曙太郎 プロレス

曙太郎

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プロレス

曙 太郎
プロフィール
リングネーム
ボノくん
ボノちゃん
グレート・ボノ
モンスター・ボノ
KILLER "ANY" WHERE
ボノ·タイガー
本名 曙 太郎
ニックネーム 第64代横綱
身長 203cm
体重 233kg
誕生日 (1969-05-08) 1969年5月8日(51歳)
出身地 ハワイ州オアフ島
所属 王道
スポーツ歴 大相撲
バスケットボール
トレーナー 武藤敬司
長州力
デビュー 2005年7月2日
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経歴

フリーランス

2005年のプロレス参入後、2013年8月まで、個人事務所「曙道(旧:チーム・ヨコヅナ)」所属のフリーランス・レスラーとして、全日本プロレスハッスルなどをはじめ様々な団体、興行に参加した。

年月日 参戦先 内容
2005年02月5日 WWE アメリカの団体WWEの「スマックダウンさいたまスーパーアリーナ大会「ROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOUR」にて、ビッグ・ショーが曙を「日本のビッグ・ショーだ」と発言し、リングへ招かれる。
2005年03月29日 WWE 「スマックダウン」テキサス州ヒューストン大会で特別エキシビジョン・マッチとしてエディ・ベガスと「スモウ・マッチ」を行い、秒殺勝利(エキシビジョン・マッチであるため非公式試合で、これが正式デビュー戦ではない)。続く4月3日、ロサンゼルスで行われた「レッスルマニア21」でビッグ・ショーと「スモウ・マッチ」を行い、勝利。
2005年07月2日 WWE さいたまスーパーアリーナで行われたWWEのハウス・ショー「WWEスーパーショー」で、ビッグ・ショーとのコンビでカリート&マット・モーガン組と対戦しプロレス正式デビュー戦を行い、勝利した。
2005年08月4日 旧W-1 ファンタジーファイトWRESTLE-1」に参戦し、グレート・ムタと対戦、ムーンサルトプレスで敗れた。
2005年08月9日 全日本 武藤敬司をプロレスの師匠と仰ぎ、全日本プロレスに参戦することを発表。以後全日本を「武藤部屋」と呼び始める。9月2日、全日本プロレスの地方巡業にも全試合帯同、参戦することを武藤に直訴。
2005年10月2日 W-1 GP WRESTLE-1 GP 2005」にて三沢光晴とタッグで対戦(パートナーは曙がスコーピオ、三沢が小川良成)。
2005年11月19日 全日本 全日本プロレス代々木大会で、悪の化身「グレート・ボノ」として登場することを予告し、グレート・ムタ対グレート・ルタの試合の途中にグレート・ボノ姿で登場、VOODOO-MURDERSに襲撃されていたムタを救出した。
2005年11〜12月 全日本 世界最強タッグ決定リーグ戦」に武藤とタッグチーム「武藤部屋」を組んで初出場し、準優勝。
2005年12月 2005年度の東京スポーツ主催のプロレス大賞で「最優秀タッグ賞」&「新人賞」を受賞した。
2006年1月4日 新日本 新日本プロレスに参戦し、東京ドーム大会で吉江豊とタッグを結成。さらに同月22日にはプロレスリング・ノアに参戦し、日本武道館大会で力皇猛とタッグを組んだ。
2006年3月 新日本 新日本プロレス両国国技館大会でブロック・レスナーの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦したが、敗北。
2006年8月 新日本 新日本横浜大会に、4代目タイガーマスクのタッグパートナーとして「ボノ・タイガー」なる巨漢の覆面レスラーが登場し、邪道外道組と対戦した。試合中にマスクを剥がされると曙に瓜二つの素顔が現れたが、ボノ・タイガー、タイガーマスクの両名とも曙とは赤の他人であり、佐山聡の門下生のガス会社社員と主張している。
2007年02月17日 全日本 武藤の呼掛けに応じ約1年振りに全日本プロレスへ参戦。大鷲透と組み、元WWEのスモー・リキシおよびジョニー・ダン[21]と対戦した。試合は曙が64でダンを沈めて横綱の貫禄を示した。
2007年08月 新日本 新日本の「G1 CLIMAX」に初参戦。2勝2敗1分の成績に終わり、決勝進出はならなかったが、天山と真壁に勝利した。
