曙太郎 キックボクシング

曙太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/22 02:05 UTC 版)

キックボクシング

現役引退後は曙親方として東関部屋で後輩の指導をしていたが、東関親方との関係や将来設計、日本相撲協会の体制ややり方に不安を抱き(金に関する甘さとして、貴乃花に勝った際に受けた懸賞の束を曙が道端のホームレスに同情して差し出したエピソードが残っており、経営者として不適格である面が退職に繋がったという見解も為される)[23]2003年11月5日、日本相撲協会に退職願を提出し受理され、翌11月6日に記者会見を開き格闘技K-1参戦が発表された[24]

2003年12月31日、デビュー戦となった「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」(ナゴヤドーム)でボブ・サップと対戦、1ラウンドKO負け[25]。なお、曙がうつ伏せになって倒れているシーンの視聴率紅白歌合戦を上回った。

2004年3月27日、「K-1 WORLD GP 2004 in SAITAMA」(さいたまスーパーアリーナ)で武蔵と対戦、プッシングでスリップダウンした武蔵に対しレフェリーの制止を振り切り攻撃し続けたため、反則をカウントされるなどして判定負けを喫した。

2004年7月17日、「アジアGPトーナメント」(韓国)で中国の張慶軍(チャン・チンジュン)と対戦するも、手数が出ず延長の末判定負けとなった。

2004年8月15日、「K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGAS」(ラスベガス)で行われた世界最終予選でリック・ルーファスと対戦。プッシングの反則で減点を受け、0-3の判定負け。

2004年9月25日、「K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦」(日本武道館)でレミー・ボンヤスキーと対戦。3Rに右ハイキックで失神KO負け。

2005年3月19日、「K-1 WORLD GP 2005 in SEOUL」(韓国)の準々決勝で角田信朗と対戦し、判定で悲願の初勝利を挙げた。しかし準決勝でチェ・ホンマンと対戦し、KO負け。

2005年7月29日、「K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII」でチェ・ホンマンと再戦したが1R2分52秒TKO負け。

2006年7月30日、チェ・ホンマンと3度目の試合を行い、2R57秒KO負け。

2008年8月9日、K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAIIの大会プロモーターを務めた[26]

2015年12月31日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYSでボブ・サップと再戦し、判定負け。

キックボクシング 戦績
10 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
1 0 1 0 0 0
9 5 4 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× ボブ・サップ 2R 0:47 負傷判定0-3 RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYS
【シュートボクシングルール】
2015年12月31日
× チェ・ホンマン 2R 0:57 KO(パンチ連打) K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO
~アンディ・フグ七回忌追悼イベント~
2006年7月30日
× チェ・ホンマン 1R 2:52 TKO(パンチ連打) FieLDS K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII 2005年7月29日
× チェ・ホンマン 1R 0:42 TKO(タオル投入) K-1 WORLD GP 2005 in SEOUL
【ASIA GP 準決勝】
2005年3月19日
角田信朗 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2005 in SEOUL
【ASIA GP 1回戦】
2005年3月19日
× レミー・ボンヤスキー 3R 0:33 KO(右ハイキック) K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦 2004年9月25日
× リック・ルーファス 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2004 in Las Vegas 2004年8月7日
× 張慶軍(チャン・チンジュン) 延長R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2004 in SEOUL
【ASIA GP 1回戦】
2004年7月17日
× 武蔵 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2004 in SAITAMA 2004年3月27日
× ボブ・サップ 1R 2:58 KO K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! 2003年12月31日

