海流 海流調査の歴史

海流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 00:00 UTC 版)

海流調査の歴史

海中に一定の流れがあるということは古くから知られていた。8 - 11世紀に活躍したヴァイキングたちは優秀な航海者であり当然大西洋東部の海流を利用したと思われる。しかし大洋の強大な海流が見出されたのは15世紀以降、大洋の航海が盛んになってからのことであり、海流に対する知識は航海術の発達と前後して拡大されていく。1497年イタリアの船長ジョン・カボットラブラドルに行く途中ラブラドル海流を発見した。また同年ヴァスコ・ダ・ガマポルトガルから喜望峰を回ってモザンビーク海流に逆らって北上、翌年アフリカ東岸ザンベジ河口から南西季節風海流に乗ってインドのカリカット(コーリコード)に到着したという記録が残っている。コロンブスの探検航海の水先案内人アラミノス (Antonio de Alaminos) は1513年メキシコ湾メキシコ湾流の存在に気づき、この大海流に乗ってヨーロッパへ渡る最適帆船航路を発見した。1595年オランダ人ヤン・ホイフェン・ヴァン・リンスホーテン (Jan Huyghen van Linschoten) は水路誌を作成して大西洋における海流を詳説したが、これがその後100年余り航海者にとっての指針となった。1678年やはりオランダのキルヒナー[要曖昧さ回避]インド洋海洋図を刊行したが、その中には西向きの赤道海流およびアガラス海流が明示されている。1688年イギリス天文学者エドモンド・ハレーはインド洋の季節風と共に変化する表層海流を示した。また北赤道海流南赤道海流の間に赤道反流が流れていることも明らかにした。しかし上記のようなヨーロッパ人による大航海時代の海洋探検の目的は、新しい航路や領土を発見して貿易および植民地を通しての利益を得ることが主であったため、海洋に対する科学的調査が行われたわけではなかった。海流の科学的調査が本格的に行われるようになったのは20世紀に入ってから、特に第二次世界大戦後である。今のところ世界中の海流の中で湾流黒潮が最も詳しく研究されていると言えるが、いまだ海流研究において不明な点は残る。

日本

日本においても、黒潮沖縄諸島から日本南岸を流れている事実が既に12世紀には知られていたことは、平家物語中の平康頼卒塔婆を流す記述からもうかがえるが、北太平洋全域の海流全体については知識が乏しかったと考えられる。特に寛永鎖国以後、外洋航海が禁止されたので外洋の海流に対する知識はとだえてしまい、江戸時代の漂流船が海流に逆らって帰港しようと試み失敗して全員餓死したと思われる例がかなりあった。[4](開国から戦後は黒潮#歴史を参照)。現在は、ソビエト連邦の崩壊に伴って、今まで政治的問題で実態調査が困難であった東樺太海流などの調査も進められている。


  1. ^ (毎年の)理科年表の「海流」の節で「単位:ノット」と記載されている。
  2. ^ 数え方辞典、海流
  3. ^ 能沢源右衛門『新しい海洋科学』成山堂書店、1999年。ISBN 4-425-53007-1 
  4. ^ 監修者和達清夫『海洋の辞典』東京堂出版、1960年。 






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