2007年08月18日 ハッスル 曙ソックリの「モンスター・ボノ」なるレスラーがハッスルに登場。
2007年12月31日 ハッスル ハッスル大晦日大会に参戦し、グレート・ムタらとコンビを組んだ(なお、曙は大晦日の格闘技イベントには出場せず)。
2008年03月23日 ZERO1 ZERO1-MAX(のちのプロレスリングZERO1)の奉納プロレス(靖国神社相撲場大会)に参戦し、6人タッグマッチに出場。大相撲時代に行った奉納相撲(2000年3月)以来8年振りの靖国神社「凱旋」であった。
2008年09月21日 DG DRAGON GATEに初参戦。
2008年11月3日 全日本 全日本プロレスに入団した浜亮太(元幕下・北勝嵐)のデビュー戦の相手となり、シングルで対戦して勝利。11月16日、日本のプロレス団体として22年振りとなった全日本プロレス主催の台湾興行に参戦した。
2008年12月 DG DRAGON GATEの興行で、ストーカー市川と対戦。
2008年12月 ハッスル ハッスルの興行では、モンスター軍を離れ、「もうモンスターは名乗らないよ。モンスター・ボノやめた。今日からボノちゃんに名前、変えた」と発言し「ボノちゃん」に改名。3月17日にボノちゃんが川田利明とシングルで対戦した。
2009年01月 ハッスル ハッスル興行において、ボノちゃんがハッスル軍主将に就任するとともに「ボノくん」に改名。イメージカラーを紫から緑へと変更。
2009年04月 DG DRAGON GATEの名古屋テレピアホール2連戦に参戦。5月5日、オープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦するが王者土井成樹に敗北。
2009年07月19日 DG DRAGON GATE興行にて、望月成晃&ドン・フジイと組んで、オープン・ザ・トライアングル・ゲート王座に挑戦するが敗北。
2009年07月26日 ハッスル ボノくんは覚醒し、ついにグレート・ボノとなる。ちなみに2005年に登場したグレート・ボノとは別個体である。その後グレート・ムタを探しに魔界へと旅に出た。
2009年08月 ZERO1 ZERO1主催の夏の祭典、火祭りに参戦。勝ち点5を獲得し曙が属していたブロック4人が勝ち点5で並ぶ大混戦になり8月8日に4WAYマッチが行われるも、あと1歩のところで決勝進出はならなかった。
2009年09月23日 全日本 全日本プロレス後楽園ホール大会にて浜亮太とタッグを組み、鈴木みのるNOSAWA論外組を破り、第82代アジアタッグ王座の栄冠を勝ち取る。これが、曙にとってプロレスでの初戴冠である。
2009年10月14日 DG DRAGON GATE後楽園ホール大会にて、B×Bハルク吉野正人PAC組を破り、第25代オープン・ザ・トライアングル・ゲート王者を奪取。
2009年12月 ZERO1 ZERO1主催のタッグリーグ戦、第1回風林火山大谷晋二郎とのタッグで出場し、優勝する。
2010年1月27日 ZERO1 ZERO1興行にて、大谷晋二郎と組んでNWAインターコンチネンタルタッグ王座に挑み、王者の日高郁人澤宗紀組を破り第24代王者となった。アジアタッグ王座オープン・ザ・トライアングル・ゲート王座と団体を越えて3冠を制し、統一王座を除くと、国内で活躍するレスラーでは武藤敬司以来7年11ヶ月ぶりのタイトル3冠王者となった。
2010年3月2日 ZERO1 ZERO1後楽園ホール大会でKAMIKAZEを破り、世界ヘビー級王座を獲得した。プロレスにおける初のシングル王座の獲得となる。
2010年5月16日 ZERO1 ZERO1興行にて、ダブルタイトルマッチで関本大介を破りNWAプレミアムヘビー級王座を奪取。直後に藤田峰雄や菅原拓也のヒールユニットに加入。
2010年7月4日 全日本 全日本プロレス大阪府立体育会館第一競技場大会にて太陽ケアとタッグを組み、諏訪魔&浜亮太組を破り、第57代世界タッグ王座を奪取。
2012年8月26日 超花火プロレス 横浜文化体育館大会『横浜大花火プロレス』にて大仁田厚と「ノーロープ有刺鉄線バリケードマットダブルヘル・メガトン電流爆破デスマッチ」を行い、曙が2度、大仁田が1度、両者共に2度、計5度の爆発の末に曙が勝利した[22]
2013年9月1日 全日本 2013年9月1日付で全日本プロレスに入団、同団体所属選手となる[23]

