曙太郎 人物

曙太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/13 03:49 UTC 版)

人物

2mを超える長身といかつい容貌のため、また若貴の人気が突出していたため、あるいは師匠同士の因縁のため、外国人初の横綱を張ったことなどから悪役的な位置づけをされることが多かった。実際に師匠同士の因縁については本人も新弟子時代より意識しており、当時より「貴花田に負けたら部屋に戻れないだろう」と思っていた。[7]だが平幕力士として話題性が少なかった時期には、関取に昇進して以降ハワイの両親の元に送金を欠かさなかった(1991年5月場所に小錦に敗れ7勝8敗と1点の負け越しを喫し連続勝ち越しが途切れるまで、勝ち越しによって増額された分の給金を送金していた。このことは広く知られており、負けて負け越しとなる一番を元とした取組が漫画で描かれた折にも、曙をモデルとした力士がその旨を心の声として語っている)ことから「孝行息子」と評される。また、当時の東関部屋の部屋頭だったことや師匠譲りのオレンジ色の廻しを締めていたこと(十両時代は水色。その後は紫や黒、茶色や緑などを使用しており、最高位が横綱の力士としては珍しく締め込みの色を度々変えていた)から「ジェシーの一番弟子」として微笑ましく見守るファンは多く、相撲部屋を扱ったテレビ番組で師匠の東関親方とともに当時の高砂親方(元小結富士錦)のもとに新年の挨拶に訪れ、お年玉をもらう姿が放映されたり好意的に扱われていた。しかし折からの「若貴ブーム」で相撲を大々的に取り上げ始めた民放スポーツ番組では、若貴に対抗するヒールとして扱うことが当時は多かった。

曙貴 全対戦一覧

曙貴両雄の対戦は、1990年11月場所〜2000年11月場所の61場所間に42回実現し、千秋楽結びの一番の対戦は史上1位の27回、千秋楽両者優勝圏内の対戦が10回(うち、相星決戦が5回でこれも史上1位である)あった。

