曙太郎
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生活
- 2009年、東京マラソン2009への参加を表明し[57]、周囲の不安視の中、体重を25kg減量するなど準備を整えたが、開催4日前にドクターストップがかかり出場を断念した[58]。
- 2012年11月25日、自身がプロデュースしたステーキハウス「曙ステーキ」が東京都杉並区荻窪にオープンしたが、2020年時点で既に閉店している[59]。また目黒・五反田に店を構えるステーキハウスリベラには、曙のリクエストで生まれた「横綱ステーキ」(リブロースステーキ640g)がある[注釈 28]。
出演作品
テレビドラマ
- 修羅雪姫(2011年3月27日、BS-TBS) - 竹村伴蔵 役
- 一休さん(2012年6月30日、フジテレビ) - 大男 役
- すもうねこ(2014年8月7日〜、NHK Eテレ) - 主演すもうねこ 役(声の出演)
映画
- ヤバい経済学
- テルマエ・ロマエII(2014年) - アケボニウス 役
バラエティ
- run for money 逃走中(2012年1月8日、2013年4月14日、フジテレビ) - 佐吉の兄 役、譲二 役
- 男のザップ 生イキ! ジャンポケクルーズ(BSスカパー、2016年4月14日)
- 水曜日のダウンタウン(TBSテレビ)
CM
著作
- 『横綱』(2001年10月、新潮社)ISBN 978-4104493012
- 『曙』(2004年2月7日、ぴあ)ISBN 978-4835609119
- 『曙太郎の「ホ・オポノポノ」人生』(2009年8月、東邦出版)ISBN 978-4809407994
- 『大相撲のぶっちゃけ話』(2012年9月7日、宝島社)ISBN 978-4796670951
脚注
注釈
- ^ 実際には和歌乃山に中学横綱の経験はない。
- ^ それから22年後の2014年7月場所に豪栄道が大関昇進を果たしたが、直前3場所の成績は12勝(2差次点)-8勝-12勝(1差次点)で32勝と目安となる33勝に1勝足らず、その上曙同様に2場所前が8勝どまりであった。しかしこの場所で連続関脇在位14場所という昭和以降最長の記録を達成しており、これが評価された形で大関昇進が認められた。
- ^ そのため、当時の大相撲中継で翌日の取組で曙vs出島が組まれた際は実況アナウンサーに「曙にとってとても嫌な相手」とよくコメントされていた。
- ^ それまでの歴代1位は初代貴ノ花の連続17場所で、この記録も2019年9月現在に至るまで歴代2位のまま残っている。
- ^ 当初、リキシのパートナーは荒谷望誉であったが、試合直前に変更。
- ^ 右足第5中足骨骨折により全休
- ^ 大関角番
- ^ 貴ノ花(のち貴乃花)・若ノ花(のち3代・若乃花)と優勝決定戦
- ^ 武蔵丸と優勝決定戦
- ^ 貴ノ浪、貴闘力と優勝決定戦
- ^ 左膝内側半月板損傷、右膝関節内障により12日目より途中休場
- ^ 両膝内側半月板断裂、左大腿骨軟骨損傷により全休
- ^ 先場所についで、両膝内側半月板断裂、左大腿骨軟骨損傷により全休
- ^ 左大腿外側四頭筋不全断裂により10日目より途中休場
- ^ 右膝関節内障及び水腫により3日目より途中休場
- ^ 先場所についで右膝関節内障及び水腫により全休
- ^ 3代若乃花、武蔵丸、貴ノ浪、魁皇と優勝決定戦
- ^ 貴乃花、武蔵丸、魁皇と優勝決定戦
- ^ 貴乃花と優勝決定戦
- ^ 左膝半月板及び左膝軟骨損傷により全休
- ^ 腰椎分離症、変形性脊椎症により全休
- ^ 先場所についで、腰椎椎間板ヘルニアにより全休
- ^ 3場所連続で、腰椎椎間板ヘルニアにより全休
- ^ 出島と優勝決定戦
- ^ 左大腿内転筋挫傷により4日目より途中休場
- ^ 先場所についで、左大腿内転筋挫傷により全休
- ^ 両膝変形性膝関節症により全休、場所終了直後の1月22日に引退表明
- ^ 元々は「曙ステーキ」の名前で提供されていたが、荻窪の「曙ステーキ」開業に伴い現在の名前に改名した。
出典
- ^ a b c 「曙太郎さんが死去 大相撲初の外国出身横綱、54歳」『日本経済新聞』、2024年4月11日。2024年4月12日閲覧。 ※「4月上旬に心不全のため東京都の病院で死去」とあり、死去した日は言及されていない。
- ^ 相撲レファレンス 曙 太郎
- ^ 力士プロフィール 日本相撲協会公式サイト 曙 太郎
- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p32
- ^ “曙10年ぶり“角界復帰”師範代就任へ/相撲/デイリースポーツ online”. www.daily.co.jp(2013年4月3日). 2018年12月28日閲覧。
- ^ 東関部屋おかみさん日記 2016年12月06日 合宿@延岡2016年12月21日閲覧
- ^ 『「年寄」への条件一つ越えた 帰化の曙 本名は曙太郎 「、」とりました』朝日新聞東京本社版1996年4月23日付朝刊25面
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 光文社インタビュー.