全日本プロレス

2013年9月、全日本プロレス正式入団後初の大会となる「王道トーナメント」に参戦。1回戦で優勝候補の秋山準と対戦し、新必殺技のパイルドライバーで勝利[24]。決勝戦まで勝ち進み、対戦相手の潮崎豪にも勝利し、第1回王道トーナメント優勝を果たし初の三冠ヘビー級王者にもなる。2014年4月22日に肺炎のため入院し、その後も体調が戻らず5月30日に王座を返上した[25]。7月27日、8月16日の後楽園ホール大会で復帰することと、全日本プロレス運営会社の取締役に就任することが明らかになった[26]。2015年4月25日、2015チャンピオン・カーニバル諏訪魔を破り、初優勝した[27]

2015年11月2日付で退団し取締役も辞任[28]

王道

2015年12月4日、株式会社「王道」の発足を発表。自らのマネジメント事務所、並びにプロレスラーとしての所属団体。ジャイアント馬場夫人である馬場元子からの支援から「王道」を譲り受けた。また個人事務所を馬場の自宅に構えるなど異例となった。

2016年4月20日、後楽園ホールにてプロレス興行「王道 THE BEGINNING」を開催。

2017年4月11日、福岡県内で行われた試合後に体調の異変を訴え、救急搬送された[29]。右脚蜂窩織炎感染症もあってさらに心臓に負担がかかり、心身の不調が続いた状態。当初は10日で退院できる予定であった入院が長期化し、一時は家族が曙の死を決意するほどであったが、同年10月からリハビリを始めることになった。1日1時間、足や手を動かすことから始め、軽いダンベルを使って筋力をつけ、小さなボールを握って握力をつけ、入院から1年近くが経過した時点では入院生活は続けているものの、10m程度なら自力で車いすを動かせるようになった。210kg前後だった体重は150kgになった[30]。2018年9月下旬の時点では、緊急搬送されてから37分間の心停止に見舞われたため重度の記憶障害が後遺症として残り、会話もおぼつかず、食事も着替えもままならない状態であった。足腰は骨が浮くほど細くなり、特殊な歩行器でリハビリの訓練を行っている。しかし、花田虎上が見舞いに来ると現役当時の記憶がよみがえり、終始笑顔で花田と話をしていた。曙は若い頃にプライベートで花田虎上を飲みに誘ったのにすっぽかされたが、花田虎上は「遊びに行くと勝負に情が入ってしまうから」と、敢えてすっぽかしたということをこの時はじめて明かしていた[31][32]

タイトル歴

全日本プロレス
DRAGON GATE
DDTプロレスリング
プロレスリングZERO1
その他
  • プロレス大賞 新人賞(2005年)
  • 最優秀タッグチーム賞(2009年、パートナー浜亮太)