千秋楽(太字)は、千秋楽結びの一番をしめす。

場所 対戦日 曙勝敗
(通算成績)
貴乃花勝敗
(通算成績)
優勝力士 備考
1990年11月場所 04日目 ○(01) ●(00) 千代の富士 初対戦
1991年01月場所 08日目 ○(02) ●(00) 霧島
1991年03月場所 10日目 ●(02) ○(01) 北勝海
1991年05月場所 08日目 ●(02) ○(02) 旭富士
1991年07月場所 09日目 ●(02) ○(03) 琴富士
1991年09月場所 08日目 ○(03) ●(03) 琴錦
1991年11月場所 09日目 ○(04) ●(03) 小錦
1992年01月場所 03日目 ○(05) ●(03) 貴乃花(01)
1992年03月場所 千秋楽 ○(06) ●(03) 小錦
1992年05月場所 11日目 ○(07) ●(03) 曙(01)
1992年07月場所 - - - 水戸泉 曙新大関。曙休場により対戦なし。
1992年09月場所 08日目 ●(07) ○(04) 貴乃花(02)
1992年11月場所 14日目 ○(08) ●(04) 曙(02)
1993年01月場所 千秋楽 ○(09) ●(04) 曙(03) 千秋楽曙2敗、貴乃花3敗で対戦
1993年03月場所 千秋楽 ○(10) ●(04) 若乃花(当時若花田) 曙新横綱、貴乃花(当時貴ノ花)新大関
1993年05月場所 千秋楽 ●(10) ○(05) 貴乃花(03) 千秋楽1敗同士相星決戦
1993年07月場所 千秋楽 ●(10) ○(06) 曙(04) 千秋楽曙1敗、貴乃花2敗で対戦 貴乃花勝利。優勝決定戦は、曙勝利。
1993年09月場所 千秋楽 ●(10) ○(07) 曙(05)
1993年11月場所 千秋楽 ○(11) ●(07) 曙(06)
1994年01月場所 14日目 ○(12) ●(07) 貴乃花(04)
1994年03月場所 千秋楽 ○(13) ●(07) 曙(07)
1994年05月場所 - - - 貴乃花(05) 曙休場により対戦なし。
1994年07月場所 - - - 武蔵丸 曙休場により対戦なし。
1994年09月場所 - - - 貴乃花(06) 曙休場により対戦なし。
1994年11月場所 千秋楽 ●(13) ○(08) 貴乃花(07)
1995年01月場所 千秋楽 ●(13) ○(09) 貴乃花(08) 貴乃花新横綱。千秋楽2敗同士で、武蔵丸との優勝決定戦進出をかけて対戦
1995年03月場所 千秋楽 ○(14) ●(09) 曙(08) 千秋楽1敗同士相星決戦
1995年05月場所 千秋楽 ●(14) ○(10) 貴乃花(09) 千秋楽1敗同士相星決戦
1995年07月場所 千秋楽 ○(15) ●(10) 貴乃花(10)
1995年09月場所 千秋楽 ●(15) ○(11) 貴乃花(11)
1995年11月場所 - - - 若乃花(3代) 曙休場により対戦なし。
1996年01月場所 - - - 貴ノ浪 曙休場により対戦なし。
1996年03月場所 - - - 貴乃花(12) 曙休場により対戦なし。
1996年05月場所 千秋楽 ●(15) ○(12) 貴乃花(13)
1996年07月場所 千秋楽 ●(15) ○(13) 貴乃花(14) 千秋楽2敗同士相星決戦
1996年09月場所 千秋楽 ●(15) ○(14) 貴乃花(15)
1996年11月場所 - - - 武蔵丸 貴乃花休場により対戦なし。
1997年01月場所 千秋楽 ●(15) ○(15) 若乃花(3代)
1997年03月場所 千秋楽 ●(15) ○(16) 貴乃花(16) 千秋楽曙2敗、貴乃花3敗で対戦 貴乃花勝利。優勝決定戦も貴乃花が勝利。
1997年05月場所 千秋楽 ○(16) ●(16) 曙(09) 千秋楽曙2敗、貴乃花1敗で対戦 優勝決定戦も曙勝利。
1997年07月場所 千秋楽 ●(16) ○(17) 貴乃花(17) 千秋楽2敗同士相星決戦
1997年09月場所 千秋楽 ●(16) ○(18) 貴乃花(18)
1997年11月場所 - - - 貴ノ浪 曙休場により対戦なし。
1998年01月場所 - - - 武蔵丸 貴乃花休場により対戦なし。
1998年03月場所 - - - 若乃花(3代) 貴乃花休場により対戦なし。
1998年05月場所 千秋楽 ○(17) ●(18) 若乃花(3代)
1998年07月場所 千秋楽 ○(18) ●(18) 貴乃花(19)
1998年09月場所 千秋楽 ●(18) ○(19) 貴乃花(20)
1998年11月場所 - - - 琴錦 曙休場により対戦なし。
1999年01月場所 - - - 千代大海 曙休場により対戦なし。
1999年03月場所 - - - 武蔵丸 両者休場により対戦なし。
1999年05月場所 - - - 武蔵丸 貴乃花休場により対戦なし。
1999年07月場所 14日目 ○(19) ●(19) 出島
1999年09月場所 - - - 武蔵丸 両者休場により対戦なし。
1999年11月場所 - - - 武蔵丸 曙休場により対戦なし。
2000年01月場所 千秋楽 ●(19) ○(20) 武双山
2000年03月場所 千秋楽 ○(20) ●(20) 貴闘力
2000年05月場所 千秋楽 ●(20) ○(21) 魁皇
2000年07月場所 - - - 曙(10) 貴乃花休場により対戦なし。
2000年09月場所 - - - 武蔵丸 貴乃花休場により対戦なし。
2000年11月場所 14日目 ○(21) ●(21) 曙(11) 曙貴最後の対戦。
  • 1994年11月場所以前までの対戦成績は、曙の13勝8敗で、曙優勢であった(優勝は、曙7回、貴乃花7回)。
  • 1995年1月場所以降の両者横綱同士での対戦成績は、貴乃花の13勝8敗で、貴乃花優勢であった(優勝回数は、曙4回、貴乃花13回)。

