国鉄トラ1形貨車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/18 11:06 UTC 版)
国鉄トラ1形貨車 | |
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基本情報 | |
車種 | 無蓋車 |
運用者 |
鉄道省 日本国有鉄道 |
製造所 | 汽車製造、日本車輌製造、川崎造船所、新潟鐵工所、九州車輌 |
製造年 | 1927年(昭和2年) - 1931年(昭和6年) |
旧形式名 | ト35000形(1000両) |
総数 | 3,429両 |
消滅 | 1969年(昭和44年) |
主要諸元 | |
車体色 | 黒 |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 8,930 mm |
全幅 | 2,740 mm |
全高 | 2,225 mm |
荷重 | 17 t |
実容積 | 42.3 m3 |
自重 | 9.1 t - 9.5 t |
換算両数 積車 | 2.2 |
換算両数 空車 | 1.0 |
走り装置 | 一段リンク式 |
車輪径 | 860 mm |
軸距 | 4,200 mm |
最高速度 | 65 km/h |
概要
1927年(昭和2年)度に日本初の17トン積み二軸車としてト35000形1,000両(ト35000 - ト35999)が汽車製造、日本車輌製造、川崎造船所、新潟鐵工所、九州車輌の5社にて製造された。
その後の1928年(昭和3年)10月1日に施行された車両形式称号規程改正によりト35000形はトラ1形と改められ全車改番標記(トラ1 - トラ1000)された。トラ1形となった後にも1931年(昭和6年)度までに2,400両(トラ1001 - トラ3400)増備が上記5社にて続けられた。戦時中は鶴見臨港鉄道と南海鉄道(旧阪和電気鉄道)が買収国有化され2社が保有していた25両が本形式に編入(トラ3401 - トラ3425)された。また二車現存による改番車が4両(トラ3426 - トラ3429)ある。以上合計3,429両(トラ1 - トラ3429)が在籍した。
従来、標準型無蓋車として15トン積みのト21600形(後のトム1形)、ト24000形(後のトム5000形、トム16000形)が製作されてきたが、これらは側板を固定し、車体中央部に観音開きの鋼製開き戸を設けた形態であった。これらは、車体長の割に容積が大きく、輸送力増強に寄与したものの、側面が全開しないため、木材や車両の輸送には不適であった。これらの欠点を解決するため開発されたのが、本形式である。具体的には、陸軍から野砲の輸送を要請されたのが契機であったという。
1938年(昭和13年)から1939年(昭和14年)にかけて、陸軍の要請により18両が中国中支方面に標準軌に改軌の上送られたが、その後の消息は不明である。
本形式は、荷台に長さ2間の長尺物を直列に2個積むことができるように設計され、荷台の内法は、長さ8,130 mm、幅2,480 mm、あおり戸高さ850 mm、妻板高さ1,150 mm、床面積19.9 m2で、車体は木製である。あおり戸は片側2枚で、中央部の側柱は固定式であったが、長尺物の積載に支障したため、次級のトラ4000形では取り外し式に変更された。その他の主要諸元は、全長8,930 mm、全幅2,740 mm、容積42.3 m3、軸距4,200 mm、自重9.1 - 9.5 tである。
走り装置は一段リンク式で、最高運転速度は65 km/hである。戦後の1948年(昭和23年)4月の調査では3,205両が残存していたが、経年25年を過ぎたあたりから廃車が始まり、1968年10月1日国鉄ダイヤ改正では高速化不適格車とされ、識別のため符号「ロ」が標記された。この時点の残存車はわずか2両で、1969年(昭和44年)度に形式消滅となった。
形式間改造
ウ500形
ウ500形豚積車の一部は、本形式の改造名義で製作された。1959年(昭和34年)に新津工場で25両、長野工場で25両の計50両(ウ700 - ウ749)が、1963年(昭和38年)には新津工場にて20両(ウ750 - ウ769)が製造された。
チ1000形
1959年(昭和34年)8月8日通達 工修第1021号昭和34年度貨車整備工事改造により本形式より50両が多度津工場にて改造されチ1000形に編入(チ1050 - チ1099)された。
セラ1形
1959年、セラ1形の改造種車となっているが、輪軸、ブレーキシリンダ、連結器等の部品を流用した程度で、台枠、ホッパ等は新製されている。
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- 2 国鉄トラ1形貨車の概要
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- 4 関連項目
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