注釈

  1. ^ 実際には和歌乃山に中学横綱の経験はない。
  2. ^ それから22年後の2014年7月場所に豪栄道が大関昇進を果たしたが、直前3場所の成績は12勝(2差次点)-8勝-12勝(1差次点)で32勝と目安となる33勝に1勝足らず、その上曙同様に2場所前が8勝どまりであった。しかしこの場所で連続関脇在位14場所という昭和以降最長の記録を達成しており、これが評価された形で大関昇進が認められた。
  3. ^ そのため、当時の大相撲中継で翌日の取組で曙vs出島が組まれた際は実況アナウンサーに「曙にとってとても嫌な相手」とよくコメントされていた。
  4. ^ それまでの歴代1位は初代貴ノ花の連続17場所で、この記録も2019年9月現在に至るまで歴代2位のまま残っている。
  5. ^ 当初、リキシのパートナーは荒谷望誉であったが、試合直前に変更。
  6. ^ 右足第5中足骨骨折により全休
  7. ^ 大関角番
  8. ^ 貴ノ花(のち貴乃花)・若ノ花(のち3代・若乃花)と優勝決定戦
  9. ^ 武蔵丸と優勝決定戦
  10. ^ 貴ノ浪貴闘力と優勝決定戦
  11. ^ 左膝内側半月板損傷、右膝関節内障により12日目より途中休場
  12. ^ 両膝内側半月板断裂、左大腿骨軟骨損傷により全休
  13. ^ 先場所についで、両膝内側半月板断裂、左大腿骨軟骨損傷により全休
  14. ^ 左大腿外側四頭筋不全断裂により10日目より途中休場
  15. ^ 右膝関節内障及び水腫により3日目より途中休場
  16. ^ 先場所についで右膝関節内障及び水腫により全休
  17. ^ 3代若乃花、武蔵丸、貴ノ浪、魁皇と優勝決定戦
  18. ^ 貴乃花、武蔵丸、魁皇と優勝決定戦
  19. ^ 貴乃花と優勝決定戦
  20. ^ 左膝半月板及び左膝軟骨損傷により全休
  21. ^ 腰椎分離症、変形性脊椎症により全休
  22. ^ 先場所についで、腰椎椎間板ヘルニアにより全休
  23. ^ 3場所連続で、腰椎椎間板ヘルニアにより全休
  24. ^ 出島と優勝決定戦
  25. ^ 左大腿内転筋挫傷により4日目より途中休場
  26. ^ 先場所についで、左大腿内転筋挫傷により全休
  27. ^ 両膝変形性膝関節症により全休、場所終了直後の1月22日に引退表明
  28. ^ 元々は「曙ステーキ」の名前で提供されていたが、荻窪の「曙ステーキ」開業に伴い現在の名前に改名した。