大相撲成績

通算成績

  • 通算成績:654勝232敗181休 勝率.738
  • 幕内成績:566勝198敗181休 勝率.741
  • 横綱成績:432勝122敗166休 勝率.780
  • 幕内在位:63場所
  • 横綱在位:48場所(当時歴代4位、2019年9月現在歴代6位)
    • 番付上1人横綱在位:11場所(1993年3月場所 – 1994年11月場所。歴代3位)
  • 大関在位:4場所
  • 三役在位:6場所(関脇3場所、小結3場所)
  • 連勝記録:16(1992年11月場所7日目〜1993年1月場所7日目)
  • 年間最多勝:1993年、2000年(共に76勝14敗)
  • 連続6場所勝利:77勝(1992年11月場所〜1993年9月場所)
  • 通算連続勝ち越し記録:18場所(1988年5月場所〜1991年3月場所;初土俵から18場所連続勝ち越しは史上最長記録
  • 幕内連続勝ち越し記録:11場所(1992年9月場所〜1994年5月場所)
  • 幕内連続2桁勝利記録:10場所(1992年11月場所〜1994年5月場所)
  • 幕内連続12勝以上勝利:5場所(2000年3月場所〜2000年11月場所)
各段優勝
  • 幕内最高優勝:11回 (1992年5月場所、1992年11月場所、1993年1月場所、1993年7月場所、1993年9月場所、1993年11月場所、1994年3月場所、1995年3月場所、1997年5月場所、2000年7月場所、2000年11月場所)
    • 同点3回
    • 次点11回
    • 連覇:3連覇(1993年7月場所〜1993年11月場所)

三賞、金星

  • 三賞:6回
    • 殊勲賞:4回 (1991年1月場所、1991年3月場所、1992年1月場所、1992年5月場所)
    • 敢闘賞:2回 (1990年11月場所、1992年1月場所)
  • 金星:4個(旭富士2個、大乃国1個、北勝海1個)

