山崎蒸溜所 山崎蒸溜所の概要

山崎蒸溜所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 06:19 UTC 版)

山崎蒸溜所
Yamazaki distillery
2019年10月撮影
地域:日本
所在地 大阪府三島郡島本町5-2-1[1]
座標 北緯34度53分35.498秒 東経135度40分28.402秒 / 北緯34.89319389度 東経135.67455611度 / 34.89319389; 135.67455611座標: 北緯34度53分35.498秒 東経135度40分28.402秒 / 北緯34.89319389度 東経135.67455611度 / 34.89319389; 135.67455611
所有者 サントリー[1]
創設 1923年[2][注釈 1]
創設者 鳥井信治郎[1]
現況 稼働中
水源 京都西山を水源とする地下水[4]
蒸留器数
生産量 年間700万リットル[5]
使用中止 1931年
位置

日本初のモルトウイスキー蒸留所であり、同所の名前を冠した「山崎」の生産で知られるほか、単一のウイスキー蒸留所としては珍しく多彩な原酒を造り分けることで知られている。

歴史

背景

山崎蒸溜所を創設したのは寿屋(のちのサントリー)創業者の鳥井信治郎である[1]。寿屋は1907年に「赤玉ポートワイン」を、1911年には「ヘルメスウイスキー[注釈 2]」を発売して成功を収めており[7][6]、1919年にはワインの古樽で数年の熟成を経た醸造アルコールを「トリスウイスキー」として発売したところ、瞬く間に完売[6]。このことを受けた鳥井は、日本人の味覚にあった本格的なウイスキーづくりを志向するようになっていった[8]。そこで三井物産ロンドン支店に掛け合い、スコットランドから技術者を招聘しようとしたところ[9]、知己であったムーア博士から竹鶴政孝を推薦された[8]

竹鶴は醸造学を学んだのち、1916年に摂津酒造(現:宝ホールディングス)に入社[10]。同社オーナーの阿倍喜兵衛は鳥井と同様に本格的なウイスキー製造を志向しており、1918年から1920年にかけて竹鶴をスコットランドでのウイスキー留学に送り出していた[11]。しかし、竹鶴が帰国した1920年当時の日本は第一次世界大戦の戦争特需の終了で景気が低迷[12]、摂津酒造にはウイスキーへの投資を行う余裕がなくなっていた[12][13]。留学の成果も活かせないまま模造ウイスキーを製作することに落胆した竹鶴は、1922年に退社[14]。そこに竹鶴を推薦された鳥井が現れ、1923年6月に寿屋の入社が決定した[15]

創業期

1946年の山崎蒸溜所の航空写真。画面中心が山崎蒸溜所。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
2020年の山崎蒸溜所周辺の航空写真。画面左上が山崎蒸溜所。右下の川は左から順に桂川宇治川木津川国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
創業当時に稼働していたポットスチル。モニュメントになっている。2017年撮影

蒸留所の設置場所については、地形や気候がスコットランドに似ていることから北海道が理想だとしていた竹鶴と[9][16]、北海道では輸送などのコストが嵩むためことから消費地に近い場所で、かつ本社の大阪府に近いことが望ましいと考えていた鳥井で意見が分かれたが[9][16]、最終的に大阪と京都府の県境に位置する山崎の地が建設地として選ばれた[9]。山崎は名水の地として知られており、古くは万葉集で言及されているほか、水無瀬神宮に湧き出る「離宮の水」は名水百選に選ばれており、千利休待庵という茶室を同地に置いていた[17][18]。また、蒸留所近郊で桂川宇治川木津川という3つの河川が合流していることから、年間を通じて濃霧が立つほど湿潤な気候であり[注釈 3]、ウイスキーの製造・熟成に非常に適した環境であった[9][17]

1923年10月1日には蒸留所用地を購入し[19]、同月に建設を開始[2]。翌年の1924年11月11日に竣工した[2]。ウイスキーの製造に必要な設備は竹鶴の指揮のもとで揃えられ、一部は海外から輸入したものの、ポットスチルを含む大半の設備は竹鶴ノートをもとに日本で製造されたものだった[19]。ポットスチルはロングモーン蒸留所[注釈 4]に似た形のものが2基あり、イギリスから輸入したピートと国産の大麦を使って麦芽を作り、伝統的なスコッチ・ウイスキーとまったく同じ方法でのウイスキーづくりが始まったのである[21]。この頃の山崎はスコットランドのハイランド地方にある典型的な蒸留所のような内装であった[17]。なお、初代ポットスチルはその後1958年まで使用され、取り替えられた後は敷地内にモニュメントとして設置されている[22]