得意技

アケボノ・スプラッシュ
アケボノ・スプラッシュ
助走をつけて決めるランニング・ボディ・プレスをもっとも得意として決め技としても使用する。連発で決めることもある。助走なしで決めるジャンピング・ボディ・プレスも使用している。
無双
股下をクラッチして持ち上げて高角度で背面から体重を浴びせながら落とす変形ロック・ボトム。盟友力皇猛の必殺技。
M(マグニチュード)64
腰投げをしつつ倒れこみ、そのまま相手をプレスするオリジナル技。64は64代目横綱に由来する。プロレスキャリア開始初期に考案し、決め技としていた。
ヨコヅナ・インパクト
曙が使用するドリル・ア・ホール・パイルドライバーの名称。王道トーナメント1回戦で、打倒秋山準のための隠し技で、秋山を倒した技。同時にその試合が初公開となった。21世紀のプロレス界ではドリル・ア・ホール・パイルドライバーは決め技にはならないことが多いが、巨漢の曙が使用すると、その体重と落差で強力な技となった。秋山戦後のインタビューで自身で技名称を命名し、入場曲の冒頭での自身の台詞に由来する[33]
ヨコヅナ・ファイナル・インパクト
相手を両腕ごとホールドしてのヨコヅナ・インパクト。本人によるとヨコヅナ・インパクトが破られた時に備えて開発していた技。実際、初公開時にはヨコヅナ・インパクトを破られた後に使用している。
エルボー・ドロップ・ホールド
寝ている相手に片肘を落とす技。巨漢の曙が行うと、ボディ・プレスの要素も加わり、圧殺技となる。決め技として使用することもある。助走を付けて決めることが多いが、助走なしでも使うこともある。また、技を決めた後、そのまま相手の上に乗ったままフォールする、エルボー・ドロップ・ホールドも使用する。
アケボノ・ボンバー
いわゆるスクラップ・バスター(サイド・ウォーク・スラム)と呼ばれる技。走ってきた相手を脇に抱えてから落とす。本人の体重が加わり、この技が決まるとリングが大きく揺れる。
日本バックドロップ
変型バックドロップ
ボノロック
変型アームロック(腕固め)。うつ伏せになった相手の手足を折りたたんで動けないようにし、相手の尻に座り込む。ミラノコレクションA.T.のパラダイスロックと同じ。
リキボノ・スプラッシュ63
力皇猛との合体技。曙の上に力皇が乗っかり、ボディ・プレスを行う。仕掛ける際に曙が拍手を打ち、土俵入りのような仕種をするのが特徴。63は2人が初土俵を踏んだ昭和63年に由来する。「こんなの食らって返せる奴なんていない」とまで言われた程の威力を誇る。
マーボー・ポリネシアン・クラッシュ
ボノちゃんが、敵を挟むように立つと強烈なのど輪を見舞い、同時にマー君ことマーク・ハントのローキックを炸裂させる。マー君は「この技を受けたら頭も内臓もマーボー豆腐になっちゃうよ」と語っている。



