飛鳥寺 出土品

飛鳥寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 12:56 UTC 版)

出土品

塔心礎納置品

『書紀』によれば推古天皇元年(593年)、飛鳥寺の塔心礎(塔の心柱の礎石)に仏舎利が埋納された。後世の仏塔では地表に心礎を据えるが、飛鳥寺の塔心礎は地下式で、大きさは東西2.6メートル、南北2.4メートルを計る。飛鳥寺の塔は建久7年(1196年)に落雷で焼失した。翌建久8年(1197年)に東大寺の僧・弁暁が記した『本元興寺塔下堀出御舎利縁起』によれば、弁暁は焼失した飛鳥寺の塔の心礎から仏舎利と荘厳具を取り出し、再び埋納したという。これらの埋納物は、1957年(昭和32年)の発掘調査で心礎周辺から出土した。出土品には、挂甲(上古のよろいの一種)、馬鈴、刀子、玉類など、古墳の副葬品に共通するものが多い一方で、金銀の延板など奈良時代の寺院の鎮壇具に共通するものも含まれており、古墳時代と飛鳥時代の両方の特色をもっている。これら出土品は日本最古の仏塔の心礎に埋納された遺物として貴重なものである。なお、心礎の2メートルほど上方で出土した金銅製(銅に金メッキ)の舎利容器と、これを入れていたヒノキ材製の外箱は鎌倉時代の再埋納時に新たに作られたものであり、創建当初の舎利埋納状況は明らかではない。[45][46][47]

塔心礎出土品を列挙すると以下のとおりである[48]。これらは奈良文化財研究所飛鳥資料館にて保管・展示されている[49]

  • 鉄製挂甲1領
  • 蛇行状鉄器1点
  • 青銅馬鈴1点
  • 刀子12点
  • 砥石1点
  • 金銅(銅に金メッキ)製品 - 耳環23点以上、歩揺146点以上、鍔付半球形金具2点、円形打出金具14点、杏葉形打出金具28点以上、鈴7点
  • 玉類 - ガラス小玉、ヒスイ製勾玉、瑪瑙製勾玉、ガラス製勾玉、碧玉製管玉、水晶製切子玉、銀製空玉、銀製山梔玉、赤瑪瑙製丸玉、ガラス製トンボ玉
  • その他 - 金延板7点、金粒1点、銀延板5点、銀粒7点、雲母片、琥珀片、蓋石片(凝灰岩製)
  • 鎌倉時代の製品 - 舎利容器、灯明皿、舎利容器外箱(檜材)

なお、塔跡出土品の再整理の際、従来材質不明とされていたものの中に真珠の小玉14点が含まれていることが奈良文化財研究所の調査で判明し、同研究所の2017年版紀要で調査結果が公表された。これらの小玉は直径1.5から2ミリメートルの微細なものであるが、穿孔されている。蛍光X線分析で主成分がカルシウムであると判明したこと、電子顕微鏡による観察で層状の構造が確認できたことから、これらの小玉は真珠であると判断された。[50][51]

『日本書紀』や『元興寺資材帳』からは、崇峻天皇元年(588年)、百済から四種の技術分野の八名の技術者が渡来したことが知られる[52]。彼らが渡来してから建築用材調達が行われる同三年(591年)までに造営技術者や工人の養育養成が行われ、造瓦分野においては須恵器の青海波紋作りに用いる当て道具の使用痕跡が認められることから、須恵器作りの工人が動員されていると考えられている[53]

これらの瓦博士、またはその指導を受けた工人の製作したものと思われる7世紀前半期の瓦が飛鳥寺の寺域から出土しているが、これらは瓦当(軒丸瓦の先端の円形部分)の素弁蓮華文の文様から2系統に分類され、それぞれ「花組」「星組」と通称されている。このうち「花組」は各弁の先端部分に小さな切り込みを入れて立体感を出している。一方、「星組」は各弁の先端部分に1個の珠点を表す。「花組」と「星組」の瓦は瓦当裏面の仕上げや、瓦当と丸瓦の接合方法にも差がみられる。「星組」が玉縁式(有段式)の丸瓦を用い、瓦当裏面は「なで調整」を行うのに対し、「花組」は丸瓦に行基瓦(無段式)を用い、瓦当裏面の仕上げにあまり意を用いていない。以上のことは、飛鳥寺創建期の瓦を製作した工人集団には2つの系統があったことを意味している。[54]


