王権神授説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/28 06:31 UTC 版)
君主主義 |
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ヨーロッパの絶対王政期において、長らく「神の代理人」とされてきたローマ教会の権威・権力からの王権の独立と、国民に対する絶対的支配の理論的根拠となった。代表的な論者に、フランスのボダンやボシュエ、イングランドのフィルマーなどがいる。
注釈
- ^ マルク・ブロックは、王家の正統なる男系君主が事例に則している。すなわち「王家」というよりは「王権」の、それも「男系の王権」に備わる霊威であるとする。ただし家門に付随する血統霊威という観点を導入すれば、王家に霊性の根拠を求める見方も採りうる。マルク・ブロックの見解にあっても、示される霊威について血統の観念は否定されていない。
- ^ ロックの『統治二論』(1690年)のうちの第一論は、フィルマーの唱えた王権神授説に対する反論であった。
- ^ 「油を塗られた者」というのが「メシア」という語の意味であるように、《聖油を塗る》という行為は一般に神と関連づけられた宗教的行為あるいは象徴的行為である。
- ^ 国家賠償の観点からは、19世紀後半にフランスでコンセユ・デタ(行政裁判所)の判例によって公役務過失ないし危険責任の理論により、国家の賠償責任を肯定するようになった。
出典
- ^ この節は全体的にマルク・ブロック『王の奇跡』に依拠している。
- ^ J・B・モラル 2002, p. 35.
- ^ マルク・ブロック『王の奇跡』
- ^ マルク・ブロックに従って実例を示せば、ジルベール・ラングレの『医療概論』(13世紀前半)、ロジェ・ド・パルムおよびロラン・ド・パルムの『外科学概論』に付された注釈(13世紀末〜14世紀初頭)、ベルナール・ド・グルトンの『医学の白百合』(16世紀以前)、ジョン・オヴ・ガジュデンの『実用医学』(16世紀以前)など。
- ^ エルンスト・H・カントローヴィチ『王の二つの身体』平凡社、p.102、R・W・サザーン『西欧中世の社会と教会』八坂書房、p.25
- ^ エルンスト・H・カントローヴィチ『王の二つの身体』平凡社、pp.320-323)
- ^ エルンスト・H・カントローヴィチ『王の二つの身体』平凡社、p.319)
- ^ エルンスト・H・カントローヴィチ『王の二つの身体』平凡社、p.138
- ^ (エルンスト・H・カントローヴィチ『王の二つの身体』平凡社、p.141)。
- ^ (井内太郎「国王の身体・儀礼・象徴」『支配の文化史』pp.14-35)
- ^ 大野(1975)
- 1 王権神授説とは
- 2 王権神授説の概要
- 3 ヨーロッパにおける王権神授説
- 4 メソポタミアの王権神授
王権神授説と同じ種類の言葉
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