しかし、ウイスキーの製造は困難を極めたうえ[23]、熟成に時間を要することからすぐには販売できないため、寿屋の経営を圧迫した。鳥井は費用を捻出するために歯磨き粉「スモカ」などの新商品を精力的に開発した[24]。操業開始から5年が経過した1929年には、日本初の本格国産ウイスキー「サントリーウイスキー」(通称「白札」)が発売されたが[2]、1瓶4.5円という強気の価格設定や[注釈 5]、焦げたような味わい(スモーキーフレーバー)が敬遠されたことで商業的に失敗に終わった[24]。1930年に竹鶴は当蒸留所に加え神奈川県横浜市鶴見のビール工場長も兼任することになるが、ステファン・ヴァン・エイケンはこれを「事実上の左遷」であると評価している[25]。1931年には寿屋の資金が尽き、操業休止に追い込まれる[24][26]が、翌1932年には「スモカ」の製造販売権を売却して資金を捻出、生産を再開した[26]

1934年3月、当初の予定通り10年間の契約を満了し、竹鶴が寿屋を退社[27][23][注釈 6]。一方で長きにわたる試行錯誤の末、1937年に発売した「角瓶」(12年熟成)がついにヒット商品となった[29]

戦時中

角瓶がヒットを収めた1937年には日中戦争が、1941年には太平洋戦争が勃発したが、山崎蒸留所は日本軍の指定工場として軍にウイスキーを供給する役割を担ったため、国から優先的に原料供給を受けられ、戦時中にあっても製造を中止せずに済んだ[30][31]。むしろこの時期も毎年のように売上を伸ばしており、1930年には17,000リットルだった山崎の出荷量は、1944年には771,000リットルにまで増加している[30]。戦争末期の1945年になると大阪本社・大阪工場ともに空襲の被害を被り、ウイスキー樽は山中のトンネル内に避難させていたものの[17]、蒸留所自体は幸運にも戦火を免れた[30]。なお、ウイスキーに香木のような独特な香味を付与することで知られるミズナラ樽は、海外産木材の輸入が困難になった戦時中にシェリー樽の代用品として開発されたものであり、熟成にミズナラを用いたのは山崎蒸溜所が初めてであった[4][32][33]

戦後

当蒸留所が戦火を免れたことで、寿屋は戦後まもなくからウイスキーの販売を再開することができた[34]。1945年10月にはGHQ向けウイスキーを供給するようになり[注釈 7]、一般向けにも1946年4月に「トリスウイスキー」を、1950年には「サントリーオールド」を発売した[35][34]。1960年代に入ると日本国内ではウイスキーブームが起こり、当蒸留所も生産設備を大幅に拡張[36][37]。1958年にはポットスチルを4基へ、1963年には8基へ増設しており、生産能力はかつての8倍まで向上した[38]。1968年にも4基が増設されたことで全12基となり、生産能力が6割向上している[39]

山崎蒸溜所稼働から60周年となる1984年3月14日には「ピュアモルト山崎」[注釈 8]を発売開始[2][41]

1987年から1989年にかけて生産設備全体の2/3を更新する大改修を行っており、このときに初めて木製のウォッシュバック(発酵槽)と直火加熱式のポットスチルを導入している[42][43]。また、並行して酵母の改良も進めており、この頃から様々な種類の原酒を造り分けられるようになった[43]。山崎蒸溜所元工場長の嶋谷幸雄はこれらの改革を「より複雑なブレンディングやヴァッティングを行うことが可能になったため、ウイスキーの品質は格段に向上したと思います」と評価している[43]。2013年には4基が増設されて16基となった[44]。合計4基のうち初留2基と再留1基はほぼ円錐形のストレート型で、山崎の初代ポットスチルの形状を改良したものである[45]

100周年に合わせ、2024年(令和6年)にかけて敷地内の改修を進めており、フロアモルティングや電気式蒸留器の導入を行う[46][47]。併せて蒸留所の見学設備もリニューアルし、2023年(令和5年)11月1日にオープンした[46]

名称

プラント建設開始時の名称は山崎工場で、この名称は少なくとも1969年までは使われた(『やってみなはれ サントリー70年史I』(1969年))。『サントリーウイスキー博物館カタログ』(1979年)では山崎工場、山崎ディスティラリー表記が混在している。ただし、同書の年表での表記は山崎工場のみで、他のプラントが名称変更した旨の表記はあるが、山崎工場が名称を変更したという記述はない。1980年代後半以降、山崎蒸留所表記が一般的となるが、正式に名称を変更した時期は不明である。