幕内での場所別成績

566勝198敗181休
優勝11回、殊勲賞4回、敢闘賞2回、金星4個
曙太郎
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1988年
(昭和63年)
x (前相撲) 東序ノ口19枚目
6–1 
東序二段97枚目
5–2 
東序二段52枚目
5–2 
西序二段15枚目
6–1 
1989年
(平成元年)
東三段目60枚目
5–2 
東三段目33枚目
6–1 
西幕下55枚目
6–1 
東幕下28枚目
5–2 
西幕下14枚目
5–2 
東幕下5枚目
5–2 
1990年
(平成2年)
東幕下2枚目
4–3 
西十両12枚目
8–7 
西十両10枚目
11–4 
東十両3枚目
11–4 
東前頭14枚目
9–6 
西前頭7枚目
9–6
1991年
(平成3年)
西前頭筆頭
8–7
東小結
8–7
西関脇
7–8 
東前頭筆頭
8–7
西小結
7–8 
西前頭筆頭
8–7
1992年
(平成4年)
西小結
13–2
東関脇
8–7 
西関脇
13–2
東大関1
休場
0–0–15[注 1]
東張出大関
9–6[注 2] 
西大関1
14–1 
1993年
(平成5年)
東大関1
13–2 
東横綱
10–5 
東横綱
13–2 
東横綱
13–2[注 3] 
東横綱
14–1 
東横綱
13–2[注 4] 
1994年
(平成6年)
東横綱
11–4 
東横綱
12–3[注 5] 
東横綱
10–2–3[注 6] 
東横綱
休場
0–0–15[注 7]
東横綱
休場
0–0–15[注 8]
東横綱
10–5 
1995年
(平成7年)
西横綱
12–3 
西横綱
14–1 
東横綱
13–2 
西横綱
11–4 
西横綱
12–3 
西横綱
7–3–5[注 9] 
1996年
(平成8年)
西横綱
0–3–12[注 10] 
西横綱
休場
0–0–15[注 11]
西横綱
10–5 
西横綱
12–3 
西横綱
10–5 
西横綱
11–4[注 12] 
1997年
(平成9年)
東横綱
12–3 
西横綱
12–3[注 13] 
西横綱
13–2[注 14] 
西横綱
12–3 
西横綱
9–6 
西横綱
休場
0–0–15[注 15]
1998年
(平成10年)
西横綱
10–5 
東横綱
13–2 
東横綱
10–5 
東横綱
11–4 
西横綱
10–5 
東横綱2
休場
0–0–15[注 16]
1999年
(平成11年)
東横綱2
休場
0–0–15[注 17]
東横綱2
休場
0–0–15[注 18]
東横綱2
11–4 
東横綱
13–2[注 19] 
東横綱
2–2–11[注 20] 
東横綱2
休場
0–0–15[注 21]
2000年
(平成12年)
西横綱2
11–4 
西横綱
12–3 
東横綱
13–2 
東横綱
13–2 
東横綱
13–2 
西横綱
14–1 
2001年
(平成13年)
東横綱
引退
0–0–15[注 22]
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  1. ^ 右足第5中足骨骨折により全休
  2. ^ 大関角番
  3. ^ 貴ノ花(のち貴乃花)・若ノ花(のち3代・若乃花)と優勝決定戦
  4. ^ 武蔵丸と優勝決定戦
  5. ^ 貴ノ浪貴闘力と優勝決定戦
  6. ^ 左膝内側半月板損傷、右膝関節内障により12日目より途中休場
  7. ^ 両膝内側半月板断裂、左大腿骨軟骨損傷により全休
  8. ^ 先場所についで、両膝内側半月板断裂、左大腿骨軟骨損傷により全休
  9. ^ 左大腿外側四頭筋不全断裂により10日目より途中休場
  10. ^ 右膝関節内障及び水腫により3日目より途中休場
  11. ^ 先場所についで右膝関節内障及び水腫により全休
  12. ^ 3代若乃花、武蔵丸、貴ノ浪、魁皇と優勝決定戦
  13. ^ 貴乃花、武蔵丸、魁皇と優勝決定戦
  14. ^ 貴乃花と優勝決定戦
  15. ^ 左膝半月板及び左膝軟骨損傷により全休
  16. ^ 腰椎分離症、変形性脊椎症により全休
  17. ^ 先場所についで、腰椎椎間板ヘルニアにより全休
  18. ^ 3場所連続で、腰椎椎間板ヘルニアにより全休
  19. ^ 出島と優勝決定戦
  20. ^ 左大腿内転筋挫傷により4日目より途中休場
  21. ^ 先場所についで、左大腿内転筋挫傷により全休
  22. ^ 両膝変形性膝関節症により全休、場所終了直後の1月22日に引退表明
主な力士との幕内対戦成績
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
小錦 9 8 武双山 22 6 智ノ花 2 0
千代大海 7 4 霧島 10 3 安芸乃島 30 8
北勝海 2 2 逆鉾 4 0 大乃国 1 2
三杉里 16 6 隆三杉 3 0 湊富士 4 0
若翔洋 8 1 久島海 11 2 剣晃 8 1
水戸泉 11 0 寺尾 14 3 琴錦 30 11
出島 6 6* 土佐ノ海 14 4 琴ノ若 23 2
栃東 9 4 旭富士 3 2 貴闘力 28* 15
栃乃洋 7 3 旭豊 5 2 貴ノ浪 34* 5
小城錦 8 1 北勝鬨 2 0 琴別府 6 0
蒼樹山 5 0 朝乃若 5 0 琴稲妻 4 1
琴龍 6 0 大善 4 1 大翔山 4 5
闘牙 4 0 追風海 2 0 和歌乃山 4 0
栃乃和歌 12 7 魁皇 25 6 貴乃花 21** 21*
豊ノ海 3 1 浪乃花 3 0 大翔鳳 7 1
栃乃花 2 0 琴富士 4 2 巴富士 4 0
舞の海 2 1 旭鷲山 7 1 玉春日 8 3
濱ノ嶋 3 0 肥後ノ海 4 1 千代天山 4 0
雅山 6 2 旭天鵬 1 0 若の里 1 1
武蔵丸 22** 16* 旭道山 8 4 若乃花 18* 17
  • 他に優勝決定戦巴戦も含む)で、貴乃花、武蔵丸に各2勝1敗、若乃花、貴ノ浪、貴闘力に各1勝、出島に1敗がある。

