会津比売神 会津比売神の概要

会津比売神

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 06:47 UTC 版)

 
会津比売命
時代 上古古墳時代
生誕 不明
死没 不明
別名 伊都速比売命
神号 会津比売神
墓所 妻女山
主君 崇神天皇
氏族 洲羽君洲羽国造)祖
父母 父:伊豆早雄命
兄弟 真曽我男命か
建稲背命
特記
事項
武五百建命
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概要

会津比売神社では会津比売命と表記する。

「かいづ」の名称の由来は不明であるが、神社周辺の松代一帯は古来海津(かいづ)と呼ばれており、松代城も海津城と呼ばれていた。

日本三代実録』にも見える式外社「會津比賣神」に比定される会津比売神社の祭神で、『松代町史』では建御名方神の子・諏訪大社|の御子で、初代科野国造武五百建命森将軍塚古墳の被葬者)の妻とされる。また伊津速比売神と同人とする説もある。しかし、「阿蘇」系図では武五百建命の妻を建御名方神の五世孫・会知早雄命の娘としており[2]、会知早雄命は伊豆早雄命の四世孫となる。

一説に神陵は妻女山の頂上にある古墳とされ、山の名前の由来とされる。

866年(貞観八年六月一日)無位からいきなり従四位下を賜る[3]

系譜

会津比売神社では建御名方神の子出早雄命の娘とされ、初代科野国造の妻と伝えるが、建御名方神の孫・六老彦神の娘で、兄妹に鴨羽神と草奈井比売神がいるとする系図もある[4]

一方可毛羽神や草奈井比売神は建御名方神の子・伊豆速雄命の子とされ、箭津安賀多神(六老彦神)は兄とする説もある[5]

祀る神社

関連項目


  1. ^ 謙信鞍掛の松/会津比売神社」長野市「信州・風林火山」特設サイト。
  2. ^ 鈴木真年「阿蘇」『百家系図稿』巻六。
  3. ^ 諏訪史料叢書.巻28 73頁
  4. ^ 「諏訪下社大祝武居祝系圖略」『諏訪史料叢書.巻28』諏訪教育会、昭和11年、73頁。
  5. ^ 守矢実久「健御名方命御系圖」『諏訪神社略縁起』中村甚之助、明治53年、10頁。


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