注釈

  1. ^ 1923年は蒸留所の建設が始まった年であり、蒸留を開始したのは1924年である[3]
  2. ^ ヘルメスウイスキーはラベルに「ヘルメス・オールド・スコッチ・ウイスキー」とあったが、実際にはウイスキーの定義に当てはまらない模造品であり、もちろん「オールド」でも「スコッチ」でもなかった[6]
  3. ^ 山崎の気候は年月を経て変化しており、2018年時点では霧の立つ日は月平均1 – 2日ほどである[17]
  4. ^ ロングモーンは竹鶴が1919年にウイスキーの製造実習を受けた蒸留所である[20]
  5. ^ 輸入品スコッチウイスキーのジョニーウォーカー黒ラベルが5円であった[24]
  6. ^ その後の竹鶴は北海道に渡り大日本果汁(のちのニッカウヰスキー)を創業し[28]、1936年に余市蒸溜所でのウイスキーづくりを開始した[29]
  7. ^ 供給は1949年まで続いた[35]
  8. ^ リリース当初は年数表記がなかったが、1986年からは12年と記載されるようになった[40]
  9. ^ 創業初期の写真では木製のウォッシュバックのようなものが使われていたように見えるが、それを裏付ける記録はない[22]
  10. ^ 採点は100点満点で、75点を平均点としている[68]

出典

  1. ^ a b c d 土屋 & ウイスキー文化研究所 2024, p. 20.
  2. ^ a b c d e f g h i j k 土屋 & ウイスキー文化研究所 2024, p. 21.
  3. ^ a b 土屋 & ウイスキー文化研究所 2024, pp. 20–21.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 土屋 & ウイスキー文化研究所 2024, p. 22.
  5. ^ ジャクソン 2007, p. 252.
  6. ^ a b c エイケン 2018, p. 21.
  7. ^ 土屋 & ウイスキー文化研究所 2022, p. 235.
  8. ^ a b エイケン 2018, p. 22.
  9. ^ a b c d e 土屋 & ウイスキー文化研究所 2022, p. 238.
  10. ^ エイケン 2018, p. 23.
  11. ^ エイケン 2018, pp. 23–25.
  12. ^ a b 土屋 & ウイスキー文化研究所 2022, p. 237.
  13. ^ エイケン 2018, p. 25.
  14. ^ エイケン 2018, pp. 25–26.
  15. ^ エイケン 2018, p. 26.
  16. ^ a b エイケン 2018, p. 236.
  17. ^ a b c d e f エイケン 2018, p. 94.
  18. ^ ウイスキーづくりの理想郷、山崎の地を訪ねる ~水無瀬神宮と天王山~”. suntory.co.jp (2021年8月30日). 2024年2月15日閲覧。
  19. ^ a b エイケン 2018, p. 27.
  20. ^ エイケン 2018, p. 24.
  21. ^ 土屋 & ウイスキー文化研究所 2022, pp. 238–239.
  22. ^ a b c d エイケン 2018, p. 96.
  23. ^ a b 土屋 & ウイスキー文化研究所 2022, p. 239.
  24. ^ a b c d エイケン 2018, p. 28.
  25. ^ エイケン 2018, pp. 28–30.
  26. ^ a b 土屋 2014, p. 212.
  27. ^ エイケン 2018, p. 30.
  28. ^ エイケン 2018, p. 31.
  29. ^ a b エイケン 2018, p. 33.
  30. ^ a b c エイケン 2018, p. 34.
  31. ^ 土屋 & ウイスキー文化研究所 2022, pp. 240–241.
  32. ^ 土屋 2007, p. 246.
  33. ^ 「ミズナラ樽」は、他のウイスキー樽とどう違う?【ウイスキー用語集】”. tanoshiiosake.jp (2023-025-10). 2024年3月11日閲覧。
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  35. ^ a b エイケン 2018, p. 37.
  36. ^ エイケン 2018, pp. 48–49.
  37. ^ 土屋 2007, p. 236.
  38. ^ エイケン 2018, p. 49.
  39. ^ a b c d 土屋 & ウイスキー文化研究所 2024, p. 25.
  40. ^ a b エイケン 2018, p. 112.
  41. ^ a b エイケン 2018, p. 111.
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  44. ^ a b 土屋 & ウイスキー文化研究所 2024, p. 26.
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  82. ^ 「山崎55年」8100万円 競売落札、人気の高さ反映”. nikkei.com (2022年6月18日). 2024年2月18日閲覧。
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  87. ^ 主なコンペテイション受賞歴”. suntory.co.jp. 2024年2月22日閲覧。
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  89. ^ 西田 2024, pp. 52–53.


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