名古屋西川流 来歴

名古屋西川流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/20 13:30 UTC 版)

来歴

織田いく西川嘉義の養母)は尾張藩士織田弥三兵衛信久の長女で踊りを初め藤間勘十郎に学び、西川流四世西川扇藏の門弟西川仁藏を名古屋に招いた。1841年天保12年)仁藏は18歳で父とともに名古屋に移る[1]。その後、1846年に篠塚力寿と結婚して京舞篠塚流坂東流の坂東秀代に舞踊を学び、他にも能や狂言の長所を取り入れ、舞踊一筋に打ち込んだ。のちに力寿とは離婚。1856年、仁藏は31歳の頃から西川和光の号で名古屋の芝居小屋の振付師として活躍した。

1860年1月19日、仁藏は35歳で「御免踊指南」の公許を得た(西川鯉三郎免許の跡)[1]。西川仁藏は西川鯉三郎と名を改め、織田いくが創流を支援して「名古屋西川流」樹立。1863年文久3年)織田いくは名取(苗字免許)第一号「西川幾」となって名古屋西川流の柱となる。西川鯉三郎は名古屋の劇場振付けを一手に収めて、「舞踊百番衣装附」や「舞踊譜」を作るなどの功績を残した。西川幾の養女・嘉義も1877年明治10年)名取り「西川嘉義」となり、美人舞踊家としての名声とともに名古屋西川流が広まる。初代西川鯉三郎や西川嘉義ら芸能者の活躍が、「芸どころ名古屋」の礎となった。

初世西川鯉三郎亡き後の跡目争い

1899年明治32年)に初代鯉三郎亡き後は、鯉三郎の跡目争いが起こった。幾の弟子で1880年(明治13年)に名取りとなった女役者の西川石松が「合議制」を持ち出して嘉義に対抗したことによって、幾・嘉義派と石松派が正面衝突した。1905年(明治38年)西川幾が死去[2]。翌1906年(明治39年)御園座で追善供養会を催し、嘉義が「面影」を舞った[3]。精神的に追いつめられた嘉義は名古屋の稽古場で、1921年大正10年)3月21日に58歳で自ら命を絶った。全国的に著名な美人舞踊家で、尾張藩重臣織田氏家令竹村鶴叟の孫にして士族織田氏の養女である西川嘉義が自殺したことで、名古屋西川流一門としての大きな問題が露呈した[4][5]。事件により名古屋の名物となった西川石松は「家元」にはならなかったが名古屋西川流の権力者となったのちに、1935年(昭和10年)10月28日、82歳で亡くなった[6][2]。石松の娘・花子も若くして亡くなる。トラブルが社会に知られ、初代鯉三郎の死後40年以上も家元空位であった。

流派を興した西川幾と西川嘉義の記念碑

舞踊妙手西川嘉義之碑

西川幾記念碑名古屋市八事興正寺にあり、また、1922年大正11年)坪内逍遥の撰文による西川嘉義の記念碑も八事興正寺に建てられた[7]。その中で、逍遥は次のように嘉義の事を評している。

舞踊の名師、古来其人夥し。然れども自ら打扮して演舞し、其妙技克く他をして恍惚たらしむる者多からず。風貌の秀と芸の品位と技の洗練とを併せ備へざれば能はざればなり。織田嘉義の如きは、其多からざる者の瑞一か — 「西川嘉義碑(八事興正寺)」坪内雄蔵(逍遥)碑文(抜粋)[2]

  1. ^ 『少年時に観た歌舞伎の追憶』坪内逍遥 著、日本演芸合資会社出版部、1920年、pp47-53(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月10日閲覧。
  2. ^ a b 尾崎久弥 1971, p. 58.
  3. ^ 長田若子 2012, p. 73.
  4. ^ 北見昌朗. “愛知千年企業 大正時代編 <コラム>日本国中を席巻した“名古屋美人””. 北見式賃金研究所/社会保険労務士法人北見事務所. 2022年7月4日閲覧。
  5. ^ 田中加代. “日本の伝統芸能における「芸」の伝承に関する教育思想史的考察 -日本舞踊家西川鯉三郎の芸道教育の系譜および特色をめぐって-”. 愛国学園短期大学. 2022年7月4日閲覧。
  6. ^ 小寺融吉. “日本の舞踊(創元選書75)234頁「西川石松と花子」”. 創元社、昭和23/. 2022年7月4日閲覧。
  7. ^ 長田若子 2012, p. 151.
  8. ^ 「西川左近」の写真・グラフィックス・映像”. KYODO NEWS IMAGELINK(イメージリンク). 共同通信社. 2024年2月20日閲覧。
  9. ^ 日本経済新聞. “「西川流」家元所得隠し、門下生謝礼金、6年間で1億3000万円。”. 日本経済新聞社、2003年6月14日. 2023年9月30日閲覧。
  10. ^ 「日本舞踊の西川流家元が申告漏れ=6年間で1億5千万円−名古屋国税局」時事通信 2003年6月14日





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