ダールグレン事件
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ダールグレン事件(ダールグレンじけん、Dahlgren affair)は、南北戦争中に発生した事件である。発端は、1864年3月の北軍によるアメリカ連合国(南部連合)首都リッチモンド襲撃の失敗であった。ジャドソン・キルパトリック准将とウルリック・ダールグレン大佐は、ベル島にて収監されている北軍捕虜の解放および南部連合のインフラ破壊を目的に、この襲撃を実施した。
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- 1 ダールグレン事件とは
- 2 ダールグレン事件の概要
- 3 ダールグレンの命令書の発見
- 4 ダールグレンの遺体の損壊
- 5 参考文献
ダールグレン事件
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「ジャドソン・キルパトリック」の記事における「ダールグレン事件」の解説
1864年春のユリシーズ・グラント中将によるオーバーランド方面作戦開始直前、キルパトリックはリッチモンドやバージニア半島を通る襲撃を行い、ベル・アイルやリビー刑務所で捉われている戦争捕虜を救出しようとした。キルパトリック隊は多くの資産を破壊し、敵軍と多くの戦いを行ったが目的は達しなかった。配下の旅団指揮官の一人で、ジョン・アドルフ・ダールグレン海軍少将の息子ウルリッヒ・ダールグレンがその途中で戦死した。ダールグレンが死んだ直後にその体から文書が出てきて、それにはアメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスの暗殺計画に関する命令が書かれていた。ダールグレン文書の発見と出版によって国際的論争が引き起こされた。「キルパトリック=ダールグレン」遠征はこのような失態になり、キルパトリックはもはや東部戦線に居られなくなった。その後西部戦線に転属となり、ウィリアム・シャーマン配下のカンバーランド軍で騎兵軍団第3師団指揮官となった。
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