大相撲時代のエピソード

  • 現役時代には時折怪我に苦しんで冷静さを失い、パッチを貼ってお祈りを行うだけの詐欺めいた治療で1000万円を請求され、これに黙って応じてしまったことがある。後年こそは笑い話で済ませているものの、当時は「もうなんとしてでも治して、土俵に立ちたいという気持ちから、黙って払ってしまうんだなぁ。さすがに、1000万円は払い切れなかったけど」という具合に追い詰められていた[7]
  • 関脇時代までは「天下をとる」を「点をとる」になぞらえ、点のない「」だったが、大関になって以降は点のある「」で書かれている。入門当時は「大海」(たいかい)と名乗り前相撲も取ったが、三段目に大魁(たいがい)という力士がおり、混乱を避けるため改名せざるを得なくなり、「曙」となった。大魁が別の四股名(鬼竜山)に改名した後の1990年3月場所に曙の弟が東関部屋に入門し、大海力(=つとむ)を名乗ったが、わずか2場所でハワイに帰国した。東関が本来スカウトしたかったのは下半身の細い曙ではなく均整の取れた力士体型を有していた弟の方であったという説もあり、その弟は東関部屋の継承資格を満たすこともできるほどに出世を期待されていたというが、そもそも弟は角界入りする意欲が無かった[7]
  • 春場所への意気込みを問われた際に、よく『枕草子』の「春は曙」(春は曙が良い)と言う有名な文を引用した。
  • 土俵上ではライバルだった貴乃花とはプライベートでは親友だった。貴乃花が引退する時には「これから必要になる」と自ら生地を選んだネクタイを贈っている。
  • 来日した時から「雲の上の人」だったハワイ出身の先輩である元大関小錦に対しては、1993年11月場所13日目に、小錦が負ければ大関から陥落する取組の相手を務めた事がある。対戦結果は曙が完勝、小錦は5勝8敗と9月場所(0勝2敗13休)に続き2場所連続負け越しにより大関転落となった。勝負が決まると小錦に軽く一礼したことが話題となった。この取り組みについて、のちに曙本人は「正直言って休場したい程嫌だった。でも先輩に対して手加減するのは失礼だと思い、心を鬼にして全力で当たったが、余りに辛過ぎる恩返しだった。」と自身の引退時に語っている。なお、翌日小錦に自身の勝利を謝ったが「これからの力士であるお前が俺に勝てないでどうする」と叱責されたという。
  • 休場中だった1999年1月場所の最中、曙は周囲に極秘のまま当時の時津風理事長(元大関豊山)へ突如引退届を提出していた。しかし時津風理事長からは「今はじっくりと怪我を治す事だけに専念しなさい。進退を考えるのはそれからだ」と笑顔で励まされつつ慰留されたという。
  • 2000年3月場所では土佐ノ海を相手に1960年の決まり手制定以降、幕内史上初めてとなる褄取りで勝利を収めた。しかし本人は褄取りの決まり手を知らず、報道陣のインタビューに対し「何それ? 知らなかったよ」と答えた後、当時「技のデパート」と呼ばれていた舞の海になぞらえ、「技のデパートハワイ支店」と自らを称した。
  • 曙は巨体と対照的に極めて繊細な神経の持ち主であった。大酒豪だが酒席では同席者への配慮を欠かさない。泥酔者が出るといつも自分の背中を「担架」代わりにして運びだす姿があった。酒席はもちろん、いつも携帯電話を手放さず、暇があると電話をかけまくる。根が飛び切りの寂しがりやということもあるが、親しい人にはとことんマメな付き合いをせずにいられない性格もある[16]
