古代オリンピック 由来と神話

古代オリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 14:28 UTC 版)

由来と神話

ゼウス神殿東の群像装飾(左:オイノマオス、中央:ゼウス、右:ペロプス)

ギリシア神話に残る祭の起源には諸説ある。

ホメーロスによれば、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むため、アキレウスが競技会を行った[1]。これがオリュンピア祭の由来であるとする説がある。別の説によれば、約束を破ったアウゲイアース王を攻めたヘーラクレースが、勝利後、ゼウス神殿を建ててここで4年に1度、競技会を行った、といわれる。さらに別の説によれば、エーリス王・オイノマオスとの戦車競走で細工をして王の馬車を転倒させて王を殺し、その娘・ヒッポダメイアと結婚したペロプスが、企てに協力した御者のミュルティロスが邪魔になったので殺し、その後、願いがかなったことを感謝するためにゼウス神殿を建てて競技会を開いた。ペロプスの没後も競技会は続き、これが始まりだ、というものである。

いずれにせよ、神話に残る競技会は何らかの事情で断絶し、有史以後の祭典とは連続性をもたない。なおこれらの伝承のうちのいくつかは、エーリス市民らがオリンピックの由来を権威付けるために後に創作したものも含むと考えられる。

オリンピック以外の古代ギリシア競技祭典

四大競技祭典開催地(オリュンピア、デルポイ、イストモス、ネメアー)

オリュンピアで行われるオリュンピア祭は、ギリシアにおける四大競技大祭のうちの一つであった。これらの四つの競技大会は以下の通りである。

これら4つの競技大祭のうち、大神であるゼウスに捧げられるオリュンピア祭が最も盛大に行われた。

ゼウスが男神であることから、オリュンピア祭は女人禁制であった。そして奉納競技において競技者が裸体となることが関係していたとも考えられる。ポリスの日常生活にかかせない体育競技場においては、男性であっても競技を行わず衣服をまとって入場することがはばかられたほどであった。ただし、戦車競走では御者ではなく馬の持ち主が表彰されたので、女性が表彰された例はわずかにある。

しかし、女子競技の部ともいうべきヘーライアという祭りが行われていた時代もある。これは名のとおりゼウスの妃ヘラに捧げる祭りで、オリュンピア祭と重ならない年に行われていた女子のみの祭典となっている。競技は短距離走のみで、右胸をはだけた着衣で行われたと当時を伝える像から考えられており、現在の夏季五輪のメダルに浮き彫りにされた勝利の女神はこれを着用している。競技優勝者にはオリーブの冠と犠牲獣の肉が分け与えられ神域に自身の像を残す事が許されているが、実際は肖像を壁画に残す等の事が多く行われている。

なお、オリュンピア祭では体育だけでなく詩の競演も行われたことが伝わっている。

古代ギリシャでは優勝者に葉冠が送られる神聖競技会と賞金や高価な品物が授与される賞金競技会が区別されており、神聖競技会にあたる四大競技祭のうち古代オリンピックではオリーブの葉冠(オリーブ冠)が授与された[2]。なお、月桂冠が授与されていたのは四大競技祭のうちピューティア大祭(ピュティア競技祭)である[2]

初期の古代オリンピック

地中海周辺の地域には、運動競技の長い伝統があったように記録されている。なぜならば、古代エジプト人と古代メソポタミア人は、王とその貴族の墓に運動競技を描写しているからである。 しかしながら、彼らは定期的な大会を開催していなかったようである。そして、それらのイベントはおそらく王と上級貴族の宮殿の庭で行われたものと推定されている。 ミノア文明は、フレスコ画にブルリーピング、タンブリングランニングレスリングボクシングを書き残しており、体操競技を高く評価していたと推定されている。 それに続く、ミケーネ文明は古代ミノア文明の競技を採用し、宗教的儀式において戦車を用いて競いあったようである[3][4]ホメロスの語るところの「英雄伝」によれば、死者を称えるために運動競技に参加したと考えられており、その後「イーリアス」においては、戦車レース、ボクシング、レスリング、短距離走のほか、フェンシングアーチェリー槍投げの記述がある。 そして、その後に記録された「オデュッセイア」はこれらに走り幅跳び円盤投げを追加したようである[5]

