PC-9800シリーズ
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ハードウェアの特徴
バス
1982年(昭和57年)発売の初代機「PC-9801」はCPUに16ビットのNEC製μPD8086(Intel 8086互換)5MHz、割り込みコントローラに8259Aのカスケード接続、DMAコントローラに8237を使用するなど、インテルの8086ファミリ互換チップを採用しているため、構成がIBM PCと似ている[53]。ただし、外部バスとして8ビット幅のXTバス(XT bus architecture)を搭載したIBM PCと異なり、筐体を開けずに抜き差し出来る16ビット幅の拡張スロット(通称、Cバス)を採用している。幅広く事務用途や工業組込用途に適合するよう、ハードウェア面ではPC-8000/8800シリーズに似たシステム構成を取り、従来のPC-8000/8800シリーズユーザーが移行しやすいよう工夫されている。内部は8086向けにハードウェアを最適化し、CUI向けに性能を特化させた16ビットパソコンである。PC-9801では、μPD8086がマキシマムモードで構成され、バスコントローラとしてμPB8288[54]が採用されている[55]。
同時期に米国で爆発的に普及した[56]IBM PCを取り上げると、IBM PCがCPUとして採用した8088は内部的には汎用レジスタ長が16ビット、リニアにアクセスできるメモリの最大容量を決定するアドレスバスは20ビット長(=1Mバイト)であるが、供給安定性の観点から8ビットCPU用の周辺チップがそのまま利用できるように、外部バス幅は8ビットとなっている[15]。対して、PC-9801は当初から8088の上位機種である8086をCPUとして採用、外部バス幅は16ビットとなっており、バスクロックは10MHz、最大転送速度は毎秒1MBでIBM PC(モデル5150)よりも大幅に高速な転送能力を備えている点が優れていた[57]。これはグラフィックの性能を左右すると考えられ、IBMマルチステーション5550ではCPUに8088ではなく8086が採用された[58]。
なお、PC-98では、その後の機能拡張でも互換性維持を大前提としてメモリやI/Oへアドレスを割り付けていった。その結果、VRAMのように割り当てられたアドレスが不連続になるものがあったほか、初代機からの部品数削減の名残で一部のI/Oアドレスが一見無意味にデコードされていない、またユーザー用に予約されている箇所が極端に少ない、という状態になってしまった[要出典]。
ノーマルモードではPC/AT互換機同様、CPUの持つメモリ空間1Mバイトのうち、VRAMやBIOS ROM等の予約領域を除くと、ユーザーが利用可能なメイン・メモリ空間は最大でも640Kバイトで区切られてしまうメモリマップとなっている。この時代にはそれが問題となることはなかったが、ソフトウェアが肥大化したMS-DOSの全盛期には、日本語入力システムなどのデバイスドライバを常駐させた後の少ないフリーエリアのやりくり、特に起動時に500Kバイトから600Kバイト程度のフリーエリアを必要とするアプリケーションのための領域確保にEMSやXMSといった知識が必要になり、ユーザーは苦労することになった。ハイレゾモードではVRAMの割り当て方法がこれと異なり、最大768Kバイトのメイン・メモリ空間を確保できる。
PC-98XA以降ではサポートされる物理アドレスが従来の20ビットから24ビットに拡張された80286の搭載に伴い、4ビット分のアドレス線を未定義の信号線に割り当ててCバスを24ビットアドレス対応に拡張する仕様変更が行われている。なお、この機能についても従来の拡張ボードとの互換性維持に対する配慮が行われており、ボード挿入時に拡張ボード右奥に搭載されたバーが本体側スロット右上に追加搭載されたスイッチを押し下げ、本体に24ビットアドレス対応であることを通知した場合にのみ有効となる[59]。
