日本共産党幹部宅盗聴事件
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最高裁判所判例 | |
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事件名 | 付審判請求棄却決定に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件 |
事件番号 | 昭和63(し)76 |
1989年(平成元年)3月14日 | |
判例集 | 刑集43巻3号283頁 |
裁判要旨 | |
警察官が職務として行つたものであつても、終始何人に対しても警察官でないことを装つてした本件電話盗聴行為は、職権を濫用して行つたものとはいえず、公務員職権濫用罪を構成しない。 | |
第三小法廷 | |
裁判長 | 坂上寿夫 |
陪席裁判官 | 伊藤正己、安岡満彦、貞家克己 |
意見 | |
多数意見 | 全員一致 |
意見 | なし |
反対意見 | なし |
参照法条 | |
刑法193条 |
公安警察の存在が注目を浴び、検察の捜査の合法性にも疑問が投げかけられた。また、警察の組織的犯行を疑う見方もある。
事件経緯
1986年11月27日、東京都町田市にある日本共産党国際部長・緒方靖夫宅の電話が盗聴されていたことが発覚。通話中の雑音や音質低下に不審を抱いた緒方が日本電信電話(NTT)町田電話局に通報、職員の調査により緒方宅から100メートル離れたアパートで盗聴が行われていたことがわかった。
通報を受けた警視庁町田警察署は当初捜査を拒否。NTTによる告発も一度不受理の後、29日になって受理し、12月1日に実況見分を実施した(ただし、この時に警察が証拠隠滅を図った疑いも持たれている)。
他方で東京地方検察庁は11月28日に緒方からの告発を受ける。公安警察との関係を懸念して地検公安部ではなく特別捜査部によって捜査が開始され、まもなく神奈川県警察警備部公安第一課所属の複数の警察官が1985年夏から盗聴を行っていた事実を突き止めた。また捜査の過程で、公安警察による各種非合法工作活動を統括する部署、コードネーム「サクラ」の存在が明らかになった(拠点は警察大学校内部。露見後は霞が関の警察庁内に「チヨダ」を経た上で現在は「ゼロ」と名を改めて存在すると囁かれる)。
1987年5月7日、警察庁長官山田英雄は参議院予算委員会において「警察におきましては、過去においても現在においても電話盗聴ということは行っておりません」と答弁して組織としての警察の関与を否定したが、6月には神奈川県警本部長が、その直後に警察庁警備局長も辞職。更に警察庁警備局公安第一課長と「サクラ」を指揮しているとされた理事官が配転された。また警察庁は検察に対して二度と違法捜査を行わないと誓約し、これを受けて地検は8月4日に警察官を不起訴あるいは起訴猶予処分にする手打ちをしたといわれている。
緒方はこの決定を不服とし、警察官の行為が公務員職権濫用罪に当たるとして、付審判制度に付するよう東京地方裁判所に請求を行った。1989年3月14日、最高裁は警察官による盗聴の事実は認定したものの、職権濫用には当たらないとして棄却した(詳細は後述)。また緒方は国・神奈川県・盗聴を実行した警察官に対して損害賠償請求訴訟を起こし、1997年6月26日に東京高等裁判所は国・県に404万円余りの賠償を命じた。
盗聴に関与していたグループの一員と見られる警察官が事情聴取の最中に突如入院しそのまま急死した。“内情を知られる事を防ぐ為の口封じに消されたのでは”という声も上がったが真相は今も不明(死因は「脂肪肝」と発表されたが、「これで死ぬ事はほとんどない」との主張もある[1])。
組織的関与
手口や警察組織の特徴から、警察庁警備局を中心とした組織的犯行が強く疑われた。国会でも取り上げられ[2]参考人質問が行なわれ、補聴器メーカーリオンの技師が“依頼を受けて盗聴器の試作品製作に携わった”とまで証言した。また、検察も組織的犯行と断定している。それにも拘らず、警察は現在まで組織的な関与を強く否定している。
緒方が共産党の国際部長だった事から、盗聴による情報(党本部や外国の団体との連絡内容)収集が目的だったと見られる。
- 1 日本共産党幹部宅盗聴事件とは
- 2 日本共産党幹部宅盗聴事件の概要
- 3 公務員職権濫用罪への該当性
- 4 関連項目
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