  • 1993年7月に最愛の父が死去した際、曙から「ダディのひつぎに写真や新聞を入れたい」と連絡を受け、記者はハワイに同行した。「チャドが呼んでいる」と言われ、記者が霊安室に入ると、曙が「ダディに最後のキスをする写真を記者に撮らせる」と母ジャニスさんを必死に説得していた。そこには記者が写真や新聞を提供してくれた恩は何としても返さなければならないという姿勢があった[16]
  • 現役終盤期、7代高砂(当時は11代若松)から縄跳びを調整法として勧められた。最後に2回優勝を上積みできたのは、縄跳びで俊敏性を鍛えたことによる[34]
  • 嫌いな食べ物はゴボウ。来日して間もない頃に初めてゴボウを口にした際、独特の風味に驚いて飲み込むことができず、それ以来トラウマになってしまったという。テレビ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』にゲスト出演した際、当時のことを「悪戯で木の根っ子を食べさせられたと思っていた」と語っている。
  • 1993年日本プロスポーツ大賞殊勲賞受賞
  • 1993年12月に東京ドームで行われたU2の東京公演にて、ボーカルのボノからのテレビ電話を受け大型スクリーンに登場したことがある。
  • 元々は、ホテルマンになることを志していた。東関部屋に入門したのも、日本語を習得することが目的であり、入門当初は力士として身を立てていくことは全く考えていなかった。一方で東関は「オレは強くなるんだ、強くなるためには、日本語をちゃんと覚えるんだという並々ならぬ覚悟があった。だから早く覚えたし、上手になった」と評している[8]
  • 1990年代前半には女性タレントの相原勇と交際しており、結婚寸前まで行ったことがあるが、1997年に破局した。2000年には別の女性と結婚し、3人目の子供も生まれた。
    • 後に2017年3月31日にTBSで放映された『今夜解禁!ザ・因縁』で20年ぶりに相原と2人で顔を合わせ、真相を語った。曙本人からではなく曙の代理人を名乗る人物(当時の曙の付き人)から「横綱のことは忘れてください。結婚はなかったことにしてください」と別れを告げられた(ことが納得しがたい)と話す相原に対し、曙は「俺は『別れた』と伝えたつもりだよ。俺が相撲取れないとき、結婚ばっかり迫られて、なんで励ましてくれないの?とりあえず結婚を置いといて、『がんばりましょう』と何でいえないの。そこで気持ちが切れた」とその理由を語った。その後は互いの主張を繰り返すも、冷静さを取り戻した曙は「自分の中ではもうけじめをつけて終わっていることだし、いい経験というのは失礼かもしれないけど、そういう経験があってから今があると思っている」と話した。相原も「すごいすっきりしている。本当に会えてよかった。堂々と生きていける気がする」と笑顔。この収録を最後に破局騒動には一切触れないと番組内で約束した[35]
  • 取的時代[7]のある時1980円で飲み放題の店に入り、チューハイをジョッキで40杯飲んだ。翌日も顔を出すと店主が青ざめ、以来その店は力士の飲み放題を断るようになったという。ただ酒豪伝説と言っても、曙は昭和の力士達と異なり日本酒やウイスキーではなく比較的アルコール度数の低いチューハイを好んでいたため、この点で留意すべきである。因みに来日当初は日本人の酒好き、煙草好きを不思議に思っていたそうである[36]