1990年(平成2年)に発売されたHyper98(PC-H98シリーズ)は32ビット外部バスのNew Extend Standard Architecture(NESA)を搭載。1993年(平成5年)発売の98MATEはVESA ローカルバス(VLバス)のようにCPUのメモリバスに直結した独自仕様の「32ビットローカルバス」を搭載する[60]。これは短期間のうちにPeripheral Component Interconnect(PCI)に置き換えられ、以後はPCIスロットと16ビット幅の拡張スロットが共存することになった。
グラフィック
PC-98は日本語の文字を高速に表示するために漢字ROMとテキストVRAMを搭載している(ただし初代機とPC-9801Eでは漢字ROMは別売)。また、当時の水準としては高精細かつ高速なグラフィック処理のために、自社製の汎用グラフィックコントローラGDC(Graphic Display Controller μPD7220)を2個、テキスト用(マスタ動作・CRT同期信号を生成)とグラフィック用(スレーブ動作)にそれぞれ使用する[61]。テキストVRAMとは別にグラフィックVRAMも備えており、グラフィック画面の解像度は640ドット×400ドット8色(RGBを各1ビットで表現して組み合わせた8色固定パレット、デジタルRGBと呼ばれた)を始めとするPC-8800シリーズ上位互換の画面モードとすることで、BASICレベルで互換性を確保している。テキストVRAMに文字コードを書き込むだけで画面上に文字を表示でき、またグラフィックVRAMの画面と切り替えたり重ねたりすることができる。また、テキスト用GDCに付随してテキスト表示の滑らかなスクロールを実現する回路を搭載し、テキスト画面・グラフィック画面ともに、ハードウェアによる1ライン単位の縦スクロールおよび16ドット単位の横スクロールを可能にしている[61]。
2つのVRAM(テキスト画面とグラフィック画面)を使い分けることで、ワープロやエディタなど文字系のソフトウェアを使う場合は、他の機種よりも有利だった。初期のワープロソフトでは[要追加記述]、高速に表示できるテキスト画面で文章を入力し、精巧に表示できるグラフィック画面で印刷イメージを確認するものがほとんどだった。テキスト画面にはPC-8000シリーズと同様のキャラクタグラフィックモードも実装され、PC-8000シリーズ/PC-8800シリーズと部分的ながら互換性を保つよう考慮されている[62]。しかし、後年にWindowsが登場した際に、テキストVRAMは複数のMS-DOSアプリケーションを同一のグラフィック画面上に表示することを難しくした[63]。
GDCは直線・円弧などグラフィック図形の描画機能、縦横方向へのスクロール機能を持つ。GDCの機能は直線の描画には使用されたが、円弧の描画には使用されていなかった[64]。μPD7220にはVRAMをCPUのメモリアドレス空間から分離して配置するための機能が用意されているが、PC-98ではCPUのメモリアドレス上にVRAMが配置され、CPUからもVRAMに直接アクセスできるようになっている。これにより、VRAM上でのグラフィック図形の移動はGDCを使うよりもCPUでブロック転送を行った方が高速に処理することができる[61]。
PC-9801Fでは初代PC-9801の2倍のグラフィックVRAMを搭載し、640×400ドット8色表示において、画面をちらつかせることなくグラフィックを描画するダブルバッファリングを可能にしている。
PC-98XAは、ワープロやCADを快適に使いたいという需要に応えるべく、表示解像度1120×750ドット、16色、24ドットフォントによる高精細表示を可能にしている。この際、VRAMのアドレスやBIOSなどアーキテクチャが変わったため、従来のソフトウェアがそのままでは動かなかった。後継のPC-98XLでは、PC-98XAと互換性があるアーキテクチャをハイレゾモード、本流のPC-9801シリーズと互換性があるアーキテクチャをノーマルモードとして、2つのアーキテクチャをスイッチで切り替えることができる。この系統は32ビット拡張バス (NESAバス) を搭載したHyper98(PC-H98シリーズ)へ引き継がれたが、1993年の98MATEとウィンドウアクセラレータボードの登場でその優位性は薄れた[65]。
