女流王位戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 08:58 UTC 版)
エピソード
- 第7期女流王位戦では清水市代と石橋幸緒の師弟対局となった。もともと清水と石橋は、初の女流棋士同士の師弟関係であった[7]。師弟対局は女流将棋タイトル戦では初の出来事で、師の清水が勝利した。
- 第20期女流王位戦5番勝負第2局で、石橋幸緒女流王位が129手目で6六角を2二角成と指したが、これが自駒の4四歩を飛び越しており、女流タイトル戦では史上初の反則負けとなった[8]。
- 女流王位は、毎年年末に主催者が同じ王位戦の在位者とお好み対局を行うのが恒例となっている[9]。手合割は平手で、女流王位が先手。持ち時間は女流王位が60分に対し王位が10分というハンディがある。対局の模様は主催紙の新春版に掲載される。
脚注
外部リンク
注釈
- ^ 女流王位戦と王位戦、囲碁の天元戦の主催者としての新聞三社連合(「三社」と略される)は、東京の新聞三社連合事務局を窓口として、北海道新聞社、中日新聞社、西日本新聞社、東京新聞(中日新聞東京本社)の3社(4紙)に、神戸新聞社と徳島新聞社を加えた5社(6紙)の共催を意味する。
- ^ この挑戦者決定までのシステムは、王位戦と基本的に同じである(ただし、リーグ残留者の人数は異なる)。
- ^ 第23期・第24期女流王位戦五番勝負出場の里見香奈(奨励会会員のため、女流枠から(男性)棋戦への参加資格を持たない)が該当する。第54期王位戦(第23期女流王位戦の枠)では清水市代が、第55期王位戦(第24期女流王位戦の枠)では中井広恵がそれぞれ代わって出場した。
- ^ 第4期(1993年度)から予選通過者は6名。第7期(1996年度)と第35期(2024年度)はリーグ残留者の引退で欠員が1名発生し、予選通過者を7名に増やしている。
- ^ 五番勝負の時期は第3期(1992年)までは4月(第3期は5月から)- 6月、その後、第20期(2009年)までは9月(あるいは10月)- 11月であった。2010年からは女流王将戦との兼ね合いや年間の対局スケジュールの分散のため、5月 - 6月へ移動した。
- ^ 第10期(1999年)より [1]。第9期までの持ち時間は各3時間であった。
- ^ a b リーグ成績は「残留相当」であったが、現役引退により次期リーグは不参加。リーグ欠員分は予選枠を増やしている。
- ^ a b 前期リーグ残留者の引退に伴う欠員が発生したため、予選枠を増やしている。
出典
- ^ 「第23期女流王位戦五番勝負第3局-里見香奈、史上2人目の女流四冠に!」 『将棋世界』 2012年8月号、99頁。
- ^ 【女流王位戦】プレイバックイーン1・1989年秋に新タイトル戦創設を告知
- ^ a b c 『女流棋士の本』p146-147
- ^ 北海道新聞 2012年10月17日朝刊
- ^ 女流王位戦 - 日本将棋連盟公式サイト 2015年1月24日閲覧
- ^ 『週刊将棋』2013年2月27日号、6面。
- ^ https://shogipenclublog.com/blog/2013/03/23/屋敷伸之七段(当時)「結局はオレの腹に入る」 将棋ペンクラブログ
- ^ 【第20期女流王位戦第2局】石橋女流王位、痛恨の反則負け
- ^ 第22棋 特集対談 - 女流王位戦中継サイト
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