- ^ a b c d e ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p32
- ^ 朝日新聞1992年5月27日付夕刊社会面
- ^ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.100
- ^ 朝日新聞1992年11月24日付朝刊スポーツ面
- ^ 朝日新聞1993年1月21日付朝刊スポーツ面
- ^ 朝日新聞1993年1月25日付朝刊スポーツ面
- ^ a b 朝日新聞1993年1月26日付朝刊スポーツ面
- ^ 朝日新聞1993年1月25日付朝刊スポーツ面では、「興行優先で貴花田を上げる以上、二場所連続優勝の内規を満たす曙を上げざるを得ない。」と指摘している。
- ^ 朝日新聞1993年1月27日付夕刊社会面
- ^ 朝日新聞1993年1月28日付朝刊一面
- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p33
- ^ スポーツコラム 【54話.19場所ぶり10度目の優勝! 横綱曙】 Wata倶楽部ネット 2000/8/12
- ^ a b c d e f g h i 2001年1月23日付日刊スポーツ紙面
- ^ 元横綱・曙太郎さん死去 医師も「31歳にして老人」と指摘、本誌に激白していた「悲痛引退」の“原因” Smart FLASH 2024.04.11 16:45 (2024年4月11日閲覧)
- ^ 『相撲』2012年2月号
- ^ 元横綱曙、K-1デビュー。初戦でサップと激突 BoutReview 2003年11月6日
- ^ “曙デビュー戦は衝撃的な初回失神KO負け/復刻”. 日刊スポーツ (2017年1月1日). 2022年8月28日閲覧。
- ^ “K-1ハワイ大会で曙がプロモーター”. 日刊スポーツ. 2023年8月28日閲覧。
- ^ リングが花火に…曙&大仁田 9年ぶり電流爆破マッチ スポニチAnnex 2012年8月27日
- ^ 曙選手が全日本プロレスの所属選手になりました!!! 株式会社全日本プロレスリングシステムズ 2013年9月6日
- ^ 「王道トーナメント ~2013オープン選手権~」平成25年9月11日(水)全日本プロレスオフィシャルサイト - 公式ホームページ Archived 2013年10月12日, at the Wayback Machine.
