小澤征爾
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主な録音
レーベルは発売当時のものである。
- ラヴェル管弦楽全集(ボストン交響楽団)(ドイツ・グラモフォン)
- マーラー交響曲全集(ボストン交響楽団)(フィリップス)
- ブラームス交響曲全集(サイトウ・キネン・オーケストラ)(フィリップス)
- ベートーヴェン交響曲全集(サイトウ・キネン・オーケストラ)(フィリップス)
- 春の祭典(シカゴ交響楽団)(RCA)
- カルメン全曲(フランス国立管弦楽団)(フィリップス)
- プロコフィエフ交響曲全集(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)(ドイツ・グラモフォン)
- ドヴォルザーク交響曲第8番、交響曲第9番(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)(フィリップス)
ボックス・セット
- コンプリート RCA&コロンビア・アルバム・コレクション (51 CD)
- Seiji Ozawa Anniversary 2010 (Decca, 11 CD)
- The Complete Deutsche Grammophon Recordings (50 CD)
- The Complete Warner Recordings (25 CD)
- 小澤征爾コレクション EMIレコーディングス (7 CD)
- The Philips Years (50 CD)
- German Masterworks (Decca, 15 CD)
- 小澤征爾70歳記念BOX (71 CD&DVD)
- ムター&小澤征爾 ドイツ・グラモフォン録音集 (10 CD)
初演記録
世界初演
世間が現代音楽を宣伝したおかげで、小澤も1980年代前半まではこの手の曲目をよく振った。また、邦人作曲家の作品も積極的に振った。特に盟友であった武満徹の楽曲の初演は多く手がけた。(各曲の括弧内は初演時のオーケストラ。)
- 武満徹『リング』
- 武満徹『弧(アーク)』第1部 第2楽章(読響)
- 武満徹『ノヴェンバー・ステップス』(NYP)
- 武満徹『アステリズム』(TSO)
- 武満徹『クロッシング』(日フィル)
- 武満徹『カシオペア』(CSO)
- 武満徹『秋』(NJP)
- 武満徹『カトレーン』(NJP)
- 武満徹『夢窓』(京響)
- 武満徹『For Lenny’s Birthday』(BSO)
- 武満徹『フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム』(BSO)
- 武満徹『セレモニアル』(SKO)
- 武満徹『2つのシネ・パストラル』(NJP)
- 高橋悠治『オルフィカ』(日フィル)
- 篠原眞『ヴィジョンⅡ』(日フィル)
- 石井真木『遭遇第2番』(日フィル)
- 一柳慧『アップ・トゥ・デイト・アプローズ』 (武満徹と2人で指揮。)(日フィル)
- 黛敏郎『交響詩 輪廻(さむらーら)』(N響)
- 千住明『日本交響詩』(N響)
- シュニトケ『チェロ協奏曲第2番』(LSO)
- デュティユー『時の影』(BSO)
- デュティユー『時の大時計』(SKO)
- ロジャー・セッションズ『管弦楽のための協奏曲』(BSO)
- ピーター・リーバーソン『ピアノ協奏曲第1番』 (BSO)
- ジョージ・ウォーカー『ライラックス』(BSO)
- ピーター・マックスウェル・デイヴィス『交響曲第2番』(BSO)
- ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ『交響曲第8番』(BSO)
- ジョン・コリリアーノ『交響曲第2番』(BSO)
- オットー・ヨアヒム『コントラスツ』(CSO)
- ガンサー・シュラー『レチタティーヴォとロンド』(CSO)
- ルーカス・フォス『バロック変奏曲』(CSO)
- エルンスト・クルシェネク『遠景』(CSO)
- ウィリアム・ルッソ『ブルース・バンドとシンフォニー・オーケストラのための3つの小品』(CSO)
- アラン・スタウト『交響曲第2番』(CSO)
- エリオット・カーター『ファゴット協奏曲』(CSO)
- アラン・ホヴァネス『日本の版画による幻想曲』(CSO)
- クシシュトフ・ペンデレツキ『ラルゴ』(VPO)
- レイモンド・マリー・シェーファー『香を聴く』(京響)
- ジェルジ・リゲティ『サンフランシスコ・ポリフォニー』(SFS)
- オリヴィエ・メシアン『アッシジの聖フランチェスコ』(パリ・オペラ座)
- アンジェイ・パヌフニク『交響曲第8番』(BSO)
- レナード・バーンスタイン『ディヴェルティメント』(BSO)
- トリスタン・ミュライユ 『シヤージュ』(京響[82])
日本初演
