杉栄三郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/30 01:03 UTC 版)
経歴
岡山県哲多郡矢神村(現在の新見市)出身[3]。1900年(明治33年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業[1]。会計検査院に入ったが、1902年(明治35年)より清国の招聘で京師大学堂(北京大学の前身)教授となった[3]。10年間在職したが、辛亥革命により帰国した[3]。帰国後は会計検査院に戻り、検査官、第一部第三課長を務めた[3]。その後、宮内省に移り、書記官、参事官、帝室林野局主事、図書頭、諸陵頭を歴任した[1]。1932年(昭和7年)より帝室博物館総長を務めた。1939年(昭和14年)、退官して宮中顧問官に就任した[1]。その他に日華学会理事を務めた[1]。
親族
栄典
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
参考文献
- 『岡山県人物月旦』岡山新聞社、1918年。
- 帝国秘密探偵社編 『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1942年。
公職 | ||
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先代 大島義脩 課長 |
東京帝室博物館歴史課長事務取扱 1932年 - 1935年 |
次代 原田淑人 課長 |
先代 五味均平 図書頭心得 |
図書頭 1922年 - 1932年 |
次代 渡部信 |
先代 関屋貞三郎 諸陵頭事務取扱 |
諸陵頭 1924年 - 1932年 諸陵頭事務取扱 1924年 |
次代 渡部信 |
その他の役職 | ||
先代 正木直彦 |
日本博物館協会理事長 1939年 - 1946年 |
次代 川上嘉市 |
先代 赤間信義 |
日華学会理事長 1943年 - 1945年 |
次代 (解散) |
先代 赤間信義 |
東亜学校学監 1940年 - 1945年 |
次代 (日華学院高等部に改組) |
先代 三輪田輪三 東亜高等予備学校学監 |
東亜学校学監 1935年 - 1937年 東亜高等予備学校学監 1933年 - 1935年 |
次代 赤間信義 |
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