- ^ “曙が不整脈 3冠返上「責任果たせない」” (2014年5月31日). 2014年5月31日閲覧。
- ^ “曙が全日取締役就任へ 戦列復帰も宣言”. 東京スポーツ (2014年7月28日). 2014年7月28日閲覧。
- ^ 「巻頭リポート 全日本プロレス4・25後楽園 全日本「2015チャンピオン・カーニバル」最終戦」、『週刊プロレス』No.1790、ベースボール・マガジン社、平成27年5月13日/5月20日合併号(4月28日発行)、4-10頁、2015年。
- ^ 曙選手について 全日本プロレス公式サイト
- ^ “DDT Road to Ryogoku 2017~ドラマティック・ドリーム・炭坑節~福岡・大牟田市文化会館小ホール”. 週刊プロレスプレミアム. 2024年4月17日閲覧。
- ^ http://www.hochi.co.jp/topics/20170415-OHT1T50314.html 2017年4月16日5時0分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年3月17日閲覧)
- ^ 曙太郎、生命の危機乗り越えリハビリ 必ずリングに 日刊スポーツ 2018年3月9日9時3分(日刊スポーツ新聞社、2018年3月17日閲覧)
- ^ 曙、心不全で記憶障害…70キロ激ヤセも“再び相撲を”リハビリに励む日々 Sponichi Annex 2018年9月28日 22:24 (スポーツニッポン新聞社、2018年9月29日閲覧)
- ^ 曙が病気で70キロ減 重度の記憶障害で特殊な歩行器で訓練 SANSPO.COM 2018.9.28 22:05(産経新聞社、2018年9月29日閲覧)
- ^ 元横綱・曙太郎さん、病室で「若貴がいたから横綱・曙が生まれた」と語っていた 思い出は優勝決定巴戦 2024年4月11日 16時3分スポーツ報知 (2024年4月11日閲覧)
- ^ a b 《元横綱の曙さん死去》交際中に「婚約破棄」騒動の女優・相原勇の今「結婚信じて全レギュラー降板」20年ぶり再会で誓ったこと(1/7ページ) NEWSポストセブン 2024.04.11 19:00 (2024年4月11日閲覧)
- ^ “急死の東関親方の弔問に闘病中の元横綱・曙が来た…振分親方に「部屋を頼んだぞ」”. スポーツ報知 (2019年12月19日). 2022年10月21日閲覧。
- ^ 千歳香奈子 (2024年4月11日). “曙さん訃報、NYタイムズやハワイメディア報じる「伝説的人物」駐日大使も「誇り高きハワイアン」”. 日刊スポーツ. 2024年4月22日閲覧。
- ^ “曙太郎さん死去、英BBCでも伝える「ハワイ生まれの日本の相撲レジェンドが死去」”. スポーツ報知 (2024年4月11日). 2024年4月22日閲覧。
- ^ “元横綱・若乃花の花田虎上、曙太郎さん追悼「ライバルであり友であり苦楽を共にした仲間」”. ORICON NEWS (2024年4月11日). 2024年4月22日閲覧。
- ^ 高田文太 (2024年4月14日). “曙太郎さん葬儀300人参列、遺言は「明るく送り出して」ハワイの音楽流れ、アロハシャツ姿で棺に”. 日刊スポーツ. 2024年4月22日閲覧。
- ^ “元横綱・曙さんの葬儀・告別式 ハワイの歌で明るく見送り…元高見盛の東関親方は出棺時に涙”. スポーツニッポン (2024年4月15日). 2024年4月22日閲覧。
- ^ FIGHTING TV サムライ『善意本プロレス中継』2013年9月11日放送分
- ^ 朝日新聞1992年5月27日付夕刊一面
- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p74-79
- ^ 曙、相原勇と婚約破棄した理由は「相撲取れないとき、結婚ばっかり迫られた」 SANSPO.COM
- ^ 大相撲酒豪番付2014年東銀座場所 時事ドットコム
- ^ ベースボールマガジン社「週刊プロレス」NO.1711 11月13日号
- ^ スポーツ名言集 627号 Number Web 2014.08.06
- ^ 曙、師範代として12年ぶりまわし姿 デイリースポーツ 2013年6月9日
- ^ “曙「乗り心地最高!」馬場さんのキャデラックもらう”. 日刊スポーツ (2015年6月25日). 2015年7月10日閲覧。
- ^ “曙感激!馬場さんのキャデラック届いた!”. 東京スポーツ (2015年6月26日). 2015年7月10日閲覧。
- ^ 曙が東京マラソン挑戦! 強化合宿で完走なるか!? K-1公式サイト 2009年2月25日
- ^ 本当に残念…曙が東京マラソン欠場へ K-1公式サイト 2009年3月18日
- ^ 【杉並区】テナント募集?!荻窪南口にあった『アケボノステーキ』がいつの間にか閉店していたようです - 号外NET杉並区・2020年5月27日
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