  1. ^ 相撲レファレンス 曙 太郎
  2. ^ 力士プロフィール 日本相撲協会公式サイト 曙 太郎
  3. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p32
  4. ^ 曙10年ぶり“角界復帰”師範代就任へ/相撲/デイリースポーツ online”. www.daily.co.jp(2013年4月3日). 2018年12月28日閲覧。
  5. ^ 東関部屋おかみさん日記 2016年12月06日 合宿@延岡2016年12月21日閲覧
  6. ^ 『「年寄」への条件一つ越えた 帰化の曙 本名は曙太郎 「、」とりました』朝日新聞東京本社版1996年4月23日付朝刊25面
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 光文社
  8. ^ a b c d e f ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p32
  9. ^ 実際には和歌乃山に中学横綱の経験はない。
  10. ^ それから22年後の2014年7月場所に豪栄道が大関昇進を果たしたが、直前3場所の成績は12勝(2差次点)-8勝-12勝(1差次点)で32勝と目安となる33勝に1勝足らず、その上曙同様に2場所前が8勝どまりであった。しかしこの場所で連続関脇在位14場所という昭和以降最長の記録を達成しており、これが評価された形で大関昇進が認められた。
  11. ^ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.100
  12. ^ オシエテケロ
  13. ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p64
  14. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p33
  15. ^ スポーツコラム 【54話.19場所ぶり10度目の優勝! 横綱曙】 Wata倶楽部ネット 2000/8/12
  16. ^ a b c d e f g h i 2001年1月23日付日刊スポーツ紙面
  17. ^ それまでの歴代1位は初代貴ノ花の連続17場所で、この記録も2019年9月現在に至るまで歴代2位のまま残っている。
  18. ^ 相撲」2012年2月号
  19. ^ 元横綱曙、K-1デビュー。初戦でサップと激突 BoutReview 2003年11月6日
  20. ^ 真夏のハワイでKO祭り!! 世界最終予選は誰が勝つ!?[リンク切れ] K-1公式サイト 2008年8月9日
  21. ^ 当初、リキシのパートナーは荒谷望誉であったが、試合直前に変更
  22. ^ リングが花火に…曙&大仁田 9年ぶり電流爆破マッチ スポニチAnnex 2012年8月27日
  23. ^ 曙選手が全日本プロレスの所属選手になりました!!! 株式会社全日本プロレスリングシステムズ 2013年9月6日
  24. ^ 「王道トーナメント ~2013オープン選手権~」平成25年9月11日(水)全日本プロレスオフィシャルサイト - 公式ホームページ Archived 2013年10月12日, at the Wayback Machine.
  25. ^ 曙が不整脈 3冠返上「責任果たせない」” (2014年5月31日). 2014年5月31日閲覧。
  26. ^ 曙が全日取締役就任へ 戦列復帰も宣言”. 東京スポーツ (2014年7月28日). 2014年7月28日閲覧。
  27. ^ 「巻頭リポート 全日本プロレス4・25後楽園 全日本「2015チャンピオン・カーニバル」最終戦」、『週刊プロレス』No.1790、ベースボール・マガジン社、平成27年5月13日/5月20日合併号(4月28日発行)、4-10頁、2015年。
  28. ^ 曙選手について 全日本プロレス公式サイト
  29. ^ http://www.hochi.co.jp/topics/20170415-OHT1T50314.html 2017年4月16日5時0分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年3月17日閲覧)
  30. ^ 曙太郎、生命の危機乗り越えリハビリ 必ずリングに 日刊スポーツ 2018年3月9日9時3分(日刊スポーツ新聞社、2018年3月17日閲覧)
  31. ^ 曙、心不全で記憶障害…70キロ激ヤセも“再び相撲を”リハビリに励む日々 Sponichi Annex 2018年9月28日 22:24 (スポーツニッポン新聞社、2018年9月29日閲覧)
  32. ^ 曙が病気で70キロ減 重度の記憶障害で特殊な歩行器で訓練 SANSPO.COM 2018.9.28 22:05(産経新聞社、2018年9月29日閲覧)
  33. ^ FIGHTING TV サムライ『善意本プロレス中継』2013年9月11日放送分
  34. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p74-79
  35. ^ 曙、相原勇と婚約破棄した理由は「相撲取れないとき、結婚ばっかり迫られた」 SANSPO.COM
  36. ^ 大相撲酒豪番付2014年東銀座場所 時事ドットコム
  37. ^ ベースボールマガジン社「週刊プロレス」NO.1711 11月13日号
  38. ^ スポーツ名言集 627号 Number Web 2014.08.06
  39. ^ 曙、師範代として12年ぶりまわし姿 デイリースポーツ 2013年6月9日
  40. ^ 曙「乗り心地最高!」馬場さんのキャデラックもらう”. 日刊スポーツ (2015年6月25日). 2015年7月10日閲覧。
  41. ^ 曙感激!馬場さんのキャデラック届いた!”. 東京スポーツ (2015年6月26日). 2015年7月10日閲覧。
  42. ^ 曙が東京マラソン挑戦! 強化合宿で完走なるか!? K-1公式サイト 2009年2月25日
  43. ^ 本当に残念…曙が東京マラソン欠場へ K-1公式サイト 2009年3月18日


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