力士引退後のエピソード

  • 格闘家デビュー後、右腕に「AKEBONO」のタトゥーを、左腕に「YOKOZUNA」のタトゥーを、足に綱のタトゥーを、右腕はハワイの民族模様をモチーフにしたデザインをアメリカの有名デザイナーTOKYO HIROが手がけた。
  • トランクスには雲龍型の土俵入りがデザインされていて、腰のゴムバンドの部分に妻と子供の名前の頭文字である「C」を4つ入れている。チームユニフォームもTOKYO HIROによってデザインされている。
  • プロレス参入後、「相撲をやっていたので前回り受身はできるが、後ろ受身は出来ない」と告白したことがある。
  • 格闘技に関しては賛否両論があるが、プロレスについては師匠である武藤も「オレも天才と言われるが、本当の天才は曙」とコメントしている。K-1、総合格闘技で不振が続いていたため「横綱の歴史から抹消しろ」と言われたことがあり、その上プロレスデビューを巡ってプロレスファンや関係者から「マケボノ」と本気で侮蔑されたというが、それだけに全日本プロレスへ入団が決定した際は大変喜んでいた[37]
    • 格闘技やプロレスへの参戦は大局的に相撲普及のためであるといい、本人は「アメリカで相撲の団体を作る」といった目標も持っている。K-1やWWEなどのリングに上がった目的の一つとして相撲普及に必要な人脈作りと挙げたこともあり、元横綱である自分が格闘技での不振やプロレスでの迷走を辞さない理由について「相撲を理解していない人がやったら、ただのスポーツになってしまうから」と、本人なりに元横綱の使命を背負っていることを説明している[38]
  • 普段は寡黙なイメージの曙であるが、全日本プロレス参戦時にTARUから「札幌で負けたらマケボノに改名しろ!」と挑発された際に、「オイ、お前ら、うるさいんじゃい! 札幌で叩きつぶしてやるから負けたら(TARUが率いるVMを)解散しろ!」と応戦している。
  • 曙はグレート・ボノ(モンスター・ボノ→ボノちゃん→ボノくん→グレート・ボノへと成長)に関しては別人だと語っている。
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』での企画「バナナマン設楽を倒せ!芸能界手押し相撲最強決定戦!!」で、ラストボスとして出場。その際相手の設楽統に「こんなでっかい人『ONE PIECE』でしか見たことない!!」と言われた。結果は曙の圧勝。
  • 自身の著書『大相撲のぶっちゃけ話』で相撲界の特殊な女性関係を証言した。それ以外に、同著書では1991年7月場所中に名古屋の温泉宿で夏の甲子園大会を初戦で敗退して落ち込んでいた鈴木一朗(当時愛工大名電3年)を励ました逸話も記述されており、プロ野球選手イチローとなって曙に再会した鈴木一朗は当時自身を励ましてくれた曙に対して大いに感謝の意を述べた。
  • 2013年6月、師範代として東関部屋に招聘され、相撲協会を退職して以来10年ぶりに相撲界に復帰した[39]。因みに東関部屋の所在地は2019年現在の曙の本籍地であり、退職前の経緯から「二度と稽古場には立てないと思っていた」そうである。
  • 年下のレスラーに対しても敬語で話すことが多く、かつて付き人を担当していたマンモス佐々木にもリング上では敬語で話している。
  • 自宅には通常の体重計よりも上の体重を量ることができる特注の体重計がある。
  • 愛車はフランス車ルノー・アヴァンタイム。彼が日本で最初のオーナーである。
  • 2015年6月、曙の三冠ヘビー級王座防衛を祝い、ジャイアント馬場が生前に愛車としていたキャデラック馬場元子から寄贈された[40][41]
  • 2016年7月1日放送の『輝く!日本ドッキリスター大賞』(テレビ朝日)にて、天龍源一郎から顔面にパイをぶつけられるというドッキリを仕掛けられた。パイを受けた直後、曙は天龍に対してキレかかるが、すぐに謝罪。(パイを投げられたので)とっさにキレたふりをしたと告白した。
  • 2017年4月に心不全により意識不明の重体となり、緊急入院。その際に37分間心停止に陥り、生死の境を彷徨った。
    • 2018年9月28日放送のTBS「今夜解禁!ザ・因縁」で1年半振りのテレビ出演を果たしたが、体重が210キロから140キロまで減少していたこと、補助がないと身体を満足に動かすことができない状態であることが紹介された。また、心停止37分による記憶障害により、妻や息子のこと、時間の感覚すらおぼろげになっていた。しかし、現役時代犬猿の仲と言われた花田虎上と再会を果たした際は過去の取り組みや出来事を鮮明に覚えていた。

生活

  • 2009年、東京マラソン2009への参加を表明し[42]、周囲の不安視の中、体重を25kg減量するなど準備を整えたが、開催4日前にドクターストップがかかり出場を断念した[43]
  • 2012年11月25日、自身がプロデュースしたステーキハウス「曙ステーキ」が東京都杉並区荻窪にオープンした。