古代ギリシアにおいて信じられた直接の起源は、次のようなものである。伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスがアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競技会を復活させることにし、仲が悪かったスパルタリュクールゴスと協定を結んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである、というもので、この文字が彫られた金属製の円盤がヘーラーの神殿に捧げられた。この円盤はのちに発見された。ただし円盤は現存しないことと、協定を結んだとされるリュクールゴスが実在したかどうか不明のため、この由来には疑問視する声もある[要出典]

こうしてエーリス領地内のオリュンピアで始まったオリンピックだが、最初のうちの記録は残っていない[要出典]。記録に残る最初のオリュンピア祭は、紀元前776年に行われた。古代オリンピックの回数を数えるときには、この大会をもって第1回と数えるのが通例である[6]勝者はエーリスのコロイボスであった。ただし、さきの円盤の作成年代などから推測して、この古代オリンピックの開始年は、もう少し遡ると考えられている。競技会の行われた季節は麦の刈り入れが終わり、農民が若干暇になるユリウス暦の8月だったと考えられている[要出典]

最初はエーリスとスパルタの2国のみの参加だったオリュンピア大祭は、正確に4年に一度開催され続け、しだいに参加国も増えてきた。そしてついに全ギリシア諸国が参加するようになった。この大会はギリシア共通で使われるの単位にもなった。オリュンピアードという単位で、これはあるオリュンピア大祭が開催されてから次の大祭が開催されるまでの4年間を示す。年を特定するためには「第○○オリュンピアードの第×年」と数える[注釈 1][要出典]


注釈

  1. ^ 紀元前1世紀頃の製作と推定される古代ギリシアの天球儀「アンティキティラの歯車」には「オリンピック」(開催年=閏年)の文字が記されている。

出典

  1. ^ イリアス』第23歌「パトロクロスの葬送競技」における記述(ホメロス(松平千秋訳)『イリアス』(下)、岩波文庫、1993年、pp. 346-375)。
  2. ^ a b 真田久、宮下憲、嵯峨寿「アテネオリンピック 2004の文化的側面 (<特集 アテネオリンピック・パラリンピック>)」『体育科学系紀要』第28巻、筑波大学体育科学系、2005年3月、129-139頁、CRID 1050282677523573504hdl:2241/11385ISSN 038671292022年9月16日閲覧 
  3. ^ Young, David C. (2004). A Brief History of the Olympic Games. Blackwell Publishing. pp. 5-6. ISBN 978-1-4051-1130-0. https://is.muni.cz/el/1451/jaro2011/bk900/um/A_Brief_History_of_the_Olympic_Games__CuPpY_.pdf 
  4. ^ Wendy J. Raschke (15 Jun 1988). Archaeology Of The Olympics: The Olympics & Other Festivals In Antiquity. Univ of Wisconsin Press. pp. 22–. ISBN 978-0-299-11334-6. オリジナルの12 October 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131012003844/http://books.google.com/books?id=DwU1IlTEhrYC&pg=PA22 2012年8月12日閲覧。 
  5. ^ Young, David C. (2004). A Brief History of the Olympic Games. Blackwell Publishing. p. 6. ISBN 978-1-4051-1130-0. https://is.muni.cz/el/1451/jaro2011/bk900/um/A_Brief_History_of_the_Olympic_Games__CuPpY_.pdf 
  6. ^ Nelson, Max. (2006) "The First Olympic Games" in Gerald P. Schaus and Stephen R. Wenn, eds. Onward to the Olympics: Historical Perspectives on the Olympic Games (Waterloo), pp. 47–58
  7. ^ a b c フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 6』講談社、2004年。 
  8. ^ a b 澤田典子「古代マケドニア王国の建国神話をめぐって」『古代文化 / 古代学協会(58巻・3号)』、2006
  9. ^ 宮﨑亮『西洋史Ⅱ』法政大学
  10. ^ Υπουργείο Πολιτισμού και Αθλητισμού - Αφιερώματα”. odysseus.culture.gr. 2019年7月16日閲覧。
  11. ^ Υπουργείο Πολιτισμού και Αθλητισμού - Αφιερώματα”. web.archive.org (2015年4月28日). 2019年7月16日閲覧。






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