美ヶ原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 15:24 UTC 版)
概要
かつては楯状火山とその溶岩台地と考えられてきたが、現在は安山岩質の組成を持つ火山の浸食地形と解釈されるようになった。最高峰は、王ヶ頭(2,034m)。他に、王ヶ鼻(2,008m)、茶臼山(2,006m)、牛伏山(1,990m)、鹿伏山(1,977m)、武石峰(1,973m)といったピークがある。山頂付近は平坦な台地状の地形で、美ヶ原牧場と呼ばれる牛の放牧地となっている。美ヶ原牧場には5月から10月まで約300頭の牛が放牧されている[1]。茶臼山頂上は草原で展望良く、とくに車山、蓼科山方面が近くに見える[2]。
長野県のほぼ中央に位置し、県内の広範囲を見渡すことができる。このことから各種、放送・通信の要衝となっている。松本市側の山頂(松本市入山辺字美ヶ原山頂)は日本郵便から交通困難地の指定を受けているため、地外から当地宛に郵便物を送付することは出来ない[3]。
開発史
「美ヶ原」という呼称について、文献上の初見は『信府統記』であるとされる[4]。定着したのは、1921年(大正10年)に木暮理太郎が、日本山岳会の会報『山岳』に登山の記録を載せてからである。
山頂付近は、平安時代より放牧地として利用されてきた。江戸時代には、御嶽山が展望できることから、御嶽教の山岳信仰の山ともなった。王が鼻に並ぶ神像群はいずれも御嶽山の方角を向いており、御嶽教の信仰の対象である。
- 1909年(明治42年) - 美ヶ原牧場が開かれ、本格的な牧場として利用が始まった。
- 1930年(昭和5年) - 頂上に山本小屋が開業し、多くの登山者が訪れるようになった。
- 1954年(昭和29年) - 美ヶ原のシンボルとなっている「美しの塔」が、遭難防止のための道標および避難所として建設された。
- 1957年(昭和32年) - 山頂までの林道が開通し、頂上付近までバスが運行されNHKとSBCのアンテナが王ヶ頭に建設された。
- 1981年(昭和56年) - ビーナスラインが開通し美ヶ原高原美術館が開館して、車で手軽に行ける観光地となった。
観光
- 高原散策(美ヶ原自然保護センター-王ヶ頭-塩くれ場-高原美術館)
- ^ a b c d e f g “八ヶ岳中信高原国定公園 美ヶ原パノラマコース(遊歩道)マップ” (PDF). 道の駅 美ヶ原高原. 2020年12月15日閲覧。
- ^ 登山ルート・山旅スポット. “美ヶ原(うつくしがはら)の登山ルート・難易度”. 山旅旅. 2020年10月8日閲覧。
- ^ “別冊(内国郵便約款第79条及び第97条関係) 交通困難地・速達取扱地域外一覧” (PDF). 日本郵便 (2022年2月21日). 2022年5月1日閲覧。
- ^ 美ヶ原観光連盟「美ヶ原の歴史」より(2011年8月15日付、2015年3月20日閲覧)。『信府統記 巻二』に「うつくしが原」と記されている。
- ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)66頁より。
- ^ a b 中継局整備状況(長野県) 総務省|信越総合通信局、2022年11月28日閲覧。
- ^ a b SBCラジオのワイドFMがいよいよ始まります!:SBC信越放送:SBC信越放送、2018年1月17日閲覧。
- ^ 総務省|信越総合通信局|信越放送株式会社のFM補完中継局に予備免許 ~長野県内の中波ラジオ放送の受信状況が改善~信越総合通信局、2018年1月17日閲覧。
- ^ a b 無線局免許状情報(信越放送長野FM(総務省)
- ^ 井出道貞著述『信濃奇勝録 巻之一』井出通、1887年4月25日。
美ヶ原と同じ種類の言葉
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