古代オリンピック 末期の古代オリンピック

古代オリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 14:28 UTC 版)

末期の古代オリンピック

オリュンピアのゼウス神殿跡

しかし、この祖国での優勝者への過剰な褒章が、逆に大祭の腐敗を生んだ。祖国が優勝者に支払う報奨金は跳ね上がり、褒章欲しさに、不正を働くもの、審判を買収するものが出て、オリュンピア大祭は腐敗した。買収を行ったものと応じたものは多額の罰金が科せられただけでなく、その不正の深刻さに応じて肉体的懲罰や大会追放が言い渡された。この罰金を元に、オリュンピアに「ザーネス」と呼ばれる不正を象徴する見せしめのゼウス像が作られた[10][11] が、ゼウス像の数は増える一方だったという。記録によれば最終的には16体までザーネスが建てられたとされるが、今日のオリュンピアに残されているのはその基部のみとなっている。

ローマがギリシア全土を征服し、属州に編入した後もオリュンピア祭は続けられたが、暴君として知られるローマ皇帝ネロは、自分が出場して勝者となるために第211回オリュンピア競技会の日程を本来行うべき65年から無理やり67年にずらしたのみならず、たとえ競技に敗れても優勝扱いにさえなっている。ネロの権力の濫用と不正に対する批判は強く、この祭時を変えさせてまで開催を強行した大祭は後に正式な大祭とされず、ネロの死後公式記録から抹消された。しかし変更された祭時は戻される事なくそのままで、最後の第293回大祭までこれは変わっていない。

また、自分の歌を披露するため、音楽競技を追加した。ネロは7種目で優勝したとされるが、その競技内容は悲惨で、特に音楽競技は聴くに堪えない劣悪なものだったという。

ネロの死後、この大会の存在そのものがエーリスの公式記録から抹殺された。このため、この大会をオリュンピア大会と認めない研究者もいる。

最末期、キリスト教が広まるにつれ、異教ローマ神の祭典であるオリュンピアは、しだいに廃れていった。313年、ローマはキリスト教を認め、392年国教とした。この時キリスト教以外の宗教は禁じられた事によりオリュンピア大祭も禁じられる事になった。最後の第293回オリュンピア祭は、翌393年に開催され、これが古代オリンピック最後の年となった。この後、ローマの異教神殿破壊令によりオリュンピアは神域を破壊され長い歴史の幕を閉じている。この最後のオリンピックについては、記録が残っていない。記録に残る最後の古代オリンピックは、369年の第287回オリンピュア祭で、それも、拳闘の勝者のみが記録されている。このためこの回を最終回とする研究者もいた。

しかし、その後、1990年代になってから、オリュンピアで、末期の361年の第285回オリュンピア祭までの全競技の勝者を記録した青銅板が発掘された。それまでは、末期、キリスト教が広まってからのオリュンピアはエーリスとその近隣諸都市だけで細々と行われていたと考えられていたが、青銅板の最後の記録、361年までは、広くギリシア語圏内から競技者が参加していたことが判明した。この青銅板が後世の偽作であると疑う意見もあるが、証拠はなく、ひとまず、これが末期古代オリンピックに関する主流の見方になっている。


注釈

  1. ^ 紀元前1世紀頃の製作と推定される古代ギリシアの天球儀「アンティキティラの歯車」には「オリンピック」(開催年=閏年)の文字が記されている。

出典

  1. ^ イリアス』第23歌「パトロクロスの葬送競技」における記述(ホメロス(松平千秋訳)『イリアス』(下)、岩波文庫、1993年、pp. 346-375)。
  2. ^ a b 真田久、宮下憲、嵯峨寿「アテネオリンピック 2004の文化的側面 (<特集 アテネオリンピック・パラリンピック>)」『体育科学系紀要』第28巻、筑波大学体育科学系、2005年3月、129-139頁、CRID 1050282677523573504hdl:2241/11385ISSN 038671292022年9月16日閲覧 
  3. ^ Young, David C. (2004). A Brief History of the Olympic Games. Blackwell Publishing. pp. 5-6. ISBN 978-1-4051-1130-0. https://is.muni.cz/el/1451/jaro2011/bk900/um/A_Brief_History_of_the_Olympic_Games__CuPpY_.pdf 
  4. ^ Wendy J. Raschke (15 Jun 1988). Archaeology Of The Olympics: The Olympics & Other Festivals In Antiquity. Univ of Wisconsin Press. pp. 22–. ISBN 978-0-299-11334-6. オリジナルの12 October 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131012003844/http://books.google.com/books?id=DwU1IlTEhrYC&pg=PA22 2012年8月12日閲覧。 
  5. ^ Young, David C. (2004). A Brief History of the Olympic Games. Blackwell Publishing. p. 6. ISBN 978-1-4051-1130-0. https://is.muni.cz/el/1451/jaro2011/bk900/um/A_Brief_History_of_the_Olympic_Games__CuPpY_.pdf 
  6. ^ Nelson, Max. (2006) "The First Olympic Games" in Gerald P. Schaus and Stephen R. Wenn, eds. Onward to the Olympics: Historical Perspectives on the Olympic Games (Waterloo), pp. 47–58
  7. ^ a b c フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 6』講談社、2004年。 
  8. ^ a b 澤田典子「古代マケドニア王国の建国神話をめぐって」『古代文化 / 古代学協会(58巻・3号)』、2006
  9. ^ 宮﨑亮『西洋史Ⅱ』法政大学
  10. ^ Υπουργείο Πολιτισμού και Αθλητισμού - Αφιερώματα”. odysseus.culture.gr. 2019年7月16日閲覧。
  11. ^ Υπουργείο Πολιτισμού και Αθλητισμού - Αφιερώματα”. web.archive.org (2015年4月28日). 2019年7月16日閲覧。


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