中野重治 中野重治の概要

中野重治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 23:50 UTC 版)

中野 重治
(なかの しげはる)
誕生 1902年1月25日
日本福井県坂井郡高椋村(現・坂井市
死没 (1979-08-24) 1979年8月24日(77歳没)
日本東京都新宿区河田町
墓地 福井県坂井市
職業 小説家詩人評論家政治家
言語 日本語
国籍 日本
教育 学士文学
最終学歴 東京帝国大学独文科
ジャンル 小説評論
文学活動 プロレタリア文学戦旗派)
転向文学
代表作 『中野重治詩集』(1935年)
『村の家』(1935年)
『歌のわかれ』(1939年)
『斎藤茂吉ノオト』(1940年 - 1941年、評論)
『むらぎも』(1954年)
梨の花』(1959年)
『甲乙丙丁』(1969年)
主な受賞歴 毎日出版文化賞(1955年)
読売文学賞(1960年)
野間文芸賞(1969年)
配偶者 原泉(1930年 - 1979年)
親族 中野鈴子(妹)
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中野重治
所属政党日本共産党→)
日本のこえ

選挙区 全国区
当選回数 1回
在任期間 1947年5月3日 - 1950年5月2日
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福井県坂井市出身。東京帝国大学文学部独文科卒。四高時代に窪川鶴次郎らを知り、短歌や詩や小説を発表するようになる。東大入学後、窪川、堀辰雄らと『驢馬』を創刊、一方でマルクス主義プロレタリア文学運動に参加し、「ナップ」や「コップ」を結成。この間に多くの作品を発表した。1931年に日本共産党に入ったが、検挙され1934年転向する。

戦後再び日本共産党に入り、また『新日本文学』の創刊に加わった。平野謙荒正人らと「政治と文学論争」を引き起こし、戦後文学の中心者であった。1947年から50年まで日本共産党参議院議員を務める。だが1964年に日本共産党と政治理論で対立し、除名された。1969年に神山茂夫共編で『日本共産党批判』を出版している。


  1. ^ くちなし忌
  2. ^ 阿川弘之『志賀直哉 下』新潮社〈新潮文庫〉、1997年、181-187頁。ISBN 4101110166 
  3. ^ 「中野重治と朝鮮問題」書評 日本社会の「鈍感さ」克服する途|好書好日”. 朝日新聞社. 2022年2月6日閲覧。
  4. ^ a b 桐山秀樹, 吉村祐美『軽井沢という聖地』NTT出版、2012年、96頁。ISBN 9784757150812 


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