PC-9801VMではグラフィック機能が大きく強化され、従来機でのデジタルRGB出力による8色表示から、アナログRGB出力による4096色中16色同時発色表示に改良されている(一部モデルではオプション)。この表現力を生かすため、VRAM各プレーン同時書き込み制御に対応したグラフィック処理プロセッサGRCG(Graphic Charger)が追加されている[66]。
PC-9801VXは新たにGRCG上位互換のEGC(Enhanced Graphic Charger)と呼ばれる、VRAM各プレーン同時制御を読み出しにも対応させて高速化を実現した新グラフィック処理プロセッサを搭載している[66]。また、グラフィック用VRAMにはデュアルポートRAMを採用し、CPUからの書き込みとCRTCからの読み込みが同時にできるようになったため、VRAMへのアクセス速度が向上している[67]。
当時のソフトウェアは性能を引き出すためにハードウェアに依存して設計されており、特にグラフィックの仕様を維持することは互換性を維持する上で絶対であった[2]。PC-98の本流ではPC-9801VM以来、既存ソフトウェアの互換性と資産継承を優先したためグラフィックの仕様は固定されていたが、1992年(平成4年)発売のPC-9821ではVGA解像度に相当する独自仕様の640×480ドット256色表示グラフィックモードが追加された。また、1993年(平成5年)からはWindowsやOS/2での利用に最適化された汎用のグラフィックチップ及びその機能が「ウィンドウアクセラレータ」と称して、オンボードだけでなく拡張ボードとしても提供された[13]。
補助記憶装置
PC-98のフロッピーディスクは、PC-8800シリーズから継承した5インチ2D(両面倍密度)のインテリジェントタイプのものを除き、内蔵DMAコントローラを使用することで、CPUの動作と並列してファイル操作が出来た。
PC-9801VMでFDDまわりの仕様がほぼ確立し、従来の1MB[注 6] FDDインターフェースをベースにした2HD/2DD自動切替ドライブが以降の機種に標準搭載されるようになる。このときPC-98では8インチ2Dとのフォーマットの互換性が維持され、3.5インチでも1.25MB (1232KiB) のフォーマットが標準となった。このためPC-98では後年の機種で3モードFDDに対応するまでの間、すなわち日本国内シェアを独占した全盛期の機種の多くが、世界標準である1.44MBフォーマットの3.5インチFDを読み書きできないという互換性の問題を生じることになった。詳しくはフロッピーディスクの項目を参照。
PC-98のソフトウェアは容量の都合上プログラムディスクとデータディスクの2枚に分けた上で運用される場合が多く、また、日本語の業務アプリケーションを実用的なレベルで動かすには1.25MBの容量が必要であった。例えば、一太郎のプログラムディスクはMS-DOSの実行環境とメインプログラム、日本語入力システム (ATOK) とその辞書ファイルがちょうど1.25MBのフロッピーディスクに収まった[68]。1980年代の時点でパソコンにとってHDDは高価なオプション機能であり、多くのマシンは2台のFDDのみ搭載していた。
「98FELLOW」「98MATE」シリーズから、内蔵3.5インチFDDは[注 7]、従来のPC-98のフォーマットに加え、PC/AT互換機で使われている1.44MBフォーマットにも対応するようになった。それ以前の機種や外付けFDDの場合、DOS上であれば1.44MBに対応させた外付けFDD製品も存在するが、この場合は独自のDOSドライバを使う方式のため、Windows 95等では1.44MBに対応しないという問題があった[69]。DOSとWindowsの両方に対応した方法としては、SCSI接続のスーパーディスクドライブを使う方法がある[70]。