注釈

  1. ^ 古代の寺院には山号はなく、山号は後世付けられたものである。なお「鳥形山」は寺の北東、飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)のある山を指す。
  2. ^ 用明天皇2年(587年)の蘇我馬子による建立発願の記事では「法興寺」、推古天皇14年(606年)の丈六仏完成の記事では「元興寺」と表記され、壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)の記事中には「飛鳥寺北路」「飛鳥寺西槻」の表記がみられる。
  3. ^ 「露盤」とは塔婆の屋根上にある相輪の基礎部分を指すが、古くは相輪全体を指して露盤といった。
  4. ^ 「丈六光」は「丈六(一丈六尺)の仏像の光背」の意味。一丈六尺は約4.8メートルで、坐像の場合はその半分の法量を指す。詳細は法量参照。
  5. ^ 『元興寺縁起』本文及び「露盤銘」にも百済からの技術者派遣についての言及があるが、技術者の人数はそれぞれ異なっている。
  6. ^ 井上光貞監訳、佐伯有清・笹山晴生 訳『日本書紀II』中央公論新社〈中公クラシックス〉、2003年。ISBN 4121600584。"この歳、百済国は、使と、僧恵総えそう令斤りょうこん惠𥦽えしょくらとを遣わし、仏の舍利を献上した。百済国は、恩率おんそつ首信すしん徳率とくそつ蓋文こうもん那率なそつ福富味身ふくふみしんらを遣わして調をたてまつり、あわせて仏の舎利と、僧聆照律師りょうしょうりっし令威りょうい恵衆えしゅ(恵総と同一人か)恵宿えしゅく(惠𥦽と同一人か)道厳どうごん令開りょうけ(令斤と同一人か)ら、それに寺工てらたくみ(寺院建築の技術者)太良未太だらみだ文賈古子もんけこし鑪盤博士ろばんのはかせ(仏塔の相輪部分の鋳造技術者)将徳しょうとく白昧淳瓦博士かわらのはかせ麻奈文奴まなもんぬ陽貴文ようきもん㥄貴文りょうきもん昔麻帝弥しゃくまたいみ画工えかき白加を献上した"。 

