第一次ベララベラ海戦 E作戦

第一次ベララベラ海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 19:35 UTC 版)

E作戦

経緯

ソロモン諸島サンタイサベル島の北西端レカタ湾(ガダルカナル島ルンガ泊地まで約250km)には[64]ガダルカナル島攻防戦時に日本軍が設置した水上機基地があった[65](昭和17年8月29日、R方面航空部隊発足)[66][67]。ニュージョージア島攻防戦当時、ここには第八聯合特別陸戦隊(司令官大田実海軍少将、ニュージョージア島守備隊)より派遣された第七聯合特別陸戦隊司令部(呉鎮守府第七特別陸戦隊)歩兵1個大隊(約300名)が配置されていた[68][69]

ニュージョージア島の戦局が悪化した1943年(昭和18年)8月13日時点で、日本軍上層部(大本営陸海軍部、連合艦隊、南東方面艦隊)は中部ソロモン諸島(ニュージョージア島コロンバンガラ島)からの撤退を決定していた[12][70]。8月19日、南東方面部隊指揮官(草鹿任一中将)はニュージョージア島方面作戦指導要領を決定、この中でレカタ基地配備の第七聯合特別陸戦隊をチョイスル島とブインに転用することが決まった[14]。これを「E作戦」と呼称する[14]

参加艦艇

○指揮官 外南洋部隊増援部隊指揮官伊集院松治大佐(第三水雷戦隊司令官)[71]

  • 輸送隊(8月25日から26日、全力出撃時)指揮官 第17駆逐隊司令
  • 陽動隊
    • 軽巡洋艦川内(三水戦旗艦、伊集院司令官直率)
    • 吹雪型駆逐艦、神風型駆逐艦松風

作戦経過

8月22日の撤退作戦は[73]、駆逐艦複数隻(浜風、磯風、時雨)[74]で実施された[43]。0130にラバウルを出撃する[43]。午後3時頃、ブーゲンビル島北方を航行中にB-24重爆に触接される[75]。夜になりチョイセル島北方海面を航行中、偵察機より「敵巡洋艦4隻、駆逐艦数隻レカタ湾口にあり」の報告を受けた[75]。敵艦隊に北上の気配があったことや[76]、天候不良もあり、宮崎司令は輸送作戦の中止を決断した[43]。輸送部隊はラバウルに帰投した[43]

輸送作戦の中止をうけて、外南洋部隊指揮官鮫島具重海軍中将(第八艦隊司令長官、ブーゲンビル島のブイン所在)は増援部隊(第三水雷戦隊)全力による輸送を命じた[43]。8月25日0200、増援部隊(第三水雷戦隊)はラバウルを出撃する[77]。1730、ブーゲンビル海峡北口で陽動隊(川内、漣)と輸送隊(浜風、磯風、時雨)および松風は分離し、陽動隊はショートランド島南方を機宜行動した[77]。分離した松風はブイン~ラバウル間の輸送に従事した[77]。この時、先のベラ湾夜戦で遭難した第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐と沈没艦(萩風江風)生存者を収容している[78]

輸送部隊はブーゲンビル島北側を南下し、サンタイサベル島へむかった[76]。8月26日[79]0045、輸送隊はレカタ基地に到着した[77]。揚陸中に夜間空襲をうけ、時雨は至近弾を受けた[80]。陸戦隊員を収容して後、0145に泊地を出発する[77]。輸送隊はブイン帰投予定だったが、連合軍機の活動状況からブイン入港をとりやめる[77]。帰路、ブーゲンビル島沖合で輸送部隊をB-24重爆9機[81]の襲撃を受ける[80]。浜風が至近弾により損傷、機関部に浸水被害があり、便乗中の呉第七特別陸戦隊の司令を含めて戦死傷者を出した[81][82]。陽動隊は26日1200、輸送部隊は27日0515、それぞれラバウルに帰投した[77]。時雨座乗の第27駆逐隊司令原為一大佐は「まったくらくな仕事ではない」と回想している[80]

輸送隊が運んだ人員は、今度は川内と漣でラバウルからブインに移動[77]、つづいてチョイスル島スンビ守備隊となった[83]。本作戦で損傷した浜風は内地に帰投する。磯風と時雨はその後も第三水雷戦隊司令官の指揮下にあり、ソロモン諸島での作戦に従事した[84]




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