重砲部隊および騎兵部隊の兵を歩兵とした特設連隊があった。合計42歩兵連隊14野砲中隊から構成されていた。フェレーロの黒人部隊それまで戦闘参加したことがなかったが、白人連隊多く新設部隊か、あるいは基地任務しか経験がなかった。古参連隊場合でも、兵士自体新規徴兵多かった1864年5月開始されたオーバーランド方面作戦では、北軍総司令官ユリシーズ・グラントロバート・E・リーに対して攻勢作戦をとった。グラント隷下にはジョージ・ミードポトマック軍と、これとは独立してグラント直轄第9軍団があった。バーンサイド形式的にミードより上位ランクにあり、ミードからの命令を受けることを拒んだため、この変則的な編成がとられた。ノースアンナの戦い5月23日-26日前には、グラントはこの組織非効率であると判断しバーンサイド説得してパークと共に自身参謀長据えた。これによって、第9軍団グラント直轄にする必要が無くなり5月25日第9軍団ポトマック軍所属となった。 オーバーランド方面作戦の最初戦いである、5月5日-7日荒野の戦いでは、戦死240人、戦傷1,232人、行方不明168人、合計1,640人の損害出した5月8日-21日スポットシルバニア・コートハウスの戦いにおける損害は3,146人、内訳戦死486人、戦傷2,119人、行方不明469であった最大損害出したのは5月12日で「ミュール・シュー」突出部の右側に対して突撃をかけたときであった第1師団長のスティーブンソン5月10日戦死以前第21軍団長務めていたトマス・L・クリッテンデンが後を継いだ

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オーバーランド方面作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 17:09 UTC 版)

アンブローズ・バーンサイド」の記事における「オーバーランド方面作戦」の解説

バーンサイド第9軍団東部戦線に戻すよう命令を受け、メリーランド州アナポリス戻って実戦部隊21,000名を越え軍団作り上げた第9軍団当初グラントの下に入ったが、独立した部隊として1864年5月のオーバーランド方面作戦に参戦したポトマック軍指揮任されジョージ・ミード少将フレデリックスバーグではバーンサイド部下師団指揮官であり、階級が下だったので、バーンサイド軍団ポトマック軍に入らなかった。この厄介な配置ノースアンナの戦い直前5月24日是正され、バーンサイド先任士官であることを放棄しミード直接指揮の下に入ることを認めたバーンサイド荒野の戦いスポットシルバニアの戦い参戦したが、目立った働きはしなかった。バラバラ攻撃し、これらの戦い特徴であった正面攻撃にその部隊向かわせることを躊躇っているように見えた。ノースアンナとコールドハーバーの戦い後でピーターズバーグ包囲戦加わった

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オーバーランド方面作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:27 UTC 版)

東部戦線 (南北戦争)」の記事における「オーバーランド方面作戦」の解説

5月早くに、ポトマック軍はラピダン川を渡ってスポットシルバニアの荒野呼ばれる地域入った。そこは深い森のために北軍大砲威力活かせず、リー軍は積極的にグラントミードの軍に急襲掛けた2日間にわたる荒野の戦いでは両軍多く損失もたらしたが、決着は付かなかった。しかし、グラントそれまで前任者達とは異なり戦闘後退却しなかった。むしろ、南東部隊動かして作戦行動開始し幾つかの流血の多い戦闘リー軍を防衛一辺倒にさせ、さらにリッチモンド迫ったグラントはその優勢な戦力北部人力があれば、リー軍やアメリカ連合国よりも消耗戦に耐えられることが分かっていた。グラント軍はこの方作戦55,000名という大きな損失出したが、リー軍の方が損耗率が高く、しかも補充が適わなかった。 スポットシルバニア郡庁舎戦いでリーグラント軍を叩き強固な防衛拠点構築したグラント2週間以上にわたる一連の攻撃で、「ミュール・シュー」と呼ばれる突出部に集中して南軍前線攻撃した5月12日この前線の「ブラッディ・アングル」と呼ばれる場所に向けて行われたウィンフィールド・ハンコックの第2軍団による総攻撃は、第一次世界大戦後半に塹壕対す突破戦術として採用された。グラント軍は再度この前線を離れ南東移動したリーグラント移動止めるためにノース・アンナ川の背後に軍を配置し、その突出部でグラント軍が分断され攻撃するように仕向けたリー軍にはグラント軍を打ち破るチャンスがあったが、その設定した罠を作動させるために必要なやり方攻撃することができなかった。おそらくは病気のためと考えられている。グラントはさらに南東への移動続けた5月31日北軍騎兵隊がオールド・コールドハーバーの重要な道路交差点確保した一方で南軍リッチモンドとトトポトミー前線から援軍到着した6月1日遅く北軍の2個軍団がコールドハーバーに到着し南軍部隊襲って少なからぬ成果挙げた6月2日までに両軍戦場到着し、7マイル (11 km)にわたる前線作り上げた6月3日明け方北軍の第2および第18軍団、さらに続いて第9軍団前線総攻撃をかけ、コールドハーバーの戦い始まったが、すべて撃退された。この時の北軍損失12,000以上に上りグラントは他にも増して後悔することになった。後に北部新聞グラント指してたびたび「ブッチャー」(肉屋)と呼んだ6月12日の夜、グラントは再びその左翼側に進軍しジェームズ川到着したグラントはうまくその意図リー分からないようにしたまま、2マイル (3 km)にもなる舟橋構築して川を渡ったリーが最も恐れていたことはグラント首都包囲することだったが、それが期せずして起こった

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