  1. ^ 相撲レファレンス 曙 太郎
  2. ^ 力士プロフィール 日本相撲協会公式サイト 曙 太郎
  3. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p32
  4. ^ 曙10年ぶり“角界復帰”師範代就任へ/相撲/デイリースポーツ online”. www.daily.co.jp(2013年4月3日). 2018年12月28日閲覧。
  5. ^ 東関部屋おかみさん日記 2016年12月06日 合宿@延岡2016年12月21日閲覧
  6. ^ 『「年寄」への条件一つ越えた 帰化の曙 本名は曙太郎 「、」とりました』朝日新聞東京本社版1996年4月23日付朝刊25面
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 光文社
  8. ^ a b c d e f ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p32
  9. ^ 実際には和歌乃山に中学横綱の経験はない。
  10. ^ それから22年後の2014年7月場所に豪栄道が大関昇進を果たしたが、直前3場所の成績は12勝(2差次点)-8勝-12勝(1差次点)で32勝と目安となる33勝に1勝足らず、その上曙同様に2場所前が8勝どまりであった。しかしこの場所で連続関脇在位14場所という昭和以降最長の記録を達成しており、これが評価された形で大関昇進が認められた。
  11. ^ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.100
  12. ^ オシエテケロ
  13. ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p64
  14. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p33
  15. ^ スポーツコラム 【54話.19場所ぶり10度目の優勝! 横綱曙】 Wata倶楽部ネット 2000/8/12
  16. ^ a b c d e f g h i 2001年1月23日付日刊スポーツ紙面
  17. ^ それまでの歴代1位は初代貴ノ花の連続17場所で、この記録も2019年9月現在に至るまで歴代2位のまま残っている。
  18. ^ 相撲」2012年2月号
  19. ^ 元横綱曙、K-1デビュー。初戦でサップと激突 BoutReview 2003年11月6日
  20. ^ 真夏のハワイでKO祭り!! 世界最終予選は誰が勝つ!?[リンク切れ] K-1公式サイト 2008年8月9日
  21. ^ 当初、リキシのパートナーは荒谷望誉であったが、試合直前に変更
  22. ^ リングが花火に…曙&大仁田 9年ぶり電流爆破マッチ スポニチAnnex 2012年8月27日
  23. ^ 曙選手が全日本プロレスの所属選手になりました!!! 株式会社全日本プロレスリングシステムズ 2013年9月6日
  24. ^ 「王道トーナメント ~2013オープン選手権~」平成25年9月11日(水)全日本プロレスオフィシャルサイト - 公式ホームページ Archived 2013年10月12日, at the Wayback Machine.
  25. ^ 曙が不整脈 3冠返上「責任果たせない」” (2014年5月31日). 2014年5月31日閲覧。
  26. ^ 曙が全日取締役就任へ 戦列復帰も宣言”. 東京スポーツ (2014年7月28日). 2014年7月28日閲覧。
  27. ^ 「巻頭リポート 全日本プロレス4・25後楽園 全日本「2015チャンピオン・カーニバル」最終戦」、『週刊プロレス』No.1790、ベースボール・マガジン社、平成27年5月13日/5月20日合併号(4月28日発行)、4-10頁、2015年。
  28. ^ 曙選手について 全日本プロレス公式サイト
  29. ^ http://www.hochi.co.jp/topics/20170415-OHT1T50314.html 2017年4月16日5時0分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年3月17日閲覧)
  30. ^ 曙太郎、生命の危機乗り越えリハビリ 必ずリングに 日刊スポーツ 2018年3月9日9時3分(日刊スポーツ新聞社、2018年3月17日閲覧)
  31. ^ 曙、心不全で記憶障害…70キロ激ヤセも“再び相撲を”リハビリに励む日々 Sponichi Annex 2018年9月28日 22:24 (スポーツニッポン新聞社、2018年9月29日閲覧)
  32. ^ 曙が病気で70キロ減 重度の記憶障害で特殊な歩行器で訓練 SANSPO.COM 2018.9.28 22:05(産経新聞社、2018年9月29日閲覧)
  33. ^ FIGHTING TV サムライ『善意本プロレス中継』2013年9月11日放送分
  34. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p74-79
  35. ^ 曙、相原勇と婚約破棄した理由は「相撲取れないとき、結婚ばっかり迫られた」 SANSPO.COM
  36. ^ 大相撲酒豪番付2014年東銀座場所 時事ドットコム
  37. ^ ベースボールマガジン社「週刊プロレス」NO.1711 11月13日号
  38. ^ スポーツ名言集 627号 Number Web 2014.08.06
  39. ^ 曙、師範代として12年ぶりまわし姿 デイリースポーツ 2013年6月9日
  40. ^ 曙「乗り心地最高!」馬場さんのキャデラックもらう”. 日刊スポーツ (2015年6月25日). 2015年7月10日閲覧。
  41. ^ 曙感激!馬場さんのキャデラック届いた!”. 東京スポーツ (2015年6月26日). 2015年7月10日閲覧。
  42. ^ 曙が東京マラソン挑戦! 強化合宿で完走なるか!? K-1公式サイト 2009年2月25日
  43. ^ 本当に残念…曙が東京マラソン欠場へ K-1公式サイト 2009年3月18日





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