出典

  1. ^ a b c 曙太郎さんが死去 大相撲初の外国出身横綱、54歳」『日本経済新聞』、2024年4月11日。2024年4月12日閲覧。 ※「4月上旬に心不全のため東京都の病院で死去」とあり、死去した日は言及されていない。
  2. ^ 相撲レファレンス 曙 太郎
  3. ^ 力士プロフィール 日本相撲協会公式サイト 曙 太郎
  4. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p32
  5. ^ 曙10年ぶり“角界復帰”師範代就任へ/相撲/デイリースポーツ online”. www.daily.co.jp(2013年4月3日). 2018年12月28日閲覧。
  6. ^ 東関部屋おかみさん日記 2016年12月06日 合宿@延岡2016年12月21日閲覧
  7. ^ 『「年寄」への条件一つ越えた 帰化の曙 本名は曙太郎 「、」とりました』朝日新聞東京本社版1996年4月23日付朝刊25面
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 光文社インタビュー.
  9. ^ a b c d e ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p32
  10. ^ 朝日新聞1992年5月27日付夕刊社会面
  11. ^ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.100
  12. ^ 朝日新聞1992年11月24日付朝刊スポーツ面
  13. ^ 朝日新聞1993年1月21日付朝刊スポーツ面
  14. ^ 朝日新聞1993年1月25日付朝刊スポーツ面
  15. ^ a b 朝日新聞1993年1月26日付朝刊スポーツ面
  16. ^ 朝日新聞1993年1月25日付朝刊スポーツ面では、「興行優先で貴花田を上げる以上、二場所連続優勝の内規を満たす曙を上げざるを得ない。」と指摘している。
  17. ^ 朝日新聞1993年1月27日付夕刊社会面
  18. ^ 朝日新聞1993年1月28日付朝刊一面
  19. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p33
  20. ^ スポーツコラム 【54話.19場所ぶり10度目の優勝! 横綱曙】 Wata倶楽部ネット 2000/8/12
  21. ^ a b c d e f g h i 2001年1月23日付日刊スポーツ紙面
  22. ^ 元横綱・曙太郎さん死去 医師も「31歳にして老人」と指摘、本誌に激白していた「悲痛引退」の“原因” Smart FLASH 2024.04.11 16:45 (2024年4月11日閲覧)
  23. ^ 相撲』2012年2月号
  24. ^ 元横綱曙、K-1デビュー。初戦でサップと激突 BoutReview 2003年11月6日
  25. ^ 曙デビュー戦は衝撃的な初回失神KO負け/復刻”. 日刊スポーツ (2017年1月1日). 2022年8月28日閲覧。
  26. ^ K-1ハワイ大会で曙がプロモーター”. 日刊スポーツ. 2023年8月28日閲覧。
  27. ^ リングが花火に…曙&大仁田 9年ぶり電流爆破マッチ スポニチAnnex 2012年8月27日
  28. ^ 曙選手が全日本プロレスの所属選手になりました!!! 株式会社全日本プロレスリングシステムズ 2013年9月6日
  29. ^ 「王道トーナメント ~2013オープン選手権~」平成25年9月11日(水)全日本プロレスオフィシャルサイト - 公式ホームページ Archived 2013年10月12日, at the Wayback Machine.
  30. ^ 曙が不整脈 3冠返上「責任果たせない」” (2014年5月31日). 2014年5月31日閲覧。
  31. ^ 曙が全日取締役就任へ 戦列復帰も宣言”. 東京スポーツ (2014年7月28日). 2014年7月28日閲覧。
  32. ^ 「巻頭リポート 全日本プロレス4・25後楽園 全日本「2015チャンピオン・カーニバル」最終戦」、『週刊プロレス』No.1790、ベースボール・マガジン社、平成27年5月13日/5月20日合併号(4月28日発行)、4-10頁、2015年。
  33. ^ 曙選手について 全日本プロレス公式サイト
  34. ^ DDT Road to Ryogoku 2017~ドラマティック・ドリーム・炭坑節~福岡・大牟田市文化会館小ホール”. 週刊プロレスプレミアム. 2024年4月17日閲覧。
  35. ^ http://www.hochi.co.jp/topics/20170415-OHT1T50314.html 2017年4月16日5時0分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年3月17日閲覧)
  36. ^ 曙太郎、生命の危機乗り越えリハビリ 必ずリングに 日刊スポーツ 2018年3月9日9時3分(日刊スポーツ新聞社、2018年3月17日閲覧)
  37. ^ 曙、心不全で記憶障害…70キロ激ヤセも“再び相撲を”リハビリに励む日々 Sponichi Annex 2018年9月28日 22:24 (スポーツニッポン新聞社、2018年9月29日閲覧)
  38. ^ 曙が病気で70キロ減 重度の記憶障害で特殊な歩行器で訓練 SANSPO.COM 2018.9.28 22:05(産経新聞社、2018年9月29日閲覧)
  39. ^ 元横綱・曙太郎さん、病室で「若貴がいたから横綱・曙が生まれた」と語っていた 思い出は優勝決定巴戦 2024年4月11日 16時3分スポーツ報知 (2024年4月11日閲覧)
  40. ^ a b 《元横綱の曙さん死去》交際中に「婚約破棄」騒動の女優・相原勇の今「結婚信じて全レギュラー降板」20年ぶり再会で誓ったこと(1/7ページ) NEWSポストセブン 2024.04.11 19:00 (2024年4月11日閲覧)
  41. ^ 急死の東関親方の弔問に闘病中の元横綱・曙が来た…振分親方に「部屋を頼んだぞ」”. スポーツ報知 (2019年12月19日). 2022年10月21日閲覧。
  42. ^ 千歳香奈子 (2024年4月11日). “曙さん訃報、NYタイムズやハワイメディア報じる「伝説的人物」駐日大使も「誇り高きハワイアン」”. 日刊スポーツ. 2024年4月22日閲覧。
  43. ^ 曙太郎さん死去、英BBCでも伝える「ハワイ生まれの日本の相撲レジェンドが死去」”. スポーツ報知 (2024年4月11日). 2024年4月22日閲覧。
  44. ^ 元横綱・若乃花の花田虎上、曙太郎さん追悼「ライバルであり友であり苦楽を共にした仲間」”. ORICON NEWS (2024年4月11日). 2024年4月22日閲覧。
  45. ^ 高田文太 (2024年4月14日). “曙太郎さん葬儀300人参列、遺言は「明るく送り出して」ハワイの音楽流れ、アロハシャツ姿で棺に”. 日刊スポーツ. 2024年4月22日閲覧。
  46. ^ 元横綱・曙さんの葬儀・告別式 ハワイの歌で明るく見送り…元高見盛の東関親方は出棺時に涙”. スポーツニッポン (2024年4月15日). 2024年4月22日閲覧。
  47. ^ FIGHTING TV サムライ『善意本プロレス中継』2013年9月11日放送分
  48. ^ 朝日新聞1992年5月27日付夕刊一面
  49. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p74-79
  50. ^ 曙、相原勇と婚約破棄した理由は「相撲取れないとき、結婚ばっかり迫られた」 SANSPO.COM
  51. ^ 大相撲酒豪番付2014年東銀座場所 時事ドットコム
  52. ^ ベースボールマガジン社「週刊プロレス」NO.1711 11月13日号
  53. ^ スポーツ名言集 627号 Number Web 2014.08.06
  54. ^ 曙、師範代として12年ぶりまわし姿 デイリースポーツ 2013年6月9日
  55. ^ 曙「乗り心地最高!」馬場さんのキャデラックもらう”. 日刊スポーツ (2015年6月25日). 2015年7月10日閲覧。
  56. ^ 曙感激!馬場さんのキャデラック届いた!”. 東京スポーツ (2015年6月26日). 2015年7月10日閲覧。
  57. ^ 曙が東京マラソン挑戦! 強化合宿で完走なるか!? K-1公式サイト 2009年2月25日
  58. ^ 本当に残念…曙が東京マラソン欠場へ K-1公式サイト 2009年3月18日
  59. ^ 【杉並区】テナント募集?!荻窪南口にあった『アケボノステーキ』がいつの間にか閉店していたようです - 号外NET杉並区・2020年5月27日






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