出典

  1. ^ a b 大脇 1989, p. 12.
  2. ^ 浅井 (1999) p.10
  3. ^ a b c d e 岩城隆利 1999, p. 13-18.
  4. ^ 吉田一彦 2003, p. 346-307.
  5. ^ 木下正史『飛鳥幻の寺、大官大寺の謎』(角川書店、2005)、p.19; 黒崎直『飛鳥の宮と寺』(日本史リブレット71)(山川出版社、2007)p.4、ほか諸資料
  6. ^ 大脇 1989, p. 7.
  7. ^ 大橋 (1996) p.133
  8. ^ 大橋 (1997) pp.135 - 136
  9. ^ a b 浅井 (1999) p.8
  10. ^ 大橋 (1997) pp.178 - 179, 204 - 205
  11. ^ 大脇 1989, p. 29.
  12. ^ 大脇 1989, p. 45-52.
  13. ^ 大脇 1989, p. 41.
  14. ^ 岩城隆利 1999, p. 18-19.
  15. ^ 岩城隆利 1999, p. 34-36.
  16. ^ 岩城隆利 1999, p. 36-38.
  17. ^ 岩城隆利 1999, p. 38-40.
  18. ^ 竹内亮「大寺制の成立と都城」『日本古代の寺院と社会』(塙書房、2016年) ISBN 978-4-8273-1280-5
  19. ^ a b 本郷真紹「古代寺院と学僧」、根本誠二 他編『奈良平安時代の〈知〉の相関』(岩田書院、2015年) ISBN 978-4-87294-889-9
  20. ^ 岩城隆利 1999, p. 24-27.
  21. ^ 『日本書紀』天武天皇9年3月条
  22. ^ 大脇 1989, p. 20.
  23. ^ 岩城隆利 1999, p. 92-94.
  24. ^ 岩城隆利 1999, p. 189-192.
  25. ^ a b 岩城隆利 1999, p. 339-341.
  26. ^ 大脇 1989, p. 42-43.
  27. ^ 大脇 1989, p. 43-44.
  28. ^ 久野 (1984) pp.49 - 52
  29. ^ 久野 (1984) p.54
  30. ^ 大脇 1989, p. 44-45.
  31. ^ 「飛鳥大仏 ほぼ造立当初のままの可能性 文学学術院・大橋教授らがX線分析、従来の見解覆す研究成果」(早稲田大学サイト)]
  32. ^ (藤田ほか、2017)、pp.85, 97, 98
  33. ^ (藤田ほか、2017)、pp.63, 85
  34. ^ (藤田ほか、2017)、pp.63, 87
  35. ^ a b (藤田ほか、2017)、p.63
  36. ^ (藤田ほか、2017)、pp.63, 64, 65, 87
  37. ^ 竜山石は長いあいだ凝灰岩だと言われていたが、近年の研究で水中自破砕溶岩ハイアロクラスタイト)であると特定された。
  38. ^ 大脇 1989, p. 54-56.
  39. ^ 大脇 1989, p. 25-27,36.
  40. ^ 大脇 1989, p. 28-30.
  41. ^ 大脇 1989, p. 31-32.
  42. ^ 大脇 1989, p. 33-34.
  43. ^ 大脇 1989, p. 35-36.
  44. ^ 大脇 1989, p. 37-38.
  45. ^ 飛鳥寺塔心礎の埋納品(奈良文化財研究所サイト)
  46. ^ 清永洋平「009 飛鳥寺の塔の埋納物 飛鳥資料館のみどころ(12)」『奈文研ニュース : 奈文研ニュース』第21号、独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所、2006年6月、8-8頁、doi:10.24484/sitereports.16780-12841NAID 120005523814 
  47. ^ 『飛鳥寺と飛鳥大仏解説書』、明日香村・関西大学文学部考古学研究室、2013
  48. ^ http://npokokusaibunnkazai.web.fc2.com/04.html 諫早直人「舎利荘厳具から見た飛鳥寺と王興寺」(講座資料(特に資料3)、2017年2月17日、於大阪韓国文化院)、NPO法人国際文化財研究センターサイト
  49. ^ 飛鳥資料館第一展示室展示品目録
  50. ^ 「飛鳥寺の塔跡から真珠 仏教の七宝、創建時埋める」(産経新聞2017年7月6日)」
  51. ^ 田村朋美「005 飛鳥寺塔心礎に埋納された真珠小玉」『奈文研ニュース : 奈文研ニュース』第63号、国立文化財機構奈良文化財研究所、2016年12月、6頁、doi:10.24484/sitereports.18960-13251NAID 120005905799 
  52. ^ 京都国立博物館:学叢ホームページ版第16号(1994/3/31)森郁夫(1994), 「わが国における初期寺院の成立」『学叢』 16号 p.22
  53. ^ 奈良国立文化財研究所: 学報第5冊(1958年)『飛鳥寺発掘調査報告書』p.36
  54. ^ 納谷守幸軒丸瓦製作手法の変遷 - 飛鳥地域出土の7世紀前半代の資料を中心として - (PDF) 『明日香村文化財調査研究紀要』第4号、明日香村教育委員会、2004/12
  55. ^ 銅造釈迦如来坐像(本堂安置) - 国指定文化財等データベース(文化庁
  56. ^ 飛鳥寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁






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