中川義雄
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中川 義雄 なかがわ よしお | |
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内閣府副大臣就任に際し公表された公式肖像写真 | |
生年月日 | 1938年3月14日(86歳) |
出生地 | 日本 北海道広尾郡広尾町 |
出身校 | 神奈川大学工学部中退 |
前職 | 地方公務員(北海道) |
所属政党 |
(自由民主党→) たちあがれ日本 |
親族 |
父・中川文蔵(広尾町会議員) 兄・中川一郎(衆議院議員) 兄・中川正男(広尾町会議員) 甥・中川昭一(衆議院議員) 姪・中川郁子(衆議院議員) |
選挙区 | 北海道選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1998年7月26日 - 2010年7月25日 |
第20代 北海道議会議長 | |
在任期間 | 1995年5月 - 1997年6月 |
選挙区 | 十勝支庁選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1979年 - 1998年 |
経歴
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生い立ち
北海道広尾郡広尾町に中川文蔵・セイの子として生まれた[2]。1957年(昭和32年)、北海道帯広三条高等学校卒業。1960年(昭和35年)、神奈川大学工学部を中退し広尾町役場に就職する。1962年(昭和37年)、北海道庁に転職する[3]。
道政
1978年(昭和53年)退職後、1979年(昭和54年)に北海道議会議員選挙に出馬し、初当選する。以後5期連続務める。1995年(平成7年)には北海道議会議長に就任し、2年2か月にわたって務めた[4]。
国政
1998年(平成10年)、第18回参議院議員通常選挙に自民党より出馬し、初当選する(北海道選挙区)。2004年(平成16年)、第20回参議院議員通常選挙で公判中の鈴木宗男を破り再選する。
2005年(平成17年)8月8日の郵政民営化法案の参議院本会議採決では反対票を投じたが、衆議院総選挙を受けた第162特別国会で再提出された郵政民営化関連6法案については、2005年(平成17年)10月14日の参議院本会議において賛成票を投ずる[5]。前回投票で反対票を投じたことにより、党執行部より党員資格停止1年の処分を受けた(郵政国会)。
2007年(平成19年)8月の安倍改造内閣では、内閣府副大臣(科学技術、規制改革、宇宙開発、国民生活、男女共同参画、少子化対策、IT政策、クールジャパン戦略等担当[6])として就任し、次の福田内閣でも内閣府副大臣として再任した。
自民党道連の地方政治学校・HOKKAIDO政治塾塾長を務めており、2010年(平成22年)2月には講演を行っていた。[7]しかし、同年4月に自民党を離党、実兄・一郎の秘書だった平沼赳夫が発足させた新党のたちあがれ日本に参加し、党参議院幹事長に就任した。同年7月、第22回参議院議員通常選挙にたちあがれ日本公認で比例区より出馬し、3選を目指すも落選した。
政策
- ^ “美しい日本の憲法をつくる道民の会 設立記念 櫻井よしこさん後援会”. 日本会議北海道本部. 2024年1月26日閲覧。
- ^ 『悶死 中川一郎怪死事件』 73頁
- ^ 内閣府副大臣 中川義雄
- ^ 北海道議会歴代正副議長紹介
- ^ 官報号外 平成17年10月14日 参議院会議録 10項
- ^ 第168会国会 内閣委員会 第2号
- ^ 自由民主党北海道支部連合会
- ^ 「選択的夫婦別姓制度を盛り込んだ民法改正反対に関する請願」第174回国会 法務委員会 請願497号、平成22年6月4日
- ^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日
- ^ 『しんぶん赤旗』2005年7月5日
- ^ 『悶死 中川一郎怪死事件』150頁
- ^ 『反骨の宰相候補 中川一郎』240頁
固有名詞の分類
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