日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、NHK交響楽団などと数々の日本初演も手がけている。
NHK交響楽団との日本初演
- オリヴィエ・メシアン『トゥーランガリラ交響曲』
読売日本交響楽団との日本初演
- ジェルジュ・リゲティ『アトモスフェール』
- ヤニス・クセナキス『戦術』 (若杉弘と2人で指揮)
日フィルとの日本初演
- ハイドン『交響曲第47番』
- ベルリオーズ『死者のための大ミサ曲』
- ベルリオーズ『テ・デウム』
- ベルリオーズ『レリオ、あるいは生への復帰』
- ストラヴィンスキー『火の鳥』 (全曲演奏会初演)
- バーンスタイン『チチェスター詩篇』
- バーンスタイン『交響曲第3番《カディッシュ》』
出演番組
- オーケストラがやって来た(TBS)
- 小沢征爾の世界(ニッポン放送)
注釈
- ^ その後、世田谷区には2019年時点でも居住[10]。
- ^ ただし吉田秀和によると、このとき小澤が卒業できなかったのは「小澤にはまだ第九を教えていない。第九を勉強させないで指揮科を卒業させるわけにはいかない」との斎藤秀雄の意向によるものだったという[16]。
- ^ NHKの音楽プロデューサー細野達也が小澤の日本フィルの指揮ぶりを聴いて「N響にも欲しい」と思い、N響副理事長の有馬大五郎や事務長の木村竜蔵を説得し、小澤の抜擢に至ったという[21]。
- ^ なお、ボストン交響楽団を初めて指揮したのは同楽団音楽監督就任の約5年前にあたる1968年1月、同楽団のホームグラウンドであるボストン・シンフォニーホールで開催された同楽団公演に於いてのことである[23]。
- ^ 高等学校音楽科に限って、男女共学である。
- ^ 美樹(ヴェラ)の父方祖父母は二人ともロシア人である[64]。
- ^ N響事件の後、小澤は「指揮者は本当に大変なことをやっている」という言葉を繰り返すようになった[70]。
出典
- ^ 日本経済新聞「理想追い 曲折の29年間 時に反目、洗練と重みに磨き」
- ^ Liste der Ehrenmitglieder der Wiener Staatsoper
- ^ 「小沢征爾さん ウィーン・フィル名誉団員に 「どんな勲章よりうれしい」」『読売新聞』2010年11月3日 東京朝刊 33頁。
- ^ 岡崎久彦『百年の遺産:日本近代外交史73話』産経新聞ニュースサービス、2002年、181頁
- ^ ただし、母親の小澤さくらによれば、夫の開作がその命名を板垣に伝えたところ、「二人の名前を並べるなら石原のほうが偉いんだから『爾征』とつけなきゃいけない』と言われたらしい。小澤さくら『北京の碧い空を わたしの生きた昭和』58頁。
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- ^ 小澤征爾『ボクの音楽武者修行』
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- ^ 小澤征爾氏の「成城大学名誉博士」授与式を挙行
- ^ 小澤征爾さん、「名誉団員」に ベルリン・フィル
- ^ 平成28年度名誉都民候補者
- ^ 平成28年度東京都名誉都民顕彰式及び東京都功労者表彰式について
- ^ “菅田将暉、“お父さん”吉川晃司との授賞式に「運動会みたい」と声弾ませる”. 映画ナタリー. (2016年11月21日) 2016年11月22日閲覧。
- ^ サイトウ・キネン財団 2018年活動報告
- ^ “史上初! 小澤塾長とサイトウ・キネン・オーケストラ、JAXAと共に演奏を宇宙に届ける”. 小澤征爾音楽塾公式サイト (2022年11月24日). 2024年2月29日閲覧。
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- ^ 2022年11月のセイジ・オザワ松本フェスティバル30周年記念特別公演のカーテンコールで、車いすに乗って登壇した小澤征爾さん=2022年11月25日(朝日新聞デジタル) - ウェイバックマシン(2024年2月15日アーカイブ分)
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- ^ “三島由紀夫は翌日の朝日新聞に「熱狂にこたえる道 小沢征爾の音楽会をきいて」と題してエッセイを書いた。”. kadobun.jp. kadobun.jp. 2024年2月10日閲覧。
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- ^ “支援キャンペーン”. ACジャパン (2014年). 2014年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月23日閲覧。
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