ハードディスクドライブ (HDD) 用インターフェイスには当初、SASIまたはST-506を使用しており、拡張ボードではPC-9801-27として提供された。1987年(昭和62年)にCD-ROMドライブのみをサポートするSCSIインターフェイスボードが発売され、1988年(昭和63年)にはNEC製SCSI HDDに対応したPC-9801-55 SCSIインターフェイスボード(通称、55ボード)が発売され、その後の一部の機種ではこのボードに相当するSCSIインターフェイスが内蔵された。55ボードやサードパーティーが発売したSCSIインターフェイスボードは、それぞれ自社が販売するHDDしかサポートしなかったことに加え、品質の悪いケーブルが出回っていたため、相性問題を引き起こしてユーザーを混乱させた。この問題はPC-9801-92 SCSIインタフェースボード(1993年(平成5年)7月出荷)が登場する頃になってようやく終息する目処が立った[71]。
IDEは98NOTEでは早期から内部的に使われていたが、デスクトップ型では98MATEから使われている[13]。IDEはBIOSレベルではSASIと同等のものとして動作するため、IDEが使われる前に発売されたオペレーティングシステムでもSASIと同様に扱うことができる[72]。
キーボード
PC-9801のキー配列はPC-8801を基本としつつ、PC-8801ではシフトキーと5個のファンクションキーの組み合わせで10個の機能を呼び出していたところを、PC-9801では初めから10個のファンクションキーを配置している。また、漢字変換用に「XFER」キーが新設され、カーソルキーは移動方向に対応した配置になった[61]。内部的にはμPD8048(Intel 8048相当)などのマイコンを内蔵したシリアル接続タイプで[73]、ハードウェア的には直接読み取ることはできないが、BASICプログラムの移植性を考慮して、BASIC上からはPC-8800シリーズと同様にI/O命令でキースキャンコードを読み出せるよう部分的にエミュレーションされている[74]。
PC-9801Fではキーボードの接続コードと端子が細くなった一方、本体側の端子は背面へ移動したためコードが長くなった。また、ステップスカルプチャ構造となり、使用感が改善された[22]。
PC-98XAではvf・1からvf・5まで5個の機能キーを追加し、Homeキーが4つのカーソルキーの中央に移動した[75]。
PC-9801RAからは新たに開発されたキーボード内部制御用のASICが搭載され[76]、同時に発表されたOS/2のタスク切り替えに対応するため、CapsLockおよびカナロックがソフトウェアによるロックになった。オルタネイト式スイッチによる機械的なロックは廃止され、キーボード上のLEDにロック状態が表示されるようになった[75]。
98MATEや98FELLOWでは製造コスト削減により、キーボードはそれまでのメカニカルスイッチからメンブレンスイッチの安価な物(下記PC-9801-106相当)に変更され、キータッチは反発感のある物になった[77]。さらにWindows 95が開発されて以降は、Windowsキーとアプリケーションキーが追加された(下記PC-9801-119相当)。
98MATEや98FELLOWが発売された頃から、別売りの純正キーボードとして、本体付属のものとの同等品2種に加え、PC/AT互換機と同配列の106キーボードや、特定のNEC製ソフトウェアに対応した専用キーボードも発売されていた。
- PC-9801-98: 楽々キーボード(矢印キーが中央にあるなど、通常と異なるキー配置)
- PC-9801-106: 98標準キーボード(Windowsキー、アプリケーションキーなし)
- PC-9801-114: PC-PTOSキーボード(N5200シリーズ準拠。PC-PTOSインストールモデルと同等)
- PC-9801-115: 文豪DPキーボード(文豪DP-OFFICEインストールモデルと同等)
- PC-9801-116: 106キーボード(PC/AT互換機準拠、アプリケーションキーなし)
- PC-9801-119: 98標準キーボード(95)(Windowsキー、アプリケーションキーあり)
サウンド
初期のPC-9801は音程固定のブザーのみを内蔵していた。PC-9801U2以降はIBM PCのように8253 プログラマブルインターバルタイマを制御することでビープ音の音程を変えられるようになった。また、オプションでPC-8801mkIISR相当のサウンド機能(ヤマハ製FM音源チップのOPN、2個のアタリ仕様ジョイスティックポート、N88-BASIC(86)にサウンド命令を追加するBIOS ROM)を搭載した拡張ボードPC-9801-26 サウンドボードなどが発売された。PC-9801型番の3.5インチFDD搭載モデルは、多くのモデルでは家庭用を意識して[78]、5インチモデルよりも小型の筐体で、標準でPC-9801-26K相当のモノラルFM音源を搭載した。このサウンド機能はPC-98対応ゲームソフトをプレイする上で、BGMや効果音を鳴らすために必須であった[79]。
このサウンド機能は1992年(平成4年)発売のPC-9821と1993年(平成5年)発売の98MATEで大幅に強化され、OPN上位互換のOPNAとCD音質のステレオPCM音源が内蔵された。このサウンド機能は98FELLOWや従来機ユーザー向けにPC-9801-86 サウンドボードとして発売され、PC-9801-26Kの上位互換として多くのゲームソフトが対応した[79]。
PC-8800シリーズ互換のPC-98DO+はPC-8801MAと同等のOPNAを標準搭載し、またOPNAのADPCM用のメモリも搭載している。PC-98GSやPC-9801-73/86/118音源ボード、またそれら相当の音源内蔵機では、OPNA用ADPCMのメモリを搭載せず、OPNAとは別に搭載されたPCM音源を代わりに使用する仕様になっている。それ以外の機種でOPNAのADPCMを使う場合は、サードパーティーのメーカーが発売したOPNA音源ボードのスピークボード(または互換品)を搭載するか、または本体や音源ボードに搭載されるOPNAにメモリを増設・接続する改造をしなければならない。
注釈
- ^ 最終出荷は2004年(平成16年)3月まで[4]。
- ^ 未来技術遺産と俗称される。
- ^ 初代「PC-9801」発売の1982年(昭和57年)から、後継アーキテクチャとなるPC98-NXシリーズ発売の1997年(平成9年)頃まで
- ^ 1991年に電通リサーチが行ったアンケート調査によると、パソコンの選択基準で最も重視されたのが「互換性」であった。
- ^ ただしNECは当初そのようには呼んでいなかった。その後、プリンタ等一部NEC製の周辺機器のカタログで「PC-98NXシリーズを含むPC/AT互換機」という表現が見られた。なお、DOS/Vの動作は保証していない(FC98-NXの一部機種でPC DOS 2000の動作を保証しているのみである)。
- ^ ここで言う1MBとは、5インチや3.5インチFDにおける2HDを指す。これらは約1.2MBほどのフォーマット容量を持つが、これをNECは1MBと表現していた。
- ^ MATE Aシリーズの場合は5インチFDD内蔵モデルであっても、ファイルスロットに3.5インチ3モードFDDを内蔵することで、1.44MBのFDを読み書きできる[69]。
- ^ 一般的にソフトウェアの改竄が違法行為とされるのは、あくまで複製を行う場合の話である。SIPは既にインストール済みのプログラム(運用ディスクやHDD)を書き換えるものであって、複製を行うものではないため、著作権上は問題が無いと考えられている[85]。
- ^ 12MHzや、20MHz(一部の機種を除く)、それ以上の機種ではCPUクロックがシステムクロックと分離しており(したがってクロックアップ改造の敷居が低いことでも知られる)、それらの機種のシステムクロックは5/10MHz系になっている。
- ^ ただし、キーボードに関しては5/10MHz系も8MHz系も共通して19200bpsであり、どちらか一方のみに対応するキーボードは存在しない。
- ^ PC-9800シリーズのRS-232CはPC-9821AnまでFIFOバッファが搭載されておらず、高速通信ではとりこぼしの恐れが大きかったため、5/10MHz系の機種であってもこのようなボードは有用であり、草の根